2024年2月5日月曜日

廻らないシースーで“登録商標”の「招福巻」を食べてみた【招福巻事件・普通名称化】

 

 商標弁理士のT.T.です。
 創英では毎年、所員みんなで恵方巻を食べるイベントがあり、今年も、2024年の恵方「東北東」を見つめながら、所員同士仲良く交流できたと思います。


 さて、恵方巻といえば、有名な商標権侵害訴訟事件「招福巻事件」というのがあります。

 「招福巻事件」(平成20()2836)とは、イオン株式会社(被告)が全国の「ジャスコ」で、「十二単の招福巻」という恵方巻を販売していたところ、登録2033007号「招福巻」(第30類 すし等)の商標権者・株式会社小鯛雀鮨鮨萬(原告)から、商標権侵害で訴えられた事件です。

(原告の登録2033007
 

 第一審では、商標権侵害が認定され、原告が勝訴しました(平成19()7660)。
 しかしながら、控訴審で大阪高裁は、①「招福巻」の語は、節分の日に恵方を向いて巻き寿司を丸かぶりする風習の普及とも相まって、極めて容易に節分をはじめとする目出度い行事等に供される巻き寿司を意味すると理解され、②2004年の時点でダイエーのチラシで「招福巻」が掲載され、2005年以降は極めて多くのスーパーマーケット等で「招福巻」が販売され、「招福」の語も辞書に掲載されて2004年時点で普通名称化していたといった理由から、「招福巻」は、巻き寿司の一態様を示す商品名として、遅くとも2005年には普通名称となっていたと認定しました。

 したがって、被告の販売する「十二単の招福巻」の「招福巻」部分については、商品の普通名称を普通に用いられる方法で表示する商標に該当し(商標法2612号)、商標権の効力が及ばないことから、商標権侵害に当たらないと判断されました。

  ということで、創英で恵方巻を食べたばかりですが、間髪入れず、原告の廻らない寿司屋「すし萬」に登録2033007号「招福巻」を食べに来ました。恵方巻シーズンは21日~3日で、すぐ終わってしまいますからね。
 「すし萬」は、1653年に大阪で創業した老舗ということで、本来ならば、大阪の本店へ行き、元祖の味を堪能すべきだったかもしれません。ところが先日、商標の歴史を探訪するため京都に行ったばかりで、再度関西地方まで行く気力がなかったので、渋谷西武デパートの「すし萬」にしました。

(写真:渋谷西武の「すし萬」)

 「招福巻」(税抜1300円)は、七福神に因んで国産米・厚焼き玉子・三つ葉・干瓢・椎茸・海老おぼろ・海苔の7食材から作られ、海苔は今宮戎神社で祈祷した、ゲンにゲンを担いだ恵方巻です。創英で食べた恵方巻よりもやや小ぶりに感じましたが、美味しくいただきました。個人的に、三つ葉が良い味出していて好みでした。特に深い意味はありませんが、三つ葉には縁結びの意味があるようです。
 ちなみに、粋なサービスとして、方位磁石も置いてくれます。

(写真:招福巻)


 ところで、「すし萬」では、事件になった「招福巻」の他に、「来福巻」という恵方巻も売られており、お腹に少々余裕があったので、追加注文しました。 

(写真:来福巻と招福巻)

 「来福巻」は、招福巻では「干瓢」と「海老おぼろ」だった具材が、「鰻」と「海老」に代わり、香ばしさやプリプリ食感が招福巻よりも増しています。その分、来福巻の値段は税抜2500円と、招福巻(税抜1300円)の約2倍増しですが。

(写真:来福巻)

 もちろん、「来福巻」も、株式会社小鯛雀鮨鮨萬により商標登録されています(登録4707835、第30類 すし,べんとう)。
 てっきり「来福巻」とは、「招福巻事件」での教訓を活かし、普通名称化していない寿司名の開発に迫られ、登場したものだと思っていましたが、違うようです。登録4707835号「来福巻」は、招福巻事件(控訴審)の判決日、2010122日よりもはるか昔、2003130日に出願されていました(登録日は200395日)。

登録4707835

 ちなみに、「来福巻」の使用例は、調べた限り、「すし萬」の2しかなく、普通名称化までには至っていないように見受けられます。もしかしたら、見えないところで「すし萬」が「来福巻」の普通名称化防止の努力をしているのかもしれません。

 

 そんな訳で、創英の所員交流イベントの他に、(判決研究とはいえ)「すし萬」で「招福巻」「来福巻」を食べてしまい、今年は、のべ3本も恵方巻を食べてしまいました。これで、私の運気は通常の3倍上がったに違いありません。一方で、炭水化物過多ということで、デブ街道まっしぐらでしょう。嗚呼、これが幸せ太りというやつか。
 ※なお、「すし萬」は独りで行ったので、これが本当の幸せ太りなのかは、疑義が残る。

(T.T.)


