創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

カルト宗教団体を生み出した根本は既成宗教教団にある。

過日、現役の身延日蓮宗の僧侶がSNSで、「創価学会顕正会といったカルト教団を生んだ日蓮正宗もまたカルト教団である。」などというドンデモ発言をしていた。創価顕正会も正宗がとっくに破門した団体である。何故破門したかといえば正宗の教義とは違う事を唱えたからで現在のカルト化した創価や顕正の教義は正宗の教義とは似ても似つかないもので全く無関係なのである。それを言うに事欠いて創価・顕正と正宗を同列に扱うとは言語道断だ。さすがは江戸時代に大石寺を禁制だったキリスト教不受不施派のように言いふらしていた身延坊主の末裔である。その理論ならば統一教会やエホバを生み出したキリスト教もオウムが教義の基本にしていた原始仏教も全てカルト教となるではないか。いくら正宗に法論で勝てないからといってこのような事をいうのは身延僧侶のレベルの低さを露呈しているだけである。戦後、雨後の筍の子のように発生した信仰宗教は伝統的な仏教や神道から見ればほとんどがカルト教団である。正確にはまだオカルト教団ではあるがいつ「オ」がとれてカルトに変貌するか分からない存在だ。その理由は新興宗教のほとんどが仏教や神道の教義を利用してはいるがその実体は教祖や教団指導者を神仏と同等か超越した存在として祭り上げているかである。そして、そうした教団は神道や既存宗派から生まれている。身延日蓮宗国柱会霊友会立正佼成会など正宗とは比べ物にならない数のオカルト教団を輩出しているのである。こうした信仰宗教団体が何故これほど増えて信者を獲得するに至ったのか?もちろん信教の自由が憲法で認められたからだがそれは単なる表層的な理由に過ぎない。根本的な原因は戦前より存在していた既存宗派の怠慢にあると思う。江戸時代に幕府から保護されていた既存宗派は悠々自適で快適な時代を数百年過ごしすっかり宗教の命脈である布教を忘れてしまったのである。戦後、信教の自由が認められ宗教界はある意味で戦国時代に突入しても江戸時代の名残りでやはり布教をしてこなかった。敗戦で人々が一番困っている時にすら既存宗派は布教をしなかったのである。その結果、人々は既存宗教ではなく新しく生まれた新興宗教へと流れていった。新興宗教は既存宗派のように呑気にしていない。信者獲得の為に必死になって布教した結果が現在に至っているのである。そんな既存宗派の中で唯一折伏をしてきた正宗に対し既存宗派は「他宗の間違いを指摘(破折)するのは間違っている」「宗教には善悪や正邪などない」などといって批判してきた(批判している)のである。自賛毀他を禁じた江戸時代さながらの事を言っているのである。そのくせ、オウムや統一教会などが問題になると「カルト宗教に気を付けましょう」などというのである。オカルト状態の時は放置しておいていざ「オ」がとれてカルトになってから慌てて批判するなんて、こんなおかしな話はない。信仰者として宗教団体としてこんな自語相違をいう事は恥かしいことである。正宗は最初からそうした似非宗教を指摘して破折している。冒頭に書いた創価顕正会は自宗から発生したので、一番重点的に破折しているのである。逆に身延日蓮宗などは自宗から発生したオカルト教団立正佼成会を破折するどころか友好団体として誼を結んでいるのだから呆れかえる。他の既存宗派も同様である。自主から発生したオカルト新興宗教団体を批判することもせずに大衆迎合することが宗教だと勘違いしているのだから情けない。他宗はともかく折伏を常とした日蓮大聖人の御名前を宗名に付けている日蓮宗は自宗のそうした態度を恥じるべきだ。各既存宗派は一体いつまで江戸時代のを引きずっているのか?各宗派の宗祖が現状を見ていたらどれほど嘆くことか他宗のことではあるが各宗派の宗祖が不憫でならない。そろそろ既存宗派は目覚める時である。宗教団体の命である教義の布教に努めるべきである。正宗から見れば他宗派の教義は「教行証」不備・不一致の麤法であるがオカルト教義の数多の新興宗教よりは素晴らしい。そんな既存宗派がオカルト新興宗教団体の後塵を拝すのは情けないではないか。既存宗派が立ち上がって各宗派から発生したオカルト団体を無くしていく事こそが、オウムや統一教会等に続くカルト教団発生の一番の防止策である。身延日蓮宗真言禅宗・浄土・真宗などの僧俗よ「宗教は何でも同じ」などと言って無責任にオカルト宗教団体を放置してきた自分達の責任を痛感し目覚めよ。もっとも最後の結末は決まっているのだがね。

 

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