海外旅行回想録(22) ー アメリカ(後編)

はじめに

この記事のシリーズでは三十数年前に行った海外旅行を中心に特に思い出に残っている観光の回想録をご紹介しています。

この記事ではアメリカ東海岸への旅行の体験(後編)としてナイアガラ、フィラデルフィア、ワシントンD.C.、フロリダ、ケープメイ、プエルトリコなどでの観光をご紹介します。

22. アメリカ(後編)
ナイアガラ

ナイアガラの滝はカナダとの国境にありアメリカ東部ではニューヨークと並ぶ人気の世界的観光地です。今までにカナダ側から1回とアメリカ側から1回観光で訪れたことがあります。

   

子供のころから写真やTVなどで何度もその姿を見てきましたが、やはり実際に現場でその期待を上回るスケールを体感するとこれが世界で最も有名な滝であることが納得できます。

雨合羽をまとって階段で絶壁を降りていき滝の近くまで近づいて見た時や、観光クルーズ船で滝つぼに近づいて大変な水しぶきを浴びながら滝を見上げた時などは滝の豪快さと迫力に圧倒されました。

家族と訪れた時は滝の近くのホテルに宿泊したので夜までゆっくりと観光を楽しむことができました。ナイアガラの街には往年の名司会者としてTVなどで大活躍した大橋巨泉が経営するOKギフトショップがありました。訪れた時は店内は日本人観光客で混み合っていました。

ちなみにOKギフトショップは世界中にありましたが、このナイアガラ店は現在は閉店してしまったそうです。

ある日夕食を済ませて夕方の滝を見ながら散策していた時、なぜか滝の周りにたくさんの人が次々に集まってきて、それぞれ思い思いの場所に座り込んでいました。

そのうちに暗くなってきた空に花火がたくさん打ち上げられました。何事かと思って思わず日にちを確認するとたまたま当日はアメリカ独立記念日の7月4日でした。

その時は思いもかけずナイアガラの滝と花火の競演を見ることができて楽しい思い出になりました。

フィラデルフィア

フィラデルフィアはニューヨークとワシントンD.C.のほぼ中間地点にある大都市です。1776年にここでアメリカ独立宣言が採択されアメリカ誕生の場所となりました。その後約10年間はアメリカの首都として栄えたそうです。

アメリカ建国にまつわる歴史の街で自由の鐘、独立記念館、フィラデルフィア美術館など見所はたくさんあります。独立記念館では建国時の古い資料のコピーを無料で手に入れることができました。使われている英語は古い言葉・言い回しのものでちょっと読んでも良く理解できませんでした。

観光で最も楽しみにしていたのがフィラデルフィア美術館でした。

この美術館は1876年に米国建国100周年を記念して開館しました。古代から現代までアメリカやヨーロッパを中心に広い分野の所蔵品を誇り、アメリカ東部ではニューヨークのメトロポリタン美術館とボストン美術館に次ぐ規模の立派な美術館です。

上の写真はフィラデルフィア美術館の正面の風景です。赤レンガ色の建物が素敵です。

   

左上の写真は「Philadelphia Museum of Art」と書かれたプレートが分かるように撮影した正面入り口付近の様子です。

右上の写真は美術館を背にして市の中心部を眺望した写真です。市の中心部に向かう真っすぐな大通りが印象的です。

実はこの正面の階段は大ヒットしたアメリカ映画「ロッキー」のロケで使われたところです。ロッキーがトレーニングする中で階段を力強く駆け上がるという印象的なシーンの撮影が行われました。ちなみに当時はまだありませんでしたが現在は正面近くにロッキーの銅像が建てられているそうです。

フィラデルフィア美術館は絵画ではクロード・モネ、エドガー・ドガ、ポール・ゴーギャン、ぺーテル・パウル・ルーベンスなどの作品や日本絵画も色々と展示されていて半日ゆっくりと楽しむことができました。

上の写真はフィラデルフィア美術館の近くにあるロダン美術館です。フランス以外では最大の規模のロダンのコレクションを収蔵しているそうです。

   

左上の写真はあまりにも世界的に有名なオーギュスト・ロダン作「考える人」です。

右上の写真はロダン作「地獄の門」です。現在世界に7体あって、このフィラデルフィアのロダン美術館のものは、東京の国立西洋美術館にある最初の鋳造エディションの次に鋳造されたものだそうです。

