ピストル片手に乗り込むと開け放たれた大広間でパンッパンッとぶっ放しては畳に額をこすりつけるように這い蹲る悪党たちに小気味のいい啖呵を切る錦之助は役は次郎長ながら鞍馬天狗に水戸黄門を足したようなてんこ盛りの活躍です。そんなやや欲張った劇ながら浮ついたところがないのは米の不作のその裏で買い占めで値上がりを貪ろうという東映お定まりの悪巧みながらぐっと世情が次郎長の胸先に差し迫ってくるからです。高札に米の窮乏に付き無宿者への販売を禁ずると掲げられて、しかし空腹に涙を浮かべて彼らにむしゃぶり付かれてみるとひと握りの米の悔しさがわからぬ次郎長ではありません。極め付きは夜中に店に押し入ってきたのは鬢も半白な浪人者です。押し問答に業を煮やして抜刀したものの抜いた刃に居たたまれないのは彼の方で見かねて好きにさせると串刺しにした米袋から奪うのはたったそれっぱかしの米、貧乏暮らしに縮んでしまった巾着にはそれで一杯です。やり切れないのは翌日にその浪人者が自害したと聞かされたときであの米を鍋一杯の雑炊にすると木賃宿で身を寄せ合う者たち皆に馳走して久しぶりに苦労に沈んだ顔という顔に灯りがともり手拍子に唄と華やいだ一夜のあと浪人者は腹を切っていたと知らせる宿の者たちに力づくで揺さぶられます。錦之助にしても何かにむしゃぶりつきたい思いですが、見ればあの高札が高々と自分たちを見下ろしていて腹が減るのは誰も一緒なのに誰彼には売ってはならぬとひとつしかない腹を分け隔てる勝手がむらむらと癪に触ります。根本から引っこ抜いてそこいらに放り投げると今度こそ正真正銘うら寂れた連中にも分け隔てなくいや寧ろ世の世知辛さに踏みつけにされたそのひとたちにこそ米俵を開いてやります。やがて血相を変えた役人、捕り方がやってきますが、まあこんな男の子分になってみたいものです、累が周りに及ぶと見るや自らお縄に掛かります。さて一度目覚めた世の中にそれでも筋を通そうという気概はいまや膨らむばかり、父の月形龍之介にすれば頼もしいと思う反面若さに走れば見す見す将来の器を叩き割ることにもなりかねません、ここは昔からの言葉通り可愛い子には旅をさせると致しましょう。手持ちの弁財船に船人をつけて送り出してやります。大海原に日も落ちて空の船倉に気の置けない者たちが囲むとその後ろで何やらもぞもぞと動く影が... 見れば若い夫婦ものが身を潜めて密航です。しかも女を嫌う海の上を憚って妻を男の格好に仕立てる抜け目なさ、ふたりを見つめる一同にあって法印大五郎が思わず漏らした<夫婦で薩摩守とはよう考えとんなあ>、この台詞の下張りをそっと剥いでみようというのが今回のお話です。


マキノ雅弘 若き日の次郎長 東海の顔役 平幹二朗 扇町景子 田中春男 大前均
 

 

遡ること平安時代もいよいよあとひと吹きという頃、平家の専断を糾弾する以仁王の令旨が全国に触れられるや東国に叛旗が翻って討伐に繰り出した平家の軍勢が大敗したという知らせは都を揺るがします。古代この方朝廷の軍隊が地に塗れて逃げ帰ったのは史上初めてのことで大宮人たちの動揺は計り知れず押し寄せる時の流れに平家はほどなく都落ちとなります。遠ざかる都を一歩一歩、忍び寄る自分たちの運命を踏み分けていく一族から踵を返すとひとり馬を駆る武者は都に取って返して不穏の夜に門を閉ざしたその邸に向けて懐の巻物を投げ込みます。武者の名前は平忠度、邸の主は藤原俊成で一族はいずれ都に返り咲くとも自分の武運はそこまでの幾多の戦場で散るも覚悟の上であってただこの世の名残りはいままで物した自分の歌がわが身もろとも塵と消えてしまう口惜しさ。恥ずかしくない出来栄えの数十首を巻物にしたためていつか俊成が勅撰和歌集を宣下された暁に是否紐解かれんとあとを託して都大路の宵闇に消えていく忠度は生きてふただひ俊成の前に立つことはありません。やがて『千載和歌集』編纂の栄誉が下されたとき俊成はひと知れず巻物を紐解くと世を憚って読みひと知らずとした上で忠度の一首を書きつけます。その歌、

