ウポポイ

かつて私営の「アイヌ民族博物館」であったものが
2020年から国営の「ウポポイ(民族共生象徴空間)」に生まれ変わった。
規模がドデカクなり、演出もかなりバージョンアップしていた。



予約は難解

規模が大きいことと、コロナ禍ということで、あるいは国立の限界なのか…
予約のシステムがやたらややこしい。

まず、入場券には、「一日券」と「年間パスポート」がある。
オンライン購入の場合、一日前までに購入と予約の処理をしておかねばならない(たしか…)。
「一日券」は日付指定で購入することになる。
「年間パスポート」の場合は、別途「入場日予約券」(無料)もゲットしておく必要がある。
ただし、当日でも空きがあれば、現地でそれら入場券を購入し、入場することができる

ちなみに、一日券が1200円。年間パスポートが2000円なので、2回以上入場するかもしれない人は、年間パスポートを購入した方がおトク。

次に、博物館の入館整理券をぜひともゲットしておかねばならない。
これはオンラインで無料で予約ができるし、入場券が無くても予約できるので、
だいたいの予定が定まった時点で、さっさと予約を入れるが吉。
当日だと予約が入らない可能性もありそうな気配。
1時間単位で入館者数を管理しているようなので、だいたいの時間帯で予約してしまおう。

次に、各プログラムの整理券
これは、当日現場で、それぞれのプログラムが実施される建物で逐一ゲットするしかない。

整理券が配布される時間帯が決まっているので(プログラム開始の1時間前からかな?)、効率的に見て回りたいと思えば、ネット上のタイムテーブルを読みこなし、何時のどのプログラムを見るのか、そのためにどのタイミングで整理券をもらいに行くのかを、綿密に計画するという見学方法が一方ではありえる。

あるいは、他方では、適当に今始まるものを見るという大雑把な見学方法もありえる。
ちょうどよいプログラムをめがけて、広い園内を無駄に何度も往復しまくることになるが。

まとめると、見学のための予約は多岐にわたり複雑である。

慰霊施設

ウポポイには、他の施設と少し離れた山の上にひっそりと慰霊施設がある。
「共生」という政治目的においては、実はそれこそが本丸だったりする。
ただし、物見遊山の観光客がどやどやと訪れる場所ではない。
あくまでも厳かに、過去を反省し、より良い未来へ向けて祈ろう。

かつて大英帝国が、植民地化した海外領土で宝物やミイラなどを収集し博物館に並べたように、
大日本帝国は北海道を植民地化した際に、原住民であるアイヌの遺骨や副葬品を収集し研究資源とした。
食うか食われるか、弱肉強食の世界では、戦いに勝った者が負けた者の人権を軽んじることが正当化されたのだ。

しかし、21世紀の今日、そのような帝国主義の原理は反省の対象とされている。
言い換えると、明治以降(あるいは近世の蝦夷地政策を含め)、日本国が北海道(あるいは蝦夷地)を獲得するためになしてきた様々な植民地化政策が捉えなおされているのだ。

先住民の権利を蹂躙し土地を征服した者と、反対に征服された者が、ともに同じ日本人として共生の道を探る。ウポポイ(共生象徴空間)とは、そのための国立施設なのだ。
共生の道は、過去を反省すること、つまりさまざまな権利を軽んじられた先住民の御霊に、また祖先の遺骨を不本意な形で奪われたご子孫の方々の境遇に思いをはせることから始める必要があろう。
北海道が現在、日本の領土であることに感謝を込めて…。

と、だいたいこのようなことが看板にも説明されている。

厳かに慰霊を済ませたら、いざ、共生公園へ。



体験交流ホールの伝統芸能

さて、共生空間におけるプログラムの中で(博物館も含め)、わたしがもっとも見ごたえありと感じたのは伝統芸能だ。
いくつかのパターンがあるようだが、わたしはBとCを鑑賞した。
演目☝を見てわかるように、3番と4番が違う。1番・2番・5番・6番は同じ。

これまでもアイヌの伝統芸能を見る機会はしばしばあったけれど、
それらに比してこの催しはずば抜けて大変よくできていると感じた。

第一に、さすが国立。金銭的資源も、よって人的資源も豊富である。
これまでみてきたアイヌの伝統芸能は、なんとなく垢ぬけない感じがして、むしろアイヌ文化を見直す機会をあえて逸してしまうのではないかと危惧するような感じがあったりなかったり…(すみません)
ところが、ウポポイの伝統芸能は演出が素晴らしい。舞台演出のことはわからないけれど…(汗)、映像や照明や音響、たぶん空間の使い方によって、アイヌの伝統文化を、威勢よく、素敵に演出していた。
はじめてこれを見た子供は「アイヌってカッコいい」と思う、と思う。

第二に、道内におけるアイヌの多様性に配慮されている。
ウポポイは白老に建設されたけれど、白老がアイヌを代表する唯一の土地ではない。
近年ではむしろ、茅野茂さんの活躍やダム問題のために、二風谷が最も有名だった感がある。その他、阿寒や近文など、それぞれにアイヌの人々の歴史が深く刻まれた土地が北海道には点在している。
そうしたアイヌ民族内部の多様性に配慮して、演目では白老の〇〇とか、旭川の〇〇とか、説明がなされ、演目の配分にもおそらく配慮されている。

第三に、アイヌの過去と現在の混同への配慮もなされている。
演目の最初に、民族衣装を身にまとうアイヌの(あるいはアイヌを演じる)演者のかたたちが、
普段は皆と同じ服装をしており、これはアイヌの正装ですと、はっきり断っている。
話は反れるが、博物館の展示においても同様の配慮が見られた。現代のアイヌが、その他の日本人と同様に、俳優だったり、料理人だったり、会社員だったりすることについて、比較的比重を割いて紹介されていた。
現代のアイヌは第一に普通の日本人であり、それに加えてマイナーなアイヌ民族という帰属意識も持つ、ということが示されている。

伝統芸能演目の良かった点の第四としては、過去との連続性が演出されていたことに感動した。
A~Dのすべてのパターンにおいて、最後のトリは白老のイオマンテである。
ウポポイの前身である白老アイヌ民族博物館が、道内で唯一、イオマンテを復活させていたという業績が、白老町がウポポイを誘致できたことの一つの理由である。
ところで1925年に、帝国主義的民族研究の一環として、「消えゆく」アイヌ文化を採集すべく、白老のアイヌ語ネイティブによるイオマンテの踊りが撮影された。その後白老でも、日本国の同化政策により、伝統的なアイヌ文化の多く、言葉やイオマンテの儀式などは一旦ほぼ途絶えた。
その著しい文化断絶の前の映像が、例の素晴らしい舞台演出で舞台の背後に映され、
それと重なる形で、現在を生きる若者が、威勢よく同じ踊りを踊っている。
ひえ~~~~蘇った!!泣かせる演出。

というような理由で、ウポポイの伝統芸能は大変見ごたえあり。

鹿肉

レストラン「ハルランナ」で鹿肉を食べた。
写真の右側方面が鹿肉。
レストランは小ぎれいでおしゃれだし、
ポロトコタンの眺めも清々しいし、
鹿肉も美味しかった。というか、人生初めての鹿肉は特に特徴のない肉だった。
とりあえず、珍しいものを頂いて満足。

まとめ

まとめると、一度は行っておきたかった「ウポポイ」に行ってきた。
これから、「民族共生」にむけて頑張ってほしい。
そして、アイヌ文化振興法がアイヌ新法として取りこぼしてきた数々の課題についても、今後日本国として対応できるような、世界に誇れる共生社会を築いてくだされ!と願う。