フィラデルフィアはニューヨークから車で2~3時間の距離にあります。アメリカ建国の歴史探訪、美術館巡りなど1日たっぷりと楽しむことができました。

フィラデルフィアでのちょっとした面白い体験

当時フィラデルフィア美術館からの帰りにバスで最寄りの駅まで行こうとしたときにちょっとした面白い出来事がありました。これはこのブログの「旅先で体験した小さな交流(1)」でご紹介しています。

私はフィラデルフィア美術館の見学を終えた後、近くの鉄道の駅までバスで移動しようと思い、最寄のバス停まで歩いて行きました。

バス停で時刻表を見ると次のバスまではかなり待たなくてはなりませんでした。歩いて行くかどうかと迷っていたところ、同じように次のバスを待っていた一人のアメリカ人らしきシニアのご婦人が私に急に話しかけてきました。

「バスがなかなか来ないので駅まで歩いてい行きたいのだけれども、女性の一人歩きは危険ななのでどうしようかと迷っています。駅にいらっしゃるのならご一緒に歩いて行ってくれませんか?」

私も歩いても構わないと思っていたので「いいですよ!ではご一緒に行きましょう。」といって2人で歩いて行きました。

駅までは歩いて15分くらいはかかったと思いますが、そのご婦人は道を詳しくご存知のようで私も安心してついて行きました。途中適当に世間話など少ししました。

駅に近くなるとご婦人が少し怪しげな薄暗い建物の中に入っていったので心配になって尋ねたところ、「この道は近道なので安心してください。」と言われました。

私はこのご婦人に最後までついて行って本当に大丈夫(安全)なのかと少し不安になりましたが、最後にはちゃんと無事に目的の駅に到着し、お互いにお礼を言って分かれました。

このようなことは日本では全く考えられないような出来事で、同時にアメリカの治安の問題点を浮き彫りにしていると思いました。

ワシントンD.C.

ワシントンD.C.はポトマック川の北岸に位置するアメリカの首都であり、ホワイトハウスや議会議事堂などの連邦機関、各国の大使館、世界銀行、国際通貨基金などの本部も置かれています。

上の写真は国際ニュースで幾度となく見てきたホワイトハウスです。柵から建物までは思っていた以上に離れていると思いました。

上の写真はアメリカ合衆国議会議事堂です。写真の右下には見学の順番を待つ人の列が見えています。2021年1月6日にトランプ大統領の支持派が乱入したことで大きくニュースに取り上げられた場所です。この建物はドームが特徴的な新古典主義建築だということです。

   

議事堂の内部は議事堂ツアーに参加して見学しました。上の写真はその内部の様子でかなり荘厳で豪華な造りになっていることが分かります。

   

左上の写真はトマス・ジェファーソン第3代大統領のモニュメント、右上の写真はエイブラハム・リンカーン第16代大統領のモニュメントです。

    

左上の写真はジェファーソン大統領の彫像、真ん中の写真はリンカーン大統領の彫像です。それぞれその上の写真のモニュメントの内部に収められています。どちらの彫像も近づくと予想以上に大きく、迫力と威厳が感じられました。

右上の写真はワシントン記念塔です。これはアメリカ建国の父とも称される初代大統領のジョージ・ワシントンを顕彰する白いオベリスクです。1848年から1884年にかけて建設された高さ169メートルの塔で頂上のピラミッド部分には展望台があります。

この塔はワシントンD.C.では人気の場所だそうで、歩いて近づいていくと想像していた以上に横幅と高さがあることに驚きました。

スミソニアン博物館

スミソニアン博物館は、科学、産業、技術、芸術、自然史など19の博物館、教育研究機関の集合体で、スミソニアン学術協会が運営しています。

スミソニアン学術協会が収蔵しているコレクションは1億4000点にものぼると言われており世界最大の規模を誇ります。特に世界各国の本物の航空機や月の石を展示している国立航空宇宙博物館が人気です。ワシントンD.C.に来たら知的・美的刺激満載のこの博物館群を是非訪れることをお勧めします。

上の写真はスミソニアン博物館の本部建物です。建物の外にもたくさんの観光客が歩ています。

上の写真はスミソニアン博物館の壁画のようなものです。絵がとても面白かったのでついシャターを切りました。

上の写真は1969年7月20日に人類で初めて月に着陸したアポロ11号の月着陸船「イーグル」です。国立航空宇宙博物館に展示されています。

ニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン月着陸船操縦士の2名のアメリカ人の人形も展示されています。この月着陸船の実物は宇宙に廃棄されたので展示されているのは同型の実験機ということです。

   