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2024年1月22日月曜日

著作権法「廃墟写真事件」の廃墟写真1~5と同じ被写体・構図で撮ってみた

 商標弁理士のT.T.です。
 著作権法の有名事件に「廃墟写真事件」(東京地裁 平成19年(ワ)451等)というのがありまして、被告が撮影した次の廃墟写真1~5を「廃墟遊戯」「廃墟漂流」といった被告写真集に掲載したところ、同じ被写体・構図で撮影された原告廃墟写真の著作権(翻案権等)を侵害しているとして、訴えられた事件です。 

1.旧丸山変電所の建物内部

2.足尾銅山付近の通洞発電所跡(建物外観)

3.大仁金山付近の建物外観

4.奥多摩ロープウェイの機械室内部

5.奥羽本線旧線跡の橋梁跡

※原告・被告写真の実物は、「「廃墟写真事件」は何が問題だったのか? 創作活動における著作権の判断ポイント - BUSINESS LAWYERS」をご参照ください(https://www.businesslawyers.jp/articles/46)。

 東京地裁は、廃墟を被写体として選択した点はアイデアであって表現それ自体ではないとし、また、原告写真1~5における被写体及び構図ないし撮影方向そのものは、表現上の本質的な特徴ということはできないといった理由から、著作権(翻案権等)の侵害を認定しませんでした(控訴・上告も棄却)。

 

 さて、「廃墟写真事件」の判決に従うならば、私だって、単に、原告と同じ構図で同じ廃墟を撮ったとしても、著作権侵害にはならないはずです!そこで、事件発生後10年以上経過してしまいましたが、争われた1~5の廃墟たちが現在どうなったのか、原告・被告と同じ構図で撮ってみることにしました。 

■廃墟写真1.旧丸山変電所の建物内部(群馬県安中市)
 「旧丸山変電所」は、JR信越本線・横川駅から、信越本線廃線跡を舗装した「アプトの道」を登り続けること約30分で到着します。

(写真:信越本線・横川駅)

(写真:アプトの道)

(写真:旧丸山変電所)

 高崎駅~長野駅~新潟駅を結んだ信越本線では、特に、横川駅~軽井沢駅の碓井峠越えが、急勾配すぎて普通の列車では登れない難所となっています。碓井峠の急勾配を攻略するため、歯形のレールに電気機関車の歯車を噛み合わせて登る「アプト式鉄道」という方式が利用され、その電気機関車に電気を供給するために建てられたのが「丸山変電所」です。
 しかし、1963年に別ルートを通る新線が開通したことで、アプト式鉄道の旧線は廃止されてしまったため、「丸山変電所」は役割を終えて、そのまま廃墟となりました。

(写真:アプト式鉄道の歯車レール)

(アプト式鉄道の電気機関車)

 丸山変電所は2棟から構成され、坂下側の蓄電池室坂上側の機械室からなり、「廃墟写真事件」で争われたのは、機械室の内部を写したもののようです。
 原告・被告の写真に写された機械室は、屋根が崩れ落ち、痛々しい姿を晒していましたが、現在の外観からは全く感じさせません。それもそのはず、「旧丸山変電所」は、1994年に国の重要文化財に指定されたため、修復されてしまったのです。

(写真:旧丸山変電所の機械室)

 国の重要文化財のため、もちろん、建物内部に侵入できないことから、原告・被告と同じ構図を完全再現はできません。ただし、窓の外から、建物内部の写真を撮ることはでき、左の窓から撮ると原告っぽい構図で撮れて、右の窓から撮ると被告っぽい構図で撮れました。

(写真:原告っぽい構図)

(写真:被告っぽい構図)

■廃墟写真2.足尾銅山付近の通洞発電所(栃木県日光市足尾町)
 わたらせ渓谷鉄道・通洞駅から徒歩5分、「足尾銅山鉱毒事件」で馴染み深い「足尾銅山」ですが、1973年に閉山後、現在は「足尾銅山観光」として、トロッコ列車に乗って坑道内を見学することができます。 

(写真:わたらせ渓谷鉄道・通洞駅)

(写真:足尾銅山観光)

(写真:足尾銅山観光の坑道内)

