ジェームズ・フレイザーの調査によると、北ローデシアの原住民族・アエンバ人の間では、もしその亭主が不義密通の現場に踏み込み得た場合、彼はそのまま姦婦・間男両名を怒りに任せてぶち殺しても、何ら罪には問われぬことになっていた。
「重ねて四つ」──江戸時代の日本社会とそっくりそのまま瓜二つ、同型同種のシキタリが敷かれていたといっていい。
(Wikipediaより、ジェームズ・フレイザー)
もしも亭主が殺意を引っ込め、離縁を言い渡しもせずに、女房の罪を赦しても。想像したくもない事態だが、夫の慈悲にも拘らず、妻が再び彼を裏切り、不貞に走ったとしたら。……その時はもう、どんな弁明も役に立たない。問題は夫婦の枠組みを超え、村ぐるみでこれを罰するフェイズに移る。
この場合、罰とは即ち死であった。
それも惨刑を以って処す。串刺しである。村外れの刑場へ間男・姦婦を曳いて行き、百舌鳥の早贄の真似事を、彼と彼女の
(Wikipediaより、モズ)
血が流れ、苦悶に呻き、死への長い道中を歩まされる二人へ向けて、村人たちは冷嘲熱罵、ありったけの語彙を盡してその尊厳を貶めるべく努力する。二人が真に絶息するまで、言の葉による凌辱劇は続くのだ。
アエンバ人の社会に於いて、不義密通とはそれほどの罪。神に対する冒涜であり、
神をも恐れぬ馬鹿者が同族から出た以上、他の「正常な」分子らは自分が如何に「正常」か、神の御前でまざまざと証を立てねばならない理屈。そのあたりを斟酌すると、最初の一度を赦すか否か、旦那の意向に委ねるは、むしろ寛大に過ぎるのではなかろうか。
(『サイバーパンク2077』より)
似たような精神傾向は、なにも暗黒大陸や南溟諸島のジャングルの奥のみならず、上古欧州の各地にも容易に見出し得るものと、フレイザーは指摘する。
「インド最古のマヌ法典に、刑場に於いて姦婦は生きながら犬に喰はしめ、姦夫は赤熱の鉄床で焼殺すべしと定めてある。古代バビロンのハンムラビの法典には、姦夫姦婦は絞殺して河に投じ、母子相通ずれば、母子共に焚殺すると定めてある。ユダヤのモーゼの法律に男女の非行を厳刑に照したのも是等と同一の理由に由るであらう、モーゼの法律によれば姦夫姦婦は死刑に処せられ、結婚する時処女でない事が解れば石子責に処せられ、僧侶の娘で童貞を破るものは焚殺され、男子が母娘を併せ娶れば三人共に火刑に処せられた」
(Wikipediaより、モーゼ像)
「中央スマトラのバタ族は、姦夫を死刑に処して其の肉を喰ふ。併し、之を裁判するものは本夫と其の友人である為めに、憎悪が昂じた場合には、槍で生命を絶つ前に生きながら肉を削いで喰はれる事がある」
「ロンボク島の土人は非常に嫉妬深く、其の妻に対して極めて惨酷である。有夫の婦人は、未知の男子から煙草を貰っても死を免れない。英国の一商人と同棲して居った土人の娘が、村の祭りの時、他の男から花か何かを貰ったと云ふだけで、其の地の酋長は、英人が極力庇護したに拘らず、此の娘を殺したと云ふ例がある」
(Wikipediaより、ロンボク島)
いやはや何とも食欲の失せる描写続きで恐縮することである。
どうせこの世は男と女、好いた惚れたでやかましい。そいつが絡むと往々人の感情は、いとも容易く瞬間沸騰、酔っ払った蟹みたく白い泡を吹きこぼしたり、事と次第によってはもはや、心という器自体に亀裂を刻みさえもする。
考え来れば、「脳破壊」という表現は、存外妙を得たモノだ。
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