創価ダメだしブログ

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創価学会の日とエレベーター相承。

5月3日は、「創価学会の日」。創価民ならば言わずと知れた池田大作が3代会長に就任した日だ。「GW中に創価イベント入れるなよ。」という現役創価民のクレームの声もネット上に多々あがっているが創価民にとっては創立記念日と並んでオメデタイ日である。池田三代会長就任に際して有名逸話は「エレベーター相承」だろう。「エレベーター相承」とは、

■戸田先生なきあとは、いずれにせよ、私が全学会の要となり、指揮をとらねばならぬ宿命を、百も承知であったからである。 昭和三十三年三月一日、大講堂落成式の日、五階から一階に降りるエレベーターの中で、恩師は申された。『わしの、いっさいの仕事は、これで終わったよ。あとは、おれと、おまえだ。おまえが、あとはしっかりするんだぞ』と。(池田大作著「巻頭言・講義集」)

エレベーターが上昇しはじめると、戸田は、伸一の顔をのぞきこむように見すえた。そして、静かだが、力をこめて言った。『さあ、これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。伸一、あとはお前だ。頼むぞ!」 伸一の体に電撃が走った。伸一は、緊張した面持ちで戸田を凝視した。二人の眼と眼が光った。『はい!』自らを鼓舞する、深い決意を秘めた声であった。(中略) 清原と森川も、緊張した表情でこのやりとりを見ていた。(人間革命・後継)

とエレベーターの中で戸田ニ代会長から次期会長としての後継指名を受けたという池田の自己申告の逸話である。これが実に眉唾で上記のようにまずエレベーターが下降していたのか上昇していたのか池田自身の発言が実にあやふやであり、またその場に居合わせた柏原ヤス(清原)と森田一哉(森川)の池田会長就任の特集版『大白蓮華』(昭和35年6月号)への寄稿文にこのエレベーター相承の話は一切ない。森田が五階から一階に降りるエレベーターの中で戸田会長から池田へ後継指名があったと発言したのは昭和40年の池田会長就任5年後である。(口裏合わせしたのか?)ところが現在では六階に上がるエレベーターの中と修正されている。その理由も明確で、上記の人間革命に「五階の大会議室では寺族の祝宴が、講堂の大広間では学会員の祝宴が、それぞれ行われた。」と記述されているように当日は5階は寺族の祝宴を開催していたので戸田・池田達が5階にいる理由がないので最初は5階から1階へ向かうエレベーターと言ったのを6階に向かう上りのエレベーターに変更したわけだ。これだけで「エレベーター相承」なるものは池田の与太話であることが分かるというものである。当時を知る学会幹部は

□三月一日の『大講堂落慶大法要』――静岡県知事を始め多くの来賓を招いての大事なセレモニーの場面でも、池田はどこかにいなくなっていた。戸田先生が『池田を探して来い!』と命ぜられ、ジリジリしながら待っていると、池田はエレベータの所に現われた。それを見つけた戸田先生が、大声を張り上げ、『何故、大事な時に俺の側にいない! 俺とお前しかいないんだぞ。それなのに、お前はどうしていないんだっ!』と、池田を怒鳴りつけた。 池田は、恐縮するでもなく、『いえ、私のような者はこんな晴れがましい場に出るより、外で案内係をしているほうが相応しいので…… 』と謙遜ぶった言い訳をしていたが、その表情は、叱り飛ばされた屈辱で見るからにムッとしていた。戸田先生は、池田をそのまま置いて、一人でエレベータに乗って祝賀会に出席された。(龍年光

□(3・16の後)、先生の体がいよいよ衰弱されたため、原島宏治、小泉隆、辻武寿柏原ヤス、馬場勝種ら理事たちと、池田・北条・森田・龍の四参謀が、揃(そろ)って戸田先生の枕元に行き、遺言を聞こうということになった。音頭を取ったのは辻、原島、小泉らで、この際、はっきり池田を三代会長に指名してもらおうというハラづもりだったようだ。 辻は『大久保彦左衛門』と渾名(あだな)され、どんな場面でも物怖(ものお)じせずにズバッと物をいう男だった。この時も、病の先生の枕辺で、当然のような顔をして、『先生、三代会長は誰にするんですか』と単刀直入に尋ねた。ところが先生は、はっきりした声で、『それは、お前たちが決めるんだ』と答えられた」龍年光

□戸田先生は、この儀式の祝宴散会後の午後四時頃、その場・その席で、理事長以下祝宴に参加した全員に対して『次の会長は皆で相談して決めろ、皆で仲良くやっていけ』と仰しゃったではないか。そしてその席に池田氏は参加して居なかったし、それでも当日の内には耳にした筈ではないか。(石田次男

□まさに池田の言う『エレベーター相承』なるものは、まったくのウソなのです。(原島崇)

と戸田会長からの池田への後継指名などなかったと証言している。創価民からすれば「退転者」達のいう事は信用できないという事になるだろうが一般的に見れば眉唾物の池田の自己申告の「エレベーター相承」の話より創価を退転した方々の話の方が信憑性があると思う。戸田会長逝去から2年も会長不在だった事実が何よりも戸田会長から池田への後継指名がなかったという証拠ではないか。また現在の創価公式サイトではこの「エレベーター相承」に関しての記述が見当たらない。「エレベーター相承」が事実であればもっと会員にアピール・アナウンスすべきではないかと思うのである。とはいえ池田が会長に就任したも事実であるから他宗の法主をニセ法主などというどこぞの狂団員と違い私は池田を「ニセ会長」なんていわないし思わない。三代会長は池田大作で間違いない。では何故こんな記事を書くのかと言えば戸田会長の名誉のためである。戸田二代会長は信徒として問題言動も多かったが最後まで日蓮正宗の信徒で通し現在でも我々後進の法華講員にとって偉大な先輩である。その戸田会長が宗門攻撃をして破門され、唯授一人血脈相承の法主上人を誹謗し戒壇大御本尊まで会員に捨てさせた池田大作など後継にするはずがない。若き日の池田大作の心根を戸田会長が見誤ることはない。池田ごときの若造を見抜けない人間が創価学会の会長などできるわけないだろう。戸田会長は創価が破門され時に純粋な法華講員となったわけである。戸田家もまた正宗信徒だ。そんな戸田会長や戸田家の方々、そして私も法華講員として池田大作のような大謗法者が大先輩であり大信徒である戸田会長の弟子を名乗ることは実に不愉快この上ないのである。池田が「戸田先生の弟子」と言うだけで戸田会長に対する名誉棄損発言だとすら感じる。三代会長は間違いなく池田大作会長なのだから、わざわざ戸田会長からエレベーターの中で後継指名を受けたなどという作り話を盛らんでもよろしい。そうでも言わないと戸田門下の幹部会員が池田三代会長なんて認めなかったのだろうけどそれにしても利用できる人間は師匠だろうと御本仏だろうとなんでも利用する池田の浅ましさが池田以降の弟子たちにも脈々と受け継がれている。まさに今は池田自身が原田執行部に利用されまくっているのだから因果応報とはこのことだなと感じる。

 

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