 「足尾銅山観光」敷地の南西隣にあったのが「通洞発電所(正式名:新梨子油力発電所)」であり、足尾銅山の非常用電力供給設備として、1915年~1954年まで機能していたようです。ところが、崩落が激しいということで、つい最近、20224月に「通洞発電所」は解体されてしまいました。実に惜しい。 

(写真:通洞発電所)

(写真:通洞発電所があった場所)

(写真:原告・被告と同じような構図)

 ちなみに、「通洞発電所」に似た建物に「通洞変電所」というのが近くにありまして、こちらは現役バリバリで、不気味な電子音を響かせていました。 

(写真:通洞変電所)

■廃墟写真3.大仁金山建物付近の建物外観(静岡県伊豆市)
 「大仁金山」は、江戸幕府により開発され、江戸時代中頃からの休止期間を経て、1933年に帝国産金興行()より再開されましたが、1973年に閉山されました。伊豆箱根鉄道駿豆線・大仁駅から徒歩15分の所にある「大仁金山」跡は、すぐ見つけられますが、「廃墟写真事件」で争われた、今にも朽ち果てそうな木造建築は、どこを探しても見当たりません。本当に朽ち果ててしまったのでしょうか? 

(写真:伊豆箱根鉄道駿豆線・大仁駅)

(写真:大仁金山)

 T.T.の見立てでは、大仁金山跡正面から左手の坂道を登って辿り着く、2棟のプレハブ倉庫が建つ平坦な場所が怪しいと、睨んでいます。2棟のうち、奥のプレハブ倉庫辺りが、「廃墟写真事件」で争われた木造建築のあった場所と思われます。確かに、木造建築が建っていたと思われる場所に、その土台に使用されたと思わしき石が積まれています(被告写真集「廃墟遊戯」25頁でも同じ土台石っぽいものが確認できる。)。 

(写真:坂道とプレハブ倉庫)

(写真:原告・被告と同じような構図と思わしき場所)

(写真:土台石と思わしきもの)

■廃墟写真4.奥多摩ロープウェイの機械室内部(東京都奥多摩町)
 「奥多摩ロープウェイ」は、JR青梅線・奥多摩駅からバスで3040分の西奥地にあり、奥多摩湖対岸の「川野駅」と「三頭山口駅」を横断するロープウェイとして、19621966年の4年間のみ営業され、現在まで放置されています。 

(写真:JR青梅線・奥多摩駅)

(写真:奥多摩ロープウェイの支柱)

 「廃墟写真事件」で争われた機械室は、「川野駅」のもののようですが、現在では完全立入禁止となってしまい、撮影不可でした。 

(写真:「川野駅」の最寄バス停・中奥多摩湖(川野))

 対岸の「三頭山口駅」は、一応、近づけるようですが、下手な登山道よりも整備されていないため、来る際は自己責任です。「三頭山口駅」にも、確かに、「廃墟写真事件」で争われた「川野駅」と同じような機械室がありました。

(写真:奥多摩ロープウェイ・三頭山口駅)

(写真:三頭山口駅の機械室)

 ■廃墟写真5.奥羽本線旧線跡の橋梁跡(秋田県大館市)
 福島駅~山形駅~秋田駅~青森駅を縦貫する奥羽本線ですが、陣馬駅(秋田県)~津軽湯の沢駅(青森県)の県境越え区間に、旧線跡があります。現在では、山の中を矢立トンネル(3180m)が県境を真っ直ぐ突っ切りますが、1970年まで存在した旧線では、急勾配の矢立峠を登って県境を超えており、その橋梁やトンネルの跡を今でも見ることができます。

(写真:奥羽本線旧線・旧第二下内川橋梁跡)

 「廃墟写真事件」で争われたアーチ状のレンガ造り橋梁跡は、「旧第一下内川橋梁跡」と呼ばれるもので、JR奥羽本線・陣馬駅から、国道7号線に沿って北上すること約30分で到着します。

(写真:奥羽本線・陣馬駅)

 ただし、「旧第一下内川橋梁跡」は、2006年頃、その上に国道7号線の新道(新下内橋)が造られたことで破却され、跡形も無くなってしまいました。原告・被告の写真っぽい構図で撮るためには、新道(新下内橋)から右に逸れた旧国道7号線の橋(下内橋)を渡り終え、すぐ左手の未舗装脇道から撮影できました。

(写真左:国道7号線新道(新下内橋)、写真右:旧国道7号線(下内橋))

(写真:原告と同じような構図)

