かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 310,311 トルコ⑦

2024-04-19 10:55:25 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子旅の歌42(11年8月)【キャラバンサライにて】
    『飛種』(1996年刊)P139~
     参加者:N・I、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、T・H、
        渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取未放
                  

310 キャラバンサライに泊まりし六百人と馬駱駝その廃庭の一本胡桃

    (まとめ)
 セルジューク・トルコ(1077~1308)時代に多く整備されたキャラバンサライは、2階が人の宿泊室、1階に取引所などさまざまな商業施設と管理所、馬や駱駝の泊まる場があったという。かつて600人が泊まった大きな宿だが、今は昔のような隊商の為の宿としては機能していない。観光客に解放されている建物には土産物店等が入っているそうだ。そんなキャラバンサライの庭に一本の胡桃の木が立っている。胡桃の木は高いものでは8~20メートルになるそうだが樹齢はどうであろう。中国には樹齢500年の胡桃の木があるそうだが、その辺りが最古木だとするとキャラバンが行き来した最盛期をこの胡桃は見ていないことになる。しかしそんな理屈は措いて、廃庭にある一本の大きな胡桃の木を眺めていると、キャラバンサライがいきいきと機能していた時代を見てきた証人のような懐かしみを感じたのだろう。滅び去った昔を偲ぶのに「廃庭」がよく効いている。(鹿取)


311 キャラバンサライの廃墟に胡桃の木ぞ立てる机を置きて眠る人あり

   (まとめ)
 廃墟となったキャラバンサライに立つ胡桃の木の存在感が、「ぞ~立てる」と係り結びとなって強調されている。おそらくその胡桃の木陰であろう、机を置いて眠っている人があるという。この人間の体のリアリティが生々しく迫ってきて、長い長い歴史を負ったキャラバンサライを読者にくっきりと見せてくれる。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠草 309 トルコ⑦

2024-04-18 14:04:44 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子旅の歌42(11年8月)【キャラバンサライにて】
    『飛種』(1996年刊)P139~
     参加者:N・I、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、T・H、
        渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取未放
                  

309 瘤の水さへかすかさびしきけはひする秋の駱駝はすでに発ちしか

      (レポート)
 人間とその文明と共に過ぎてきた「駱駝」への情を読者に手渡している。世にあるもろもろがやがて「既に発ちしか」に収斂されてゆく。そんなことをしきりに思う。
  (慧子)

     (当日意見)
★駱駝によって秋の寂しさを感じている。(曽我)
★下の句は劇的な仕立てになっている。(鹿取)

    (まとめ)
 はろはろとした秋のただなかにあって、駱駝が瘤に貯えている水さえ寂しい気配がするととらえている。旅行者である作者の前に、現実の、たとえば観光用の駱駝は立っていたかもしれないが、作者が見ているのはもはや非在の、遙か昔の隊商の駱駝である。作者の空想の中で隊商の駱駝は東洋の絹を積んでもう出立してしまったのである。かつて鑑賞した「オリエント急行今日発車なし」と似たような手法である。
 余談だが、隊商達は沙漠でいよいよとなった時には駱駝の血を飲んで生き延びるのだと何かの本で読んだことがある。瘤の中の水は飲めるのであろうか。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 308 トルコ⑦

2024-04-17 09:48:46 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子旅の歌42(11年8月)【キャラバンサライにて】
    『飛種』(1996年刊)P139~
     参加者:N・I、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、T・H、
        渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取未放
                  

308 駱駝の背の意外なる高さ東洋の絹発(た)ちゆきしキャラバンサライ

      (まとめ)
 キャラバンサライに観光用の駱駝をおいているのだろうか。あるいは、古いキャラバンサライの建物を利用して駱駝を飼育している所もあるらしいからそれを見ての感想かもしれない。キャラバンは駱駝に荷を積んで移動したわけだが、駱駝を身近で見てみると意外なほど背が高い。荷は振り分けにするようなので荷を積んでもこれ以上に高くなるわけではないが、その存在感の大きさに圧倒されたのだろう。そして東洋の絹が東西の中継点であるここトルコから、更に西洋まで運ばれていったのだなあという感慨をもつ。「東洋の絹」はもろもろの文物が発っていった中のひとつを例示しているのではあるが、ここはどうしても「絹」でなければいけなかった。シルクロードという名称だからというだけでなく、透明な秋の空気の中で遙かな昔を偲ぶには、柔らかい光沢をもつ絹のはかなげなイメージがどうしても必要だったからである。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 307

2024-04-16 18:10:58 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子旅の歌42(11年8月)【キャラバンサライにて】
    『飛種』(1996年刊)P139~
     参加者:N・I、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、T・H、
        渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取未放
                  

307 キャラバンサライに秋うつすらと空気澄みてトルコを過ぎてゆきし文物

       (まとめ)
 キャラバンサライとは、シルクロードの交易路に建てられた隊商宿のことである。古くは7世紀頃からあるらしいが、13世紀以降盛んに建設され20世紀まで続いた。強盗団から守るために高い塀で囲まれ、広い中庭や監視塔があった。駱駝や馬を休ませる厩舎があり、一階で取引をし、二階に商人たちを泊めた。中には商店や浴場などを併設した宿もあったという。トルコにはそんなキャラバンサライのいくつかが当時の面影を残しながら観光施設として保存されているらしい。
 時は秋で澄んだ空気の中、キャラバンサライの跡に旅行者として身をおいていると、昔シルクロードを伝ってトルコを通り過ぎたさまざまな文物のことが思われる。キャラバンサライという建物から往事への連想が透明な秋の空気感の中ではろばろとした感傷を呼び起こしている。3句めは意味上は「空気澄み」で充分なのに「て」を加えて一音字余りにしている。この3句め字余りは西行なども「風になびく富士の煙は空に消えてゆくへも知らぬわが思ひかな」などとよく使う手法で、たっぷりとした情感を出している。(鹿取)
 
                      

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 243

2024-04-15 16:17:58 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究29まとめ(2015年7月実施)
   【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)100頁~
    参加者:S・I、M・S、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放


243 空いっぱいに透明大河流れおり欅若葉は藻のごとく揺れ 

       (当日意見)
★凄く大きい上からみ見下ろしような歌。(M・S)
★空いっぱいとあるから夏の豪雨をイメージしました。やっぱり宇宙的なイメージなの
 でしょうかね。(S・I)
★私は宇宙までは広げませんでした。下から大空を眺めています。風が吹いていて、風
 に色はないので透明ですが、その気流を大河のイメージで捉えています。その透明な
 河には大きな欅の若葉を付けた枝が枝毎藻のように揺らめいている。伸びやかでゆっ
 たりとした気 持ちの良い歌ですね。(鹿取)
★蛇足ですが、確かこの歌を含んで「透明大河」と題さたて一連は新人賞の歌作に入っ
 ていたと思います。歌壇賞を取られる前ですが。(鹿取)

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