八幡鉄町教会

聖書のお話(説教)

「永遠の命を得させるキリスト」 2023年4月30日の礼拝

2023年05月29日 | 2023年度
出エジプト記16章4~16節(日本聖書協会「新共同訳」)

  主はモーセに言われた。
  「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。ただし、六日目に家に持ち帰ったものを整えれば、毎日集める分の二倍になっている。」
モーセとアロンはすべてのイスラエルの人々に向かって言った。
  「夕暮れに、あなたたちは、主があなたたちをエジプトの国から導き出されたことを知り、朝に、主の栄光を見る。あなたたちが主に向かって不平を述べるのを主が聞かれたからだ。我々が何者なので、我々に向かって不平を述べるのか。」
  モーセは更に言った。
  「主は夕暮れに、あなたたちに肉を与えて食べさせ、朝にパンを与えて満腹にさせられる。主は、あなたたちが主に向かって述べた不平を、聞かれたからだ。一体、我々は何者なのか。あなたたちは我々に向かってではなく、実は、主に向かって不平を述べているのだ。」
  モーセがアロンに、「あなたはイスラエルの人々の共同体全体に向かって、主があなたたちの不平を聞かれたから、主の前に集まれと命じなさい」と言うと、アロンはイスラエルの人々の共同体全体にそのことを命じた。彼らが荒れ野の方を見ると、見よ、主の栄光が雲の中に現れた。主はモーセに仰せになった。
  「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」
  夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。
  「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。主が命じられたことは次のことである。『あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり一オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。』」


ヨハネによる福音書6章34~40節(日本聖書協会「新共同訳」)

  そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」


  「永遠の命」という言葉は、マタイ、マルコ、ルカではあまり出てきません。ただ、非常に裕福な青年が「永遠の命を得るにはどうしたら良いか」と主イエスに尋ねた時の言葉として出てきます。彼は「自分の持ち物を売り払い、貧しい人に施しなさい。それから私に従いなさい」という主イエスの言葉を聞いて、去って行きました。
  この出来事は、ヨハネ福音書には出てきませんが、「永遠の命」という言葉が多く出てきており、しかも、主イエスに結ばれることによってそれを得ると繰り返し強調しています。6章40節にもその言葉が出てきており、「子を見て信じる者が皆永遠の命を得る」とあります。しかも、それは主イエスを遣わした父なる神の御心だというのです。
  さて、主イエスは「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(6:35)と語っています。これは、主イエスが五つのパンと二匹の魚で、五千人の人々を満腹にした奇跡が発端となっています。この出来事の後、かつてモーセがエジプトを脱出したイスラエルの人々を天からのパンで養った話になりました。主イエスはそのパンを与えたのはモーセではなく、主イエスの父である神が与えたと語り、今日の聖書の話につながっているのです。この話はさらに続き、モーセによって与えられたパンを食べた人々は荒野で死んでしまったが主イエスが与えるパンは命のパンで、これを食べる人は永遠の命を受けると教えています。
  主イエスは「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(6:35)と語りました。この中で「決して渇くことがない」と言っていますが、これは4章14節の「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」という主イエスの言葉を思い起こさせます。すなわち、主イエスは御自身こそ永遠の命のパンであり、永遠の命に至る水であると告げているのです。
  私たちが日々の生活の中でパンを食べ水を飲むことにより、それは私たちの体の中で血となり、肉となります。主イエスがご自身をパンと水にたとえるのは、主イエスに私たちがしっかりと結ばれ、永遠の命に生きる者とされていることを告げているのです。
  「神は我々と共におられる」という言葉が聖書の中でたびたび示され、聖書を貫く信仰であることを明らかにしています。その神が共におられるということを感覚的に示そうとして、主イエスはご自身を永遠の命のパンであり、永遠の命に至る水であると宣言しておられるのです。
  ただし、パンにしても水にしても比喩としての表現です。実際に私たちをキリストに結び合わせる象徴的出来事はキリストの名による洗礼です。この洗礼は、私たちがキリストの命に結ばれていること、永遠の命に生きる者とされているしるしであり、保証なのです。

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