かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の短歌鑑賞 94

2020-11-29 19:14:58 | 短歌の鑑賞
   ブログ版 清見糺の短歌鑑賞 13 生きることの意味
                                鎌倉なぎさの会   
                          
           
94 地平線に沈む夕日を追いかけてゆく旅にして老杜を憶う
        「かりん」96年10月号

 「老杜」は、盛唐の詩人「杜甫」のこと。晩唐の「杜牧」と区別して「老杜」と呼ぶ。杜甫は「春望」(国破れて山河在り……)「登岳陽楼」「石壕吏」などの詩で有名な放浪の社会派詩人で同時代の李白とも親交があった。
 この歌は中国の旅行詠。広い中国の地平線に沈む夕日を追いかけていく旅だから列車に乗っているのであろうか。九六年というと農村部はまだまだ貧しい風景が広がっていたことであろう。そういう風景を長時間見ながら旅をしているとしきりに杜甫のこと、そして杜甫がうたった世の中の乱れや疲弊した民衆のことのことが意識を過るのであろう。
 ちなみに、「憶老杜」の題で、芭蕉に次のような難しい句がある。

髭風ヲ吹イテ暮秋嘆ズルハ誰ガ子ゾ
【秋風に髭を吹かれながら暮れていく秋を嘆いているのは誰だろうか】

 作者は、芭蕉の題の「憶老杜」を結句に取っているのだが、実は芭蕉のこの句が杜甫の「白帝城最高樓」という七言律詩の本歌取りである。杜甫の詩の一節を掲げる。

杖藜嘆世者誰子 泣血迸空回白頭  
【藜(あかざ)ヲ杖シテ世ヲ嘆ズルハ誰ガ子ゾ 泣血空ニ迸ツテ白頭ヲ回ラス】

 もちろん、世を嘆いているのは杜甫であり、芭蕉であり、清見糺でもある。
ところで、藜が背丈ほどに伸びることは知っているが、人間の体重を支えるには弱すぎるだろう。しかも白帝城の樓に登っていいるのだから……これも白髪三千丈と同じ中国風の誇張表現なのだろう。(鹿取)




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