(写真:被告と同じような構図)
  

 

 以上のように、「廃墟写真事件」で争われた1~5の廃墟写真スポットを訪れましたが、廃墟の消滅(2.足尾銅山の発電所、3.大仁金山の建物、5.奥羽本線旧線の橋梁)や立入禁止(4.奥多摩ロープウェイ・機械室)により、撮影できたのは「1.旧丸山変電所」だけでした。その旧丸山変電所も、国の重要文化財として修復されてしまいましたから、原告・被告の写真をそのまんま再現することは不可能でした。
 つまり、「廃墟写真事件」の原告・被告の写真と同じ被写体・構図で撮れるスポットは、実質ゼロです。

 ところで、著作権法の原則として「額の汗は保護しない。」というのがあります。「廃墟写真事件」のように、廃墟に行って写真を撮るだけの行為は、私自身も、公共交通の乗り遅れや怪我に注意したぐらいで、特段脳みそは使わなかったので、典型的「額の汗」として、身をもって著作物性がないことを体感することができました。

 そもそも、廃墟写真スポット1~5は、高地や雪山で寒かったり、心霊スポットや未整備の道で肝を冷やしたので、額に汗はかけませんが。

(T.T.)


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2023年12月11日月曜日

「ひよ子」饅頭の工場見学に行ってきました【ひよ子立体商標事件 商3条2項】

 

 商標弁理士のT.T.です。
 12月といえば、クリスマスシーズンということで、「カーネル・サンダース人形」の立体商標登録4153602)でお馴染みKFC」のチキンが食べたくなる季節となりました。でも、今年のクリスマスは、立体商標は立体商標でも、チキンはチキンでも、「ひよ子立体商標事件」の「ひよ子」饅頭とかいかがですか? 

 指定商品を「まんじゅう」とした「ひよ子」立体商標のように、商品の形状そのもの表したに過ぎない立体商標は、通常、識別性がないとして登録が認められません(313)。しかし、「ひよ子」立体商標は、長年の使用による全国的な周知性を獲得したことが立証され、識別力を有しているとして、商標法32項を適用して登録が認められました(登録4704439号、権利者:株式会社ひよ子(被告))。 

登録4704439号 30類「まんじゅう」

 この登録4704439「ひよ子」立体商標に対し、有限会社二鶴堂(原告)から無効審判を請求され(無効2004-89076)、識別性(商313号・同2項)を争うこととなった事件が、「ひよ子立体商標事件」になります(平成17(行ケ)10673)。
※ちなみに、原告・有限会社二鶴堂は、「二鶴の親子」という「ひよ子」そっくりな饅頭を売っていた。 

(原告・有限会社二鶴堂の「二鶴の親子」)

 知財高裁は、次の理由により、「ひよ子」立体商標が、九州地方や関東地方を含む地域の需要者に広く知られているとは認定したものの、全国的な周知性を獲得するまでには至っていないと認定しました。

  1. 被告の直営店舗の多くは九州北部、関東地方等に所在し、必ずしも日本全国にあまねく店舗が存在しない。
  2. 「ひよ子」饅頭の販売形態や広告宣伝状況は、需要者が文字商標「ひよ子」に注目するような形態で行われていた。
  3. 原告の「二鶴の親子」をはじめ、全国各地に23もの業者が、鳥の形状の焼き菓子を製造販売していた。
  4. 鳥の形状の和菓子は、「虎屋」が江戸時代から「鶉餅(うずらもち)」を作っており、他にも全国各地で作られていることから、鳥の形状の和菓子は、わが国で伝統的なものである。
  5. 「ひよ子」饅頭の形状は、虎屋の「鶉餅」よりも単純な形状であるから、「ひよ子」立体商標の形状は、伝統的な鳥の形状の和菓子を踏まえた単純な形状の焼き菓子として、ありふれている。 
    (虎屋の「鶉餅」)

 そのため、登録4704439号「ひよ子」立体商標は、商標法32の「使用をされた結果需要者の何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができるもの」との要件を満たさないことから、識別性がない(3号)として、登録が無効となりました。

 「ひよ子」饅頭といえば、博多や東京のお土産とのイメージがありますが、その発祥は、どちらでもなく、福岡県の内陸都市「飯塚市です。なぜ飯塚市かといえば、飯塚市は元々炭鉱都市で、炭鉱労働者がエネルギー源として甘い菓子を好んだことから、お菓子作りが盛んな街だったためです。 

(写真:福岡県飯塚市「飯塚駅」)

