昭和初期の一幕
おじいちゃんたち、最初は中心街からは一駅離れたところにいたそうですが、家があいたからということで、(その地域では一番の)街の方へ移りました。
これ、おそらく、終戦直前に引き揚げて帰っているので、空襲を避けるためにこのような…(すいません…)内陸にしたんだろうなと推測できます。
もっと早く、根掘り葉掘り、きちんと話を聞いておくんだったな~。
家が空いたからといって移った場所は、武家屋敷が立ち並んでいた場所で、おじいちゃんたちが入ったのも、その武家屋敷の一つだったのだそうです。
しかし、引き揚げた時には、古いことばでよく母が使っていましたが「素寒貧」
しかも子どもは6人!
めちゃくちゃ苦労したと言っていました。
ソウルの大きな家で、日本人だからということで、現地のかたを女中さんとして雇い、ひな人形が三つもあったというお嬢さん生活をしていた母は、弟たち、妹たちの世話にてんてこまいだったらしいです。
だから、母が女王様なのも仕方がありません。
みんな、母の言うことには下を向くし、逆らえないのです。
おじいちゃんは、大陸から引き揚げてきて、その地域のバス会社に就職しました。
そこから、もともと大陸で運送会社の重役をしていた経験をかわれ、支店長になったそうです。
母からだけ話を聞いていたのとは違って、まだ若いおばちゃんの視点から聞くのはとても新鮮でした。
「高度成長期なんてまだまだ!ぜんぜんあとの話でしょ。貧乏でほんとうに大変だったのよ!」
おばちゃん、さりげな~く、自分の恋愛話もぶっこんできました!
そしてみずからやっぱり言ってます。
「美人三姉妹だったからね!」
このおばも、イキイキとして明るくて、確かに魅力的です。
* * *
「それでね、おばあちゃんは恋愛をしたでしょう。失恋をしてね、『ボートに一緒に乗った人』は、お母さんがあまりにもおじょうさんだからって手を出せなかったっていう話。それと、『作家になった人』のほうは、お母さんの親友と結婚したの」
ここのところは、次に会ったときにくわしく、くわ~~しく、教えてもらうことになりました。
で、わたしの父と知り合ったということです。
父は教師をしていたので、その地に赴任をしてきていたようです。
「でね、二人でまだ結婚する前に、夜にお城の夜桜を見に行くって言って出かけたの。そのとき、おばあちゃん(母の母)が、あなた一緒についていきなさい!っていって、わたしもひょこひょこ、くっついていってね!今思えば、さぞかし邪魔だっただろうな~って思うのよ」
この、お城に夜桜を見に行ったのは、とても素敵な思い出だったらしくて、お城と夜桜の話は母もよく言っていました。
しかし、そこにおばちゃんもついていっていたとは…。
たぶん、おばちゃんは中学生ぐらいです。
お目付け役ということでしょうか。
ふたりきりにはしないという配慮を感じます。
昭和初期の時代のお話です。
* * *
これは、おばちゃんではなく、母から聞いたのですが、母が父と付き合うことになり、町でふたりで歩いていると、何せ狭い町のことなので、あの「ボートに一緒に乗った人」と鉢合わせをしました。
その人も連れがいたようなのですが、つかつかと母と父のところによってきて、
「〇〇ちゃん(母の名前です)、今、幸せか」
と聞いてきたそうです。
すごい圧!
父はどんな顔してたんだろう。
でもすごく温厚な人だったから、おとなしくしてたんだと思います。
母はというと、これはほぼ、あまりこういう圧だの空気だのというのは感じない人なので、無邪気な様子で(自分で言ってました)
「ふん」
と答えたそうです。
するとその人は
「そうか」
とだけ一言いって、戻っていったと聞きました。
圧だの空気だのは感じないといっても、やっぱり心に強く残っていたのでしょう。
娘のわたしに話したりするぐらいですから。
私は、昭和の日本文学の中では谷崎の「細雪」が好きなのですが、この細雪の四人姉妹も、返事をするときにいつも「ふん」と返事をするのです。
それで、読んでいるといつも、こんな感じだったのかもしれないなあ…、と思って、母たち姉妹のことを考えます。
細雪(上) (新潮文庫) (日本語) 文庫 - 1955/11/1 谷崎 潤一郎 (著)