2021/03/11 |  ぼちぼち ごった日記

 ぼちぼち ごった日記

思い付くまま 気まぐれに 気づいたときにぼちぼち 書き留めています
お役に立てたら幸いです

ありがとう
生きとし生けるもの すべてが
しあわせでありますように

慈悲 と 愛
アヒムサー

あなたとわたしの 悲しみと苦しみがなくなり

ひかりにあふれています

2011年 3月11日

人もどうぶつも
生きとし生けるものたちが犠牲になった
たくさんのたいせつな命に
祈りを・・・

何年か前にも書いたことがあるので
再放送の部分もありますが

自分のための日記ということで

 ~・*・~・*・~・*・~・*・~・*・~・*


あの日は 長男の中学の卒業式だった

隣に住んでいた 息子の友達のK君

中3の5月から見かけなくなった
ずっと欠席してるよと長男

部活で怪我でもしたのかな?と心配していたのだけど

いつも明るいお母さんが
いつものように、明るく笑って話してくれた病名がショックだった

悪性の脳腫瘍

しかも、ステージがかなり進んでいるのだと

え・・・?
ウソやろ?・・・

10ヶ月も学校を休んで、闘病生活をしていました。

Kくんは、いつも元気いっぱいで、
スポーツマンで日焼けしてたくましい体つきの子で
小さくて虚弱でおとなしい息子とは大違い

なのに、ガリガリに痩せてしまい
治療で髪が抜けて
肌も真っ白に…
すっかり面影がなくなってしまっていたよ

その彼が、卒業式で名前を呼ばれ
ハイ!と元気な声が
帽子をかぶって、ダブダブの制服を着て
出席していたことを思い出します

本当に感激で
息子の卒業よりも胸熱くなったなぁ…😢

帰宅し、ニュースであの大震災を知り
ほんとうに驚いた
驚くってものじゃない
こちらは関西で、阪神淡路大震災の被災地ではあったけれど

津波に原発事故まで重なり…

画面の向こうの出来事が、なかなか現実とは思えず
信じられなかった
映画を見るようだった

卒業式から帰宅した長男が
テレビ画像を観て
しばらく呆然としていた

「オレ、ボランティアに行く!」
そう言いました
そんな思いやりある子に育っていたことに
親ながら驚きました

あれから10年も経つのか・・・
まだ10年?
もう?

息子の友人は、何度も何度も苦難を乗り越え
通信制の高校を出て
保育士になりました。
たまたま出会った時に、わたしに声をかけてくれ、ニコニコした表情で色々と話してくれました
嬉しかった

こんなに、優しくて思いやりある人だったんだなぁと感激
病気を経験して、変わったのかも…?

社会に出て、ゆっくりと
夢を 一つひとつ叶えてきたみたい


わたしの友人でもあるK君のお母さんが

「いのちをいただいた。
人生観が変わったよ」

そう言って泣いていました

Kくん
去年の今ごろだったかな
もう少し前か

亡くなったことを長男から知りました…


その半年くらい前に ひょっこりと
長男が一人暮らししている京都まで会いにきてくれていたのだそう


震災からも
友人や息子さんからも
たくさんの学びをいただいた・・・

今日は そんなことを想い出していた

命をいただいている今に

感謝です (-人-。)

ありがとうございます







うまくまとめられなかったなぁ…💧

簡単にまとめられるものではないね


その後の話もあるので
また、明日以降、続きを書いておこうかな

今日は、もう眠たいしね^^;




結婚記念日の日記に とっても嬉しいコメントをいただき
ありがとうございます人(_ _*)

後ほど返信させてください。