墓場の裏から視ていた

孤島に屍骸、それの横に落ちていた日記。株の事とかを記録してある。

沈黙の臓器

 何年くらい前まで見かけていた街カドのちょっとした活力だったか、めちゃくちゃ昔でもなくて十年くらい前までならば残っていたような。

 早朝というかまだ深夜、そんな真っ暗な時間帯に家から出たり帰って来たりのタイミングの折、近所のバス道沿いでは新聞販売所だけが明るく浮かび上がっていて、その前面に中型トラックが荒い運転で急停車。運転手はサッと荷台に飛び乗って、重たそうな束になっている新聞を躊躇なく放り投げるという光景を目にすることが何度もあった。
 それを歩道に出て待ち構えていた数人の配達員がドンっと胸で受け止めていくが、たぶん何処かにある印刷所からのルート配送をしているトラックの運転手は、配達員が新聞の束を販売所内にすべて運び終える前にもう運転席に戻っていてアクセルを踏み込む。その荷台には新聞の山が残っており、次の販売所へ急がなければならない性質の仕事なのだろうが、とにかく「荒い!」という一連の様子が印象に残っている。わりと高齢な配達員に対しても放り投げるからヨロめいたりして、その遠慮のない荒さには「なんで?そんな・・・」となる妙なおもしろさがあった。タイミングよく出くわした時は『当たり』の感があったが、みんな見かけなくなった。
 あそこには何部くらいの朝刊があったのか、ドンっと胸で受け止める新聞一束が10や20ということはないしもう少しあるだろう、それが10束くらいで200~300部かな・・・つまり分からんけど300超~?この十年とちょっとくらいの間でも購読を止めたり亡くなったり、うちの近所の狭い周りだけでそれだけの数の新聞購読者が静かに消えているということ。


 その近所にある新聞販売所だった建物の取り壊しを先日から眺めていて改めて実感。これを市内全域として考えたら大きな変化が起こったのだと理解できる。当たり前が当たり前ではなくなった一つの例。
 フジテレビもそうだけど、広告報道の案件が主目的に成り下がったマスコミ部門が衰退することに対して悪い気にはならない。成るようになれ。ただ、ここの近所の建物に関してだけいえばモダンな意匠が施されていて歴史と趣がある街カドだった。そこが寂しくて残念。
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25年のミニマムFXもついにつかまった。日銀の利上げで円高株安に~と、単純に考えていたというよりは遅れずに連いていかなければという焦り。
順張りの追いかけエントリーをしたら底値ライン。逆を突かれて置いて行かれた。
それとポンド/スイス。こんな訳の分からん通過を触る気なんてなかったが、岐阜暴威さんの配信を見ながらこっちの画面でチャートを見ていたことが災い。切り替えを戻していないままにドル/円のつもりで成行。錯誤の約定もすぐに処分できるだろうと甘えていたらジワジワジワジワとしつこく上昇の一辺倒。
本当にいやらしくて面倒な通貨で今後二度と触ることはないようにするが、こういうしょうもないミスというか油断というか、どうしても排除できないから困っている。


せっかくチマチマと穏やかな気持ちで進めてきた25年のFXなのに。



それと、日経225マイクロ。
力を抜いて取り組んでみようと、しばらくは毎日の記録を残さないようにしているが末端からの参加は続けている。
しかし、どうやらこちらもアク抜け織り込み済みのパターンのようで、利上げ後に株安の見立ては逆を向いていたみたい。
24日(金)の午後のタイミングで誘い出されて置いて行かれている。いつまで経ってもどうしても騙されてしまう。
売り建玉の方を1枚多くしたままなのに連騰中。いっきに離されてしまった。


週明け月曜、午後あたりから調整段階に入ってもらわないと苦境。

現在のところ早くも3万円の含み損。25年も延々と同じことの繰り返しになってしまうのか。