テーマ:政治・社会問題(2915)
カテゴリ:時事・社会
新型コロナによって日本の脆弱な体質が世界に晒されてしまった科学先進国でノーベル賞受賞者を数多く輩出している日本が、まさかこれほど危機管理能力のない脆弱な国家だったとは世界の誰もが驚いているのではないでしょうか。 ワクチン後進国という人もいるようですが、「危機管理能力のない平和ボケ国家」と言った方がより的確かもしれません。 こんな国で開催されるオリンピックに参加しなければならない外国の選手や役員の皆さんは、どんな思いでいるのかを考えると胸が痛みます。 有事下では形式的平等主義や前例踏襲主義は通用しない政治家は官僚とは違います。古い慣習や前例を打破できるのは政治家です。 覚悟のない政治家は、ひたすら形式的平等主義を守り、国民の批判を避けることに専念するでしょうが。 医療崩壊を起こして、救える命が救えなくなる地域と十分な医療が受けられる地域の間に格差が生じても、ワクチンが均等に配布されて形式的な平等さえ守られていれば、これをよしとするのでしょうか? 命の選択を迫られつつある医療崩壊地域の高齢者に集中的にワクチンを投入して、医療の負担を少しでも軽減させ、救える命を救う体制をつくるのが政治ではありませんか? 今さら泥縄的に医療体制を整えるのか、ワクチンを集中的・効果的に投入するのかどちらが現実的なのでしょうか? 現在申請中のワクチンをさっさと緊急承認できないのはなぜ?ファイザーだけに頼らずに競争原理を導入するためにも他社のワクチン(ただし現時点で安全性・有効性に懸念のないもの)を速やかに承認することが効果的なワクチン戦略ではありませんか?申請中のいずれのワクチンも外国の十分なデータだけでなく、日本の臨床試験データも少数ながら添付して申請しているようですが、その気になれば数週間で資料をチェックできるのでは? 厚生労働省、PMDAの総力を挙げて、審査の迅速化を図るべきではないでしょうか。 もちろん審議会の迅速化も当然のこととして。 それとも、このように公衆衛生上の危機に直面していても、まだ前例踏襲主義ですか? 「慎重な審査と言えるためのアリバイ作りに時間を浪費しているのでは」と思うのは、うがちすぎでしょうか? 菅総理がアメリカでファイザーと電話会議? 電話会議ならいつでもどこでもできるのに何故このタイミングで? 国民の関心の高いワクチンに関連して何かパフォーマンスをと考えたくなる気持ちもわからないではありませんが、バイデン大統領と対面で話をする最初のリーダーというだけで、十分ではありませんか。 どこかの知事さんのような芝居がかったパフォーマンスよりも、国民には菅総理の実直な姿を見せてもらうだけで十分です。あとは、いかに覚悟のある政治を見せてもらえるかです。 ワクチンの逐次的投入では、「コロナとの戦い」に迅速な勝利はおさめられないプロイセン(ドイツ)の将軍カール・フォン・クラウゼビッツは有名な著書「戦争論」で、「兵力の逐次的投入は愚策」と述べているではありませんか。 感染多発地域に十分な兵力(ワクチン)を投入せず、全国平等に逐次的に投入していったら、いつまでたっても多発地域の感染に歯止めがかからず、そこから全国に広がり、各地で医療崩壊をもたらし、結果的に地域格差がなくなるのが平等主義かとブラックジョークのネタになりかねません。 常に最悪の事態を想定して、先手必勝の構えで兵力を集中的に投入していくそんな覚悟と実行力のある政治を望んでいる国民は少なくないと思いますが、次の選挙でそれが実現できるとはとても思えない与野党の状況であり、たとえできたとしても日本の医療体制がそれまで持ちこたえられるのかどうか、今はそこまで考えなければならないほど追い込まれていると言えるのではないでしょうか。 TOPへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.07.08 08:21:32
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