左上の写真は国立航空宇宙博物館に展示されている無着陸で世界一周に成功した飛行機です。

右上の写真は国立自然史博物館の大型恐竜の骨の展示の様子です。恐竜の骨はやはり子供たちに大人気でした。

スミソニアン博物館群はとにかく貴重な膨大な幅広い分野の展示品があり1日では見つくせないほどです。また入場料がすべて無料だと聞いた時には、アメリカの豊かさ、懐の深さ、科学・文化・芸術に対する積極的な姿勢に感服しました。

ワシントンD.C.のその他の観光スポット

   

左上の写真は日本から贈られた桜が植えられていることで有名なポトマック河畔の遊歩道の風景です。少し散策しましたが川と緑が美しくとても気持ちの良い場所でした。

右上の写真はアーリントン国立墓地です。アーリントン国立墓地は、独立戦争以来のアメリカが関わった戦争で亡くなった兵士30万人以上が埋葬されている広大な歴史的な墓地です。この写真は「無名戦士の墓」の前で特別に訓練された衛兵が警護している様子です。

またワシントンD.C.にはドラマや映画で有名なFBI本部ビルがあります。私たちも訪問し、内部見学ツアーに参加しました。他の観光客と一緒に10名程度のグループになって内部ツアーを楽しみました。

歴代の犯罪に関する資料や捜査手法などの展示や説明の他、FBI捜査官が実際に使用している拳銃と自動小銃の実弾射撃もすぐ間近で見学することができました。自動小銃は単発打ちと自動連続射撃の両方を丁寧に実演してくれました。かなりの音と迫力に見学者はみな緊張していました。

最後にはFBIのガイドさんに自由に質問できる時間ももうけられていて、私もローカル警察との連携について質問をしましたがとても親切・丁寧に答えてくれました。

当時はこの内部見学ツアーは観光客に大変な人気でしたが、その後一般公開を休止したり、またアメリカ市民に限って公開されたりと時期によって公開・非公開がまちまちのようです。

アメリカの刑事ものTVドラマに興味がある人は是非このFBI本部を訪れることをお勧めします。

フロリダ

フロリダはアメリカの中でもとりわけ気候が温暖で、毎年退職後のシニアが北の方から多く移住してくるそうです。ハワイもアメリカ人の退職者に人気の移住先だと聞いていますが、陸続きのフロリダの方が車でも行けますので気軽に移住しやすいのかもしれません。

フロリダ観光の時はニューヨークから飛行機で行って、マイアミとキーウエストに宿泊しました。マイアミ、エバーグレーズ国立公園そしてキーウエストで観光を楽しみました。

エバーグレーズ国立公園

この国立公園はフロリダ半島の最南端にある広大な湿地帯にあります。映画やドラマのロケでも良く使われていて、湿地帯独特の環境のために他では見られないようなユニークな風景を形作っています。

上の写真は湿地帯を縦横無尽に走り回るプロペラ船です。スクリューが付いた普通の船では進めないほど水深が浅いので船の後ろにプロペラを付けた底の浅いプロペラ船(エアーボート)を使います。映画などではこのプロペラ船同士のチェイスのシーンがよく出てきます。

この観光の際にプロペラ船に初めて乗りましたが、エンジンとプロペラの音がものすごく大きくて自分が発した声が聞こえないほどでした。

プロペラ船による観光ツアーでは湿地帯に住むワニやその他の色々な野生の動物をみることができます。私たちが観光した時は残念ながら最後までワニの姿を見ることはできませんでした。

上の写真は国立公園内にあるワニ園で、ここでは本物の大きな狂暴そうなワニをじっくりと見ることができました。

上の写真はフロリダ半島の最南端からさらに南にあるキーウエストへ行くときに車で通ったセブンマイル・ブリッジです。橋の長さが7マイル(11km)もあるということでこの名前が付けられたようです。

空から見ると綺麗なマリンブルーの海の上に白い橋だけが浮かんでいるように見える絶景のために、新発売の自動車などのTVコマーシャルなどで頻繁に使われている有名な場所です。

キーウエスト

キーウエストはアメリカ最南端の島です。下の地図にあるようにマイアミから南西の方角に約260Kmの距離にあります。輝くコバルトブルーの美しい海に囲まれたリゾート地です。

上の写真はキーウエストの港の風景です。やはり南国リゾートの雰囲気が漂っていました。

キーウエストで最も人気がある観光スポットはヘミングウェイの家です。小説「老人と海」「誰がために鐘はなる」などで有名な文豪アーネスト・ヘミングウェイが32歳から41歳までの約8年間を過ごした邸宅が残されています。

現在は博物館として一般公開され、邸宅内ではヘミングウェイが実際に使っていたタイプライターや椅子などの調度品を見ることができました。また庭に出ると、ヘミングウェイが飼っていた猫の子孫がたくさんいてびっくりしました。

