宗教的な禁忌を表す斎[ゆ]をふたつ重ねることからも〈ゆゆし〉は甚だしいさまを云います。畏れ多い、忌まわしいからそれをそのまま折り返した恐ろしいまでの美しさや素晴らしさを意味します。ですから〈ゆゆしきまで美しうて〉というのはその美しさに魅了されつつどこかで畏れる思いが重なります。

 

 

〈吹き過ぎていく風にざりける〉、風だったのかないのか、一瞬迷う〈ざりける〉です。この〈ざり〉は否定の〈ず〉が変化したのではなく係り結びの〈ぞ〉です。逆に言えばそうだから〈ける〉と連体形で受けます。〈風だったなあ〉の意味。ややこしいのは〈ざりけり〉は〈ず〉が変化したもので否定です。

 

 

〈百敷や古き軒端のしのぶにも〉と百人一首の掉尾を飾る順徳院御製にもある〈百敷〉。そもそも大宮を引き出す枕詞ですが、大宮自体を差すようになります。語の成り立ちには百官の座を敷く、都の造営に広く土地を敷いたなどがありましたが、賀茂真淵曰く万葉集の百磯城より来る、皇居の盤石なるを云う。

 

 

古典では動詞の活用形のうち語尾が<あ>音になるもの、つまり未然形に<し>が付いた形容詞は数知れず、例えば<かがやく>が<かがやかし>。さて<かがやかし>、眩い(ほど立派である)という意味は勿論ありますが、そもそもは恥ずかしさで頬が赤らむさまを差して、面映い、恥ずかしいが始まり。

 

 

窪薗晴夫 の『通じない日本語』によると鹿児島で<おかべ>というのはお豆腐のこと、しかし単に方言ではなく宮中の女房言葉からやってきたものだとか。直接口にするのを憚って言葉の一部に<>をつけて言い換える女房言葉はむつきがおむつ、つむりがおつむという具合。鳴らしを憚っておならとは。

 

 

 

ご存知の通り<にほふ>に現代語のような匂うの意味は弱めです。嗅覚よりも視覚に捉える言葉で美しく色づく、鮮やかに照り映えるさまを言います。語源を見ると<にほ>は丹秀、赫土の艷やかな赤を基にします。故に<秋さればもみぢ葉にほひ>。万葉集 には<にのほなす>もあってこれは赤くいづるさま。

 

 

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