前回のブログを書いてアップすることは、私にとっては大きな冒険でした。
私にとっては子供のころからの感覚でしたが、人間ではない感覚があるというのは、きっとほとんどの人に取っては受け入れがたい内容だと思うからです
それがいいねを頂くうちにそうでもないのかな
こんな自分でも受け入れてくれる人もいらっしゃるということがとても励みになりました
自己肯定感を頂けた気がします。
ありがとうございます
今まではどこかしら、人に受け入れてもらえる自分でいたいという思いがどうしてもありました。
でも、これからは幼い頃から感じてきた自分の感覚にもっと素直であってもいいのかなとお陰で思えるようになりました
子供の頃から関心があったこと
私が子供の頃から関心があったのは、人間の意識の成り立ちでした。
私自身がこの世界で何かをしたいという思いはなく、肉体を持たない観察者でありたいという感覚でした。
(チョットヘンナコドモデシタ)
当然、自分の中にも激しい感情が湧いてくることもあったのですが、激しい感情そのものを体験したことがないという感覚が私の中にはありまして・・・
泣くと自分の感情は収まっているのに身体の泣くという反応が止まらないのもなんでやろとか思っていました
また、ニュースなどを見ていると、何故一時的な感情に引っ張られて人生を破壊するような行動をしてしまう人がいたり、どう考えても不合理な戦争が何故、起きるのかも不思議で・・・
そもそも人を動かしている感情って何
人の意識の成り立ちとか仕組みを知りたいとずっと思っていました。
自分の意識の成り立ちすら分からない
その一方で、私の中には私の思考の範囲外から湧いて来る思いがありました。
例えば・・・
若い頃、人間関係に随分悩んでいたころに、自分を愛せない人に人を愛せるはずがないというフレーズが湧いてきました。
確かにと思う自分と自分を愛するってそもそも何?何故そんな言葉を思いつくの
と戸惑う自分がいました。
また、夫と出会ってまだつき合ってもいない学生時代、夫の手を見た時に私はこの手に食べさせてもらうのねと思った・・・
その時点では意味不明なフレーズでしたが、後に夫は職人となり、現在、夫の手から生み出す商品によって生活をさせて貰っているので、まさに夫の手によって食べさせてもらっています
どちらも自分の思考の流れからは生まれないフレーズだと思いました。
ではどこからだれか私を常に観察してる
そんな見えない意識体がやはりどこかにいるのかな・・・と昔からぼんやりと思ってはいました
自分の意識の成り立ちすらわからない状態というのは、無力感や不安感に繋がり、自分への自信が持てないのでした。
物忘れで自分への確信が揺らぐ感じと似ているかも
といっても、周りの人でそんなことに悩んでいそうな人はいなかったので、やはり私がおかしいのだろうなと思っていたのでした
「神との対話」に出会う
そんな私の悩みに一つの答えをくれたのは、1998年頃に読んだ「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)でした。
この本に出会った時は、神様が本当に軽やかにこの世界や人の魂について語られる事に夢中になりました。
私が知りたかった答えをくれているように感じ、私の生きる指標となりました。
そのせいなのか、読んだ直後から電車に乗っている時や自転車に乗っている時など、少し気持ちにゆとりができるタイミングで私にメッセージが降りてくるようになりました。
例えば・・・
あなたの人生に起こる出来事、すべての現象、あなたの出会う人etc・・・
すべては、私(高次元の人?)からからあなた(私のこと)への問いかけ プレゼント
それに対してあなたが感じることは、みな 私に通じる
あなたがこの世界で生きる事(で感じることの)
すべてが私とのコミュニケーション
あなたと私の対話
そうすることで(私の)本質に近づいていく
そんな言葉が突然湧いてきたのです。
正確には言葉ではなく、エネルギーが降りてきてそれを自分の感覚で翻訳して言語化するという感覚でした。
なんで私にと思いつつも
エネルギーが降りて来ている時はとても心地よかったのを覚えています
しかし、そんなことも数か月ほどで途絶えてしまいました
なので見えない世界からのアドバイスというのは、こちらが求めて得られるものではなく、自分から求めてはいけないものと思い込んでいました。
それがそうでもないとわかったのは、鈴木啓介さんの個人セッションを受けたほんの1年前のことでした。
私にはこの遠回りが必要だったのかなぁ
長くなってしまったので、続きはまた次回に・・・
最後までお読みいただきましてありがとうございます
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