ネコの中には珍しい6本指の猫もいるとのことです。ヘミングウェイがプレゼントとしてもらった猫が遺伝子異常で6本指だったそうです。

キーウエストのもう一つの楽しみはグラスボートに乗っての魚の観察です。今まで八重山諸島、パラオ、オーストラリア、ハワイなど色々なところでグラスボートで魚を観察する機会がありましたが、ここのキーウエストが最も魚の種類や数が豊富でとても楽しめました。

   

   

上の写真はその時に撮影した写真ですが、多くはイエローテイル系の魚で、右下の写真の黒っぽい大きな魚はシーバスのようでした。

キーウエストに宿泊しましたが夕食でいただいたシーフードはとても新鮮で味も絶品でさすがに魚が豊富な島だと実感しました。

ケープメイ

ケープメイはアメリカで最初に海水浴場が開かれた海沿いの歴史的なリゾートタウンです。下の地図(Googleマップ)にあるようにニューヨークからほぼ南に約250Kmの位置にあり、車で行けば約2時間半の行程です。

ここはアメリカで最も多い約 600 戸のビクトリア様式の建造物が集中する場所であり街全体が国定歴史建造物に指定されているそうです。また18 世紀の海賊と密輸業者にとってケープメイはお気に入りの場所だったという話もあるそうです。

ケープメイはアメリカ屈指の海辺のリゾートですが日本人にはほとんど知られていないと思います。しかし日本人でもアメリカのTVドラマをよく見ている人は知っていると思います。

アメリカや世界で人気を博しているアメリカTVドラマ「ブラックリスト」の主人公であるエリザベス・キーン(通称リズ)の母親カタリーナ・ロストヴァがケープメイの海で自殺を図ったという筋書きになっているからです。

ケープメイ観光ですが日帰りは少しきついので1泊2日の予定でニューヨークから車で出かけました。

途中かなりの田舎でしたが予想以上に綺麗に整備された高速道路は片道2~3車線もあり、中央分離帯も対抗車線が見えないほど距離が離れていました。

当時の車にはもちろん現在話題になっているような自動運転機能はありませんでしたが、それでも「オートクルーズ」装置があったので生まれて初めて使う機会にめぐまれました。

「オートクルーズ」はアクセルを好きな位置に踏み込んでセットするとあとはアクセルから足を離しても自動的に速度を保ってくれるという単純なものでした。それでもこれを活用し、両足をベダルから離したままでハンドルに手を軽く乗せておくだけですみます。

私たちの車以外はほとんど走る車に遭遇せずに快適すぎる状況で気持ちよく運転することができました。

信号はめったにないのでそれで止まることはなかったのですが、残念なことに頻繁に料金所が設置されていました。無人の料金所で25セント硬貨を1つ収納袋に投げ込むだけでよかったのですがどうしても速度を落としたり一時停止したりする必要はありました。

ほとんど車が通らないのにとても立派に作ってある道路を長時間走ってみて、いまさらながらアメリカがとても裕福な自動車大国だと認識させられました。

アトランティック・シティ

上の地図でも分かるようにケープメイに行く途中にカジノで有名なアトランティック・シティがあります。ここにもついでに立ち寄ることにしました。

上の写真はアトランティック・シティの海岸のウッドデッキの遊歩道です。カジノがあるホテル群のすぐ裏の美しい白い砂浜で海水浴や日光浴が楽しめるようになっていました。

私は賭け事は全く興味がなかったのですが、カジノには興味があったので生まれて初めてカジノに足を踏み入れました。色々なゲームがありますがとにかく良く分からないのでルールが最も簡単なスロットマシンに挑戦しました。

スロットマシンがずらっと並んでいる場所には、アメリカのシニアのご婦人がたくさん一人で真剣な表情で楽しんでいました。皆さんの定年後の気晴らしのようでした。

私たちも少し換金し挑戦しましたが、「ビギナーズラック」とはいかずに10分ほどで何も得ることができないままトークンはあっけなく尽きてしまいました。

その後アトランティック・シティの海岸を少し散策し、またケープメイへ向けて車を走らせました。

ケープメイに近づくと遠くに白い特徴的な灯台が見えてきました。

この灯台はケープ・メイ・ポイント州立公園に1859 年に建てられたケープ・メイ・ポイント灯台で(左の写真)、ケープメイのシンボル的存在になっていました。

ケープ・メイ・ポイント灯台の内部には階段が約200段あり、展望室まで歩いて登れるようになっていて、そこからケープメイの雄大な海岸線を眺望することができるとのことです。

