小日向白朗学会 HP準備室BLOG

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アジアの平和一考

2022-01-21 | 白朗と私 会員思うままに・・・
米国は、台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。米国政府は、この立場に異論をとなえない。米国政府は、中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する。かかる展望を念頭におき、米国政府は、台湾から全ての米国軍隊と軍事施設を撤退ないし撤去するという最終目標を確認する。当面、米国政府は、この地域の緊張が緩和するにしたがい、台湾の米国軍隊と軍事施設を漸進的に減少させるであろう。(1972.2.28上海コミュニケから抜粋)
今から50年前だが、その前年7月と10月にはキッシンジャーと周恩来は何度も会談を積み重ねて平和への試行錯誤を、というか、平和のために米中が共同で何を言うべきかを熟考してきたといわれている。そして、平和、特にアジアの平和について心を砕いた形跡がある。アジアの平和とは、台湾だけではない、朝鮮半島の問題や、当時はアメリカをして泥沼に陥らせてもいたインドシナ(ベトナム、ラオス、カンボジア)の問題、そしてインド・パキスタン等々である。そうそうソ連(当時)、そして日本の再軍備の動き等もあったようだ。なぜ、中国とアメリカの巨頭二人が片寄せあうというか、共に並んで平和を模索するようなことができたのか、なぜそんな場面を実現することができたのか。・・・・1970年7月白朗のもとにアメリカから招聘のオファーが入ったことは白朗ファンの方であれば熟知のこと(エアメールコピー参照)。白朗は疑い深いところがあって一応は断っている。けれども執拗なオファーであったことと各種便宜(渡米手段など)を図ってのこともあったようで9月にはアメリカへわたっている。そして、翌年にキッシンジャー・周恩来会談が実現したのである。これでは「なぜ」の答えにはなってはいないが、今のところそれ以上は言わないほうが良いだろう。
 前述の上海コミュニケからあと1か月で50年の時間が過ぎようとしている。そんな時に我が国の前、いや、元首相が「台湾有事は日本の有事」などとあるフォーラムで発言されていたようだ。そういえば、秘密裏に事を運んではいたもののアメリカ内部などではキッシンジャー・周恩来会談自体をつぶしにかかろうとする圧力は相当なものであったらしい。50年経過してもアジアの平和は担保されていないのは残念な限りであるが、世の中そんなものなのだろう。白朗は「まだ、いまだにそんなこと言っているのかね…」とでも言われるだろうか。
しかし、キッシンジャーの真意はどこにあったのか。安易に結論付けると危険だ。98歳で今もなお元気なキッシンジャーについてこんな文書も公開されている。「When Kissinger learned that Tanaka was to travel to China to establish diplomatic ties, he lividly reacted, "Of all the treacherous sons of bitches, the Japs take the cake."」外交とはやはり一筋縄ではいかない、奇っ怪なものなのだろう。(文責:吉田)
【キッシンジャー補佐官の訪米要請書簡】

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