創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

「題目を送る」はぁ?何言ってんの?

学会員は「題目を送る」という言葉をよく使う。私が創価の活動に参加した当初は「題目を送る」っていう意味がよくわからなかったが、池田大作が本幹の時などよく「皆さんにお題目を送ります」と言っていたし随筆とかスピーチでも使っていたのでいつの間にか私も「題目を送る」というようになった。法華講に移籍してからは「題目を送る」なんていう言葉はあまり聞かなくなったが時々元創価法華講員さんが使っている時がある。ところが「題目を送る」などという言葉は大聖人の御書には無い。ということはこれもまた池田創価の造語なのだろう。池田の指導で【皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。送信機がいくら立派でも、受信機が壊れていてはだめだ】という有名な指導がある。「発信機と受信機」。多数の幹部から聞いた指導である。昭和44年のこの指導が「題目を送る」という造語の初出なのかは知らないが、いずれにしてもかなり以前から池田は題目を「送る」と言っていたのは確かだ。この言葉を聞いて私はいつも思っていたのだが、題目って送るモノではないよな。上記の池田指導を素直に読めば、池田の題目が本尊を経由して(又は本尊を経由しなくても)会員に送られてきて、それをキャッチすると功徳が出る。という事に成ろう。そうなると池田の題目に功徳が備わっていて本尊は単なる発信機や受信機の役割しか持たないということになる。これではまるで池田の題目に力があるとことになり池田が本仏であると言っているのと変わらない。戸田会長が「幸福製造機」などと言うものだから、戸田会長の言葉の真意を理解できない莫迦な池田が御本尊を発信機とか受信機とか言い出してしまったのだろう。池田にとって御本尊は「ただのモノ」であると本人が言っているのだから確かだろう。いつも言うが題目(唱題)自体には単独で功徳は備わらない。唱題は信力・行力(修行)であって仏力・法力は御本尊に備わっているからだ。だから仮に題目を送ることが出来たとしてもそれで相手に対して功徳を回向することはできない。題目とは他人に「送る」のではなく、御本仏に「申し上げる」「奉る」ものなのである。どうも学会員は「唱題」の意味が分かっていない輩が多い。これも池田創価のインチキ教学の害毒だ。学会員の多くは「題目を送る」=「相手の事を祈る」という意味で何気なしに使っていると思うが、ならば「送る」ではなく「祈る」と言えば済む話だ。「送る」などと言うのは非常に傲慢な言い方である。それは創価員には相手に対して傲慢な命が根底にあるからと思っている。創価特有の「○○してあげる」という命だ。「私の題目を貴方に送ってあげる」という。即ちそれは自分が御本仏に成り代わって相手に功徳を与えてあげるという発想なのである。もっとも、池田を筆頭に学会員は御本尊(御本仏)に対してすら、「供養してやった」などと宣う人間である。なにせ池田創価の連中にかかれば御本仏も自分も同等なのだから「してやった」という感覚になるのも当然でそれが驕慢謗法であることにすら気が付くことが出来ないのである。いずれにしても「題目を送る」などという法門・化義は大聖人の仏法には存在しない。つまり池田創価の邪義・我見である。そもそも、「受信機が壊れていたらダメ」なのであれば、受信機を持っていない無信仰の人達にはいくら題目を送っても無駄であろう(笑止)また「送る」と言えば、創価では「御本尊送り」という言葉を使う。これまた私もそういうものだと思って使っていた言葉だが、考えてみれば仏様である御本尊を凡夫の在家の人間が「送る」というのも失礼な話である。当然、正宗では「御本尊送り」なんて言わない。御本尊を御安置する時は「入仏」という。御本尊を受ける時も「戴く」という。お歳暮やお中元じゃあるまいし仏様を送ったり、もらったりはしない。このように創価の造語はその端々に御本尊に対する不敬の念が散りばめられている。いや、池田創価はこのような造語で会員を洗脳して会員の御本尊や大石寺に対する恋慕の心・信心を奪っていったという方が正しいだろう。池田大作という信不具足の人間がその一凶となり、戸田会長の築いた創価学会を謗法団へと変貌させたのである。この様に書くと創価民は「言葉使いの違いだけで上げ足を取るな」と反発するかも知れない。でも、本当に畏敬・敬愛の念をもつ相手に対して適当な言葉使いをするだろうか?もし学会員が池田大作にあったとしてその時に敬語も使わずタメ口を叩くだろうか。大聖人は、

◆言と云うは、心の思いを響かして声を顕すを云うなり。(総勘文抄)

と御指南されている。御本尊に対しぞんざいな言葉を使うという事はぞんさいな心で御本尊を扱っているからである。思い出せば日顕上人の御本尊と創価本尊を交換した時に回収してきた日顕上人の御本尊は巻かれて段ボール箱に放り投げられ会館の事務所の片隅に放置されいた。身口意の三業とはそういう事だ。題目も御本尊も凡夫が簡単に他人に「送る」ようなものではない。学会員諸君はそうは思わないのか?「お題目を送る?」はぁ?キミ達一体何者?何をいってんの?である。ともあれ、私も創価時代に使ってきた言葉なのでこのような創価造語を使わないように気を付けている。

 

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