左の写真は約32年前の灯台付近の様子ですが、現在グーグルマップのストリートビューで確認すると周辺の道路や橋などはかなり整備が進み綺麗になっていました。

上の写真はビクトリア様式の建造物が立ち並ぶ海岸線の様子です。この右側が海です。ケープメイならではの独特の素敵なリゾート感溢れる風景です。

上の写真は海岸から少し奥に入った場所にあった素敵な建物で、思わずシャッターを切りました。

   

左上の写真は当時存在した海洋博物館です。現在はなくなっているようです。右上の写真はケープメイの街角の風景です。当時は日本のように電柱が街中にたくさん立っていたようです。

私たちの車は夕方にケープメイに到着し、ある一軒のビクトリア様式の素敵なホテルにチェックインしました。夕方海岸線を散歩しているとたまたま近くの教会で何かのイベントでコーラスが披露されていたので私たちも素敵なコーラスを聞かせてもらいました。

翌日は海水浴場で昼過ぎまで海水浴と日光浴をゆっくりと楽しみました。当時海水浴場には人はまばらでしたが、所々に立派な見張り台が設けられていてボランティアらしき青年たちが海水浴客の海の安全を監視していました。

日本の海水浴場と違って、砂浜も海の水もとても綺麗で、さらに人がほとんどいなかったので気兼ねなくゆっくりと楽しむことができました。

プエルトリコ

日本人には知名度はあまりないと思いますが、30年ほど前にプエルトリコに行く機会がありました。

年中温暖な気候で知られるカリブ海にある複数の島からなるプエルトリコは昔はスペインの植民地でしたが、現在はアメリカの自治領となっています。今でも建物、料理、音楽、言葉などにスペインの伝統が色濃く残っているようです。

もちろん英語も広く話されており、アメリカのドル紙幣が流通しています。聞くところによるとプエルトリコではナイキなどアメリカのブランド製品の生産が盛んに行われていてアメリカ本土に輸出しているとのことです。

当時プエルトリコの空港に到着後、入国審査を受けましたが、日本人が珍しいようで担当官に10~20分ほどかけて色々と質問されました。最初のころはお決まりの「入国の目的」、「予定滞在期間」、「宿泊先」の質問でしたが、だんだんと世間話のようになってきて時間がたち、いつ終わるのかと心配になったほどです。

当時同じ飛行機で入国する人の数も少なく、担当官の人達は半分暇つぶしに笑顔で追加の質問や話をしていた?と想像されます。

街の中は陽気な人たちで溢れ、カリブ海地域独特のドラム「スティールパン」のキンキンする音があちらこちらで常に鳴り響いていたのを覚えています。

上の写真は宿泊したホテルのロビーに飾ってあった生け花ですが、トロピカルムード溢れる見事な飾りつけだと思いました。

上の写真はホテルの中庭で、朝食もこのような空が見える緑に囲まれた場所でとりました。食事中には周りにたくさんの鳥が飛んできていて鳥の声がとても賑やかでした。

観光では湾内クルーズや昔の砦の見学などを楽しみました。カリブ海はやはり思っていた通りにスコールも多くかなり蒸し暑い場所でした。日本の梅雨時の蒸し暑さよりも厳しいと思いました。

終わりに

経済大国、金融大国、科学大国、自動車大国、資源大国、軍事大国など○〇大国という呼び方が似合うアメリカは豊富な資源、移民受け入れによる人材確保・人口増加などによって継続的に豊かな国であり続けています。

観光面からも東海岸、西海岸、内陸部それぞれに大自然、個性的な各都市、文化・芸術、ファッション、食と多様な広がりを持ち、豊富な観光資源を有するという面からも観光大国と言えそうです。

アメリカの多くの人々は明るく、社交的で、気さくで、親切であると感じています。安全に不安があるとよく言われますが、場所と時間さえ十分に気を付ければ犯罪に巻き込まれることも少ないと思います。

30年以上前から何度も行ったアメリカですが、訪れていない気になる観光地はまだたくさんありますし、大国でありながら発展・変貌を続けていますので行くたびに新たな魅力を発見できると思っています。

2019年の9月に、アメリカ西海岸に近いグランド・サークル(アーチーズ国立公園、ホースシューベンド、アンテロープキャニオン、モニュメントバレー、グランドキャニオン、セドナなど)という最近注目を浴びている地域を観光で訪れました。

このグランド・サークル地区にはまだ観光ルートには入っていない魅力ある大自然がたくさん残されているそうですので、観光で行けるようになったら早めに訪れたいと思っています。

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