さざなみや志賀の都は荒れにしを
昔ながらの山桜かな

読めば人麻呂の一連の歌を本歌に引いているのがわかります。かつて都であった近江京を訪ねると時のままに荒れ果てた昔の栄華が悲しくも目の前に広がるさまを歌う人麻呂の反歌であって、新古今前夜の歌の海原に乗り出すこの歌にいまや壇ノ浦に沈んだ平家の命運すら浮かんで感慨がまさしくさざなみとなって寄せてきます。因みにこの忠度、或いは同じ時代の源頼政にしても歌をよくしたこのひとたちを武士にして軟弱な貴族の趣味に溺れたなどとゆめゆめ思ってはなりません(小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで』KADOKAWA 2016.6)。武士とは刀だの槍だの武勇にまかせて振り回す者たちを言うのではなく、宮廷文化のひとつである武芸を伝える者であって弓馬同様に和歌もまた彼らの必須の嗜みであればこそ将軍のみならず戦国の猛者たちまでが三十一文字に名を残すわけです。長い武家政権の時代にあってそれでも左衛門尉だの淡路守だのとっくに名前ばかりになった朝廷の位階を武士が頂くのも彼らが飽くまで(滝口の武士などを起源として)朝廷に連なってこその存在だからです(桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす 混血する古代、創発される中世』筑摩書房 2018.11)。そしてこの平忠度が薩摩守、だいたい話の結構が見えてきたところです。

 

 

 

 

狂言「薩摩守」は若いうちにあれこれ見聞しておかないと年を喰ってから思い出話に事欠くことになるとわざわざ住吉詣にやってきた僧がシテです。茶屋の主に進ぜられるまま茶を啜りますが親切と思ったその茶にお代がいると言われて慌てふためくほどの持ち合わせのなさ。こんなことでは住吉までの旅のあれこれも覚束なかろうと茶屋の主に授けられるのが淀川を上り下りする船の船頭は洒落好き、無賃を問い詰められてもそこは気の利いたことを言えば見逃してくれるとまず船賃を催促されたら<平家の公達>と答えよ、その心を聞かれたら<薩摩守>と答えよ、更にその心を聞かれたら<ただのり>と。きっとそなたの洒落に気をよくして船賃は目こぼししてくれると言われると俄然無賃の旅も心強く思えてきて僧は揚々と船に乗り込みます。落語の「狂歌家主」にも転じられるこの狂言の顛末はまあみなさんの予想の通りでして俄の入れ知恵は身につきませんが、さて冒頭の夫婦ものの薩摩守の方は船長に女は海に放り投げると詰め寄られて泣きべそで錦之助に縋ります。泣きつかれるとあとには引けず、とは言えいっかな船主の倅でも海に出れば力が物を言うのだと大木の二の腕を見せびらかす船長を前におめおめすっ込んではいられない錦之助です。ほどなく甲板で大格闘と相成りますが、ここは『古事記』の弟橘媛[おとたちばなひめ]の挿話がさりげなく引かれて錦之助を倭建命[やまとたける]になぞらえるなぞ、さてもさても欲張った映画です。

 

 

 

マキノ雅弘 若き日の次郎長 東海の顔役 汐路章

 

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マキノ雅弘 若き日の次郎長 東海の顔役 中村錦之助 平幹二郎 扇町景子

 

 

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