(写真:三菱飯塚炭鉱第二坑跡)

 「ひよ子」饅頭の工場は、今も、飯塚市に2か所あり(飯塚総合工場、穂波工場)、西日本エリアで販売されている「ひよ子」饅頭は全てここから製造されています。ちなみに、東日本エリアの「ひよ子」饅頭は、埼玉県草加市の「東京工場」で製造されています。 

 これら全国3カ所にある「ひよ子」工場のうち、飯塚市「穂波工場」が唯一、工場見学ができるのです(要予約・無料)。もちろん、製造現場は撮影禁止ですが、廊下一本道の見学ルートで、ガラス越しから、「ひよ子」饅頭の製造ラインを眺めることができます。 

(写真:飯塚市・「ひよ子」穂波工場)

(写真:工場内ロビー)

 「ひよ子」饅頭の作り方といえば、私が小学生の頃に通っていた学習塾Nで、社会科の先生から、本物のヒヨコから中身をくり抜いて作っていると教わりました。しかし、そんなことは全くなく、包餡機で白餡を生地に包むプレス機で「ひよ子」の形に成形オーブンで焼く17分)電熱ヒーターで目付け冷却30分)包装・箱詰め、というほぼ全自動流れ作業を経て、約60分で完成します。 

 本物のヒヨコが、卵から長い時間かけて温められ誕生する一方で、「ひよ子」饅頭の製造工程で最も時間をかけているのは冷却であり、やはり、「ひよ子」と本物のヒヨコは、別物だと感じさせられました。
 また、「ひよ子」饅頭の目は凹みによって表現されていますが、「ひよ子」饅頭の成形時点ではまだ目がなく、オーブンで焼いた後、電熱ヒーターで穴をあけて目付けをするのは、拷問っぽくて残酷に感じました。なお、昔の「ひよ子」饅頭は、木型に生地を入れて成形し、焼きゴテで目付けをしていたとのことなので、昔の方がもっと残酷な感じだった模様。

(写真:昔の「ひよ子」の木型)

 その他の見所としては、廊下一本道の見学ルートの壁に沿って、「ひよ子」の歴史年表が記されていたことでしょうか。もちろん、その年表には、2003年(平成15年)829日:『ひよ子』が立体商標で登録(登録4704439号)」との記述は見当たりませんでした。 

 工場見学が終わった後は、併設の工場直売所で買い物もできますが、工場できたてホヤホヤの「ひよ子」饅頭も試食できます。試食するのは、目付け直後、冷却前の「ひよ子」饅頭なので、まだ温かいです。
 生まれたばかりで、つぶらな瞳で見つめてくる「ひよ子」を食べてしまうのは心苦しいですが、市販の「ひよ子」饅頭と比べ、外皮がサクサクし、熱がこもった白餡がフカシ芋のようで、新食感でした。

(写真:工場直売所)
(写真:つぶらな瞳で見つめる出来立ての「ひよ子」)

 さて、「ひよ子立体商標事件」の原告「有限会社二鶴堂」も、「ひよ子」と同じく福岡県の企業ということで、工場見学のついでに、「ひよ子」饅頭のそっくりさん・原告の「二鶴の親子」も買いに行くことに。ところが2023年時点で、「二鶴の親子」は絶版していました。残念。 

(写真:原告「有限会社二鶴堂」(福岡市))

 一方で、「ひよ子立体商標事件」の判決では、「ひよ子」の形状は「鶉餅(うずらもち)」よりも単純な形状であると、しれっとディスられていましたが、その虎屋の「鶉餅」は売っていました。その名の通り、ウズラを模した大福です。 

(写真:虎屋赤坂本店)

(左:ひよ子、右:鶉餅)

 しかし、実際に見比べてみると、確かに、羽が模様で表現されている分、「鶉餅」の方が「ひよ子」よりも創作性が上と思えますが、大した差ではないように思えます。味はどちらも美味しいし、どちらも違った可愛さがあります。ただし、「ひよ子」が1個約160に対し、「鶉餅」は1540と、お気軽に買える感じでないお値段です。

(写真:「ひよ子」と「鶉餅」の比較)

 「鶉餅」の購入難易度やや高めなのは、お値段だけでなく、時期的要因もあります。いつでも購入できるものでなく、毎年121日~15日だけの限定販売なのです。
 おかげで、「ひよ子」饅頭の工場見学が20233月だったにもかかわらず、なかなか直ぐにブログ化できず、202312月まで、ネタを長く温め続けなければならない羽目となりました。ヒヨコだけに。

(T.T.)