「奥山に猫またといふものありて、人を食らふなる。」と、人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上がりて(※1)、猫またになりて、(1)人とることはあなるものを。」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺のほとり
にありけるが聞きて、(2)ひとりありかん身は心すべきことにこそと思ひけるころしも、ある所にて夜更くるまで連歌して、ただひとり帰りけるに、小川の端にて、音に聞きし猫また、あやまたず(※2)足もとへふと寄り来て、やがてかきつくままに、首のほどを食はんとす。肝心も失せて、防がんとするに、力もなく、足も立たず、小川へ転び入りて、「助けよや。猫またよや、猫またよや。」と叫べば、家々より、松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「こはいかに。」とて、川の中より抱き起こしたれば、連歌の賭物(※3)とりて、扇、小箱など懐に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有にして助かりたるさまにて、はふはふ(※4)家に入りにけり。 飼ひける犬の、暗けれど主を知りて、飛びつきたりけるとぞ。
(徒然草)
※1経上がりて:年を取って変化して
※2あやまたず:狙いを外さず
※3連歌の賭物:連歌の席での賞品
※4はふはふ:這うようにして

設問1:下線部(1)を口語訳せよ。
設問2:下線部(2)を口語訳せよ。
設問3:法師はどのような勘違いをしていたのか。わかりやすく説明しなさい。






現代語訳:徒然草 『猫また』 現代語訳と解説
     「徒然草:猫また・奥山に猫またといふものありて」の現代語訳(口語訳)  



<解答例>
設問1:人を捕まえることはあるそうなのになぁ。
設問2:一人で歩くような身は注意しなければならないことであると思っていたちょうどそのころ
設問3:うわさで聞いた猫又という動物に襲われたと思ったが実は自分の飼い犬に飛びつかれただけだったという勘違い。

<解説>
設問1:「とる」は重要単語ではないが「捕る」と漢字で書けることなどからも「捕まえる」という訳がもっとも適当だ。文脈から「食う」などと訳してもよいだろう。「あなる」は「あり」の連体形撥音便無表記+伝聞「なる」であり「あるそうなになぁ」と訳す。「なり」を推定ととらえても良いだろう。伝聞・推定「なり」はラ変の連体形に接続。「ものを」には終助詞としての詠嘆用法があり、「のになぁ」と訳す。文法書に載っているはずだがやや上級者向け。

設問2:「ひとりありかん」=「一人歩く」+婉曲「む」であることに気づく。「心する」は現代語と同じ。「べき」は適当・勧誘・義務のどれでとっても良い。「にこそ」は断定「なり」連用形+係助詞「こそ」である。最期の「しも」は強調の副助詞で「し」とセットで覚えるべき基本助詞。訳しにくいときは無視してよいが「ちょうど」などと入れると良い。

設問3:文の最後に落ちが書かれている。

<難易度>
設問1:標準
設問2:標準
設問3:やや易

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