明晰夢工房

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【書評】総勢31人の武人の生涯から南北朝時代を俯瞰できる『南北朝武将列伝 南朝編』

 

 

楠木正成新田義貞北畠顕家など有名どころから、南部師行・諏訪直頼などちょっとマイナーな人物まで南朝を支えた人物を網羅した本。「武将列伝」なので後醍醐天皇後村上天皇の列伝はないが、執筆陣は全員が日本史の専門家なので安心して読める。北条時行の列伝もあるので『逃げ上手の若君』のネタバレをされたくない人はここだけ飛ばしたほうがいいかもしれない。

 

この本は東日本から順番に南朝の武将を取りあげているが、「東国武将編」を読むと東北地方が南朝にとって重要な拠点だったことがわかる。後醍醐は北畠顕家を奥州に下向させ、南部師行や南部政長がその統治を支えていたが、顕家はともかくこれら南部氏の活動をよく知らなかったので、かなり楽しめた。師行が拠点とした根城は有名だが、この名称の初出は1618年であり、当時は「八戸城」と呼ばれていたらしいこともこの本ではじめて知った。

 

楠木正成南朝の「忠臣」として知られるが、この本では正成は最晩年は建武政権下では孤立していて理解者がいなかったことが指摘されている。正成の子正行も(若くして戦死したため)「悲劇の武将」とされるが、短命に終わったためそのような評価になっているだけで、長命だったならどんな生き方を選んだかわからない、と冷静な評価が下される。正行の弟正儀は北朝に降参したこともあるが、正成や正行も彼のように長生きだったらどうなっていたかはわからない。早く歴史の表舞台から退場したため「忠臣」という評価で生涯を終えられたことは、幸いといえるのだろうか。

 

北畠顕家もそうだが、この時代は皇族や公家も武将になるのが特徴だ。これはなぜだろうか。北畠親房の列伝を読むと、後醍醐が「公武一統の世の中になったのだから、文と武の二つの道を区別すべきではない」といっていたことがわかる。これは「北畠家は和歌や漢詩で朝廷に仕えてきたため、武芸には疎い」と顕家の陸奥下向を渋る親房に対していったことだが、この台詞には親房の戸惑いが感じ取れる。慣れないことを強要されて戸惑っていた公家もこの時代には存在していたが、顕家に武将の才能があったことは幸いというべきだろうか。

北畠親房南朝の重鎮としてよく知られているが、楠氏との関連でこの列伝を読んでいくと、正儀の運命に彼が深くかかわっていることがわかる。親房は南朝の中でも強硬派だったため、正儀が担当していた北朝との和平交渉に反対し、彼に「幕府に降参し南朝を没落させる」との台詞を吐かしめている。怒りに駆られて言っただけなのかもしれないが、のちに正儀はこの言葉を本当に実行することになる。

 

漫画のネタバレを避けるため北条時行の生涯について具体的には書かないが、彼の列伝を読むと、このような生き方ができたのは南朝北朝が戦っていたからこそといえる。確かに「逃げ上手」といえるエピソードも載っていて、これが漫画でどう描かれるか楽しみにもなる。時行の行動は常にある一点をめざしていて、そこからぶれることがない。その最期は寂しさを感じさせるものではあるが、最後まで北条の貴公子として生き切ったとはいえる。

 

南北朝の争いは日本国内での争いだが、九州に目をむけると、明と通行していた勢力も存在している。明から「日本国王」と認識されていた懐良親王の列伝を読むと、彼が明と通行したのは貿易の利を通じて九州の諸勢力を味方につける意図があったためであることがわかる。九州南朝軍の中心だった菊池氏も港湾都市高瀬を支配していたため、交易への関心は高かった。この時代でもやはり九州は大陸へ開かれていたことがわかる。

 

以上、興味を引かれた人物について書いてきたが、どの人物の列伝も文章は読みやすく、とくに引っかかりを感じるところはない。気になる人物のところだけ読んでもいいが、あまり知らない人物の列伝を読むと意外な発見があったりするので、ひととおり全員に目を通したほうが面白いかもしれない。自分も新田義貞の息子たちが意外なほどの活躍を見せていることは、この本ではじめて知った。この「恐るべき子供たち」の生涯を書いた本はほかにあまりなさそうなので、その意味でも手にとってほしい一冊でもある。