明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

かつて日本人が「猫食い」をしていた時代があった──真辺将之『猫が歩いた近現代──化け猫が家族になるまで』

 

 

現代ほど猫が愛されている時代もない。テレビをつければ岩合光昭が野良猫にカメラを向ける姿が映り、ツイッターを開けば「我が家の黒い妖怪」といった一文とともに日夜猫画像が流れてくる。現代日本は慢性的な猫ブームの中にあり、猫は犬とともに家族の一員として確固たる地位を占めるようになっている。

 

ところが過去に目をむけると、日本人は現代ほどには猫をかわいがっていたわけではないことがわかる。その証拠のひとつとして、戦前には日本人が猫を食べていた記録が多数存在する。『猫が歩いた近現代──化け猫が家族になるまで』は、かつて日本に存在した「猫食い」を知るうえで貴重な一冊だ。

 

この本によれば、猫を食べる行為は江戸期から一部で行われていたという。江戸時代の書物には猫の薬としての効能が書かれているものがあるが、これは猫が持つとされていた魔力や霊性と結びつくものだ。明治時代に入り、「化け猫」のイメージが薄れるとともに薬物として猫を食べることはなくなるが、通常の食事としての猫食いは続いていた。「猫鍋」など猫を用いた郷土料理も存在していたし、昭和に入っても戦前は泥棒猫を捕まえ、食べるものもいた。

 

だが、猫食いは一部で行われていたものの、これが普通の食事だったわけではない。この本によれば、「それは一般家庭で日常的に行われていたものではなく、食べるものに困った人が食べるか、あるいは特定の地域の郷土料理または精力剤として食べられることがある、程度のもの」だった。戦前の猫は今ほど人気のあるペットではなかったが、それでも1935年には猫の専門誌『猫の研究』が刊行されるほどには、猫を好む日本人は存在していた。この雑誌には愛猫家として有名な藤田嗣治のエッセイも載っている。

 

猫が食べるものに困ったときに食べられる生き物だったからには、人々が食糧不足に陥れば猫が危機をむかえることになる。戦時中から戦後の食糧難の時期には、それまでより多くの人が猫を食べることになった。ただし多くの場合、それは秘密裏に行われた。猫や犬の肉をハムやソーセージに加工し、生肉を牛肉と偽って逮捕された業者がいたり、猫の肉を個人商店がひそかに用いる事例があったという。洋食屋の調理場のゴミ箱に、偶然にも猫の頭蓋骨らしきものを見てしまったという証言もある。戦後の闇市でも、犬や猫の肉を他の獣肉と偽って売ることが横行していた。

 

こうした猫食いの記憶が、のちに思いもかけない形で復活する。オイルショックの時期、ファストフード店ハンバーガーに猫の肉が入っているというデマが広がり、東京都衛生局に電話が殺到するという事態が起きたのだ。似たような噂は世界中に存在したが、多くの場合、ハンバーガーに混入したのはミミズの肉とされていた。猫の肉が混入したというのが日本のデマの特徴だが、著者はこのデマについて「人々の深層意識のなかに、戦後の混乱期に自分も猫の肉を食べたかもしれないという記憶が、リアリティをもって残っていたことがあったのではないか」と推測している。

 

猫が完全に家族の一員となった今では、猫を捕食対象とみる人はいない。猫と人間の関係性が今ほど良好な時代はないように思える。だが猫が家族になるとはどういうことか。著者は『見ず知らずの他人よりも自分の猫の方がかけがえのない存在に思えるという精神状況こそが、猫を「家族」の、そして「社会」の一員たらしめている』と見る。猫がかわいがられることの背景には、現代社会における人間関係の希薄化や、コミュニケーションの難しさがある。どの時代でも、猫の在りようは人間社会を映す鏡だ。猫の歴史を知ることは、人間そのものを知ることにもつながる。