葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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「天皇のハンコ」菊の間で御爾・国璽と「可」・「認」・「覧」を押しています

2020年09月25日 | 天皇制・皇室

宮内庁公式サイトには「天皇皇后両陛下のご活動」として、「国事行為などのご公務」「行幸啓」「外国ご訪問」「伝統文化の継承」「宮中祭祀」「御所でのご生活」「御爾・国璽」が掲載されています。

「御璽」 詔書,法律・政令・条約の公布文,条約の批准書,大使・公使の信任状・同解任状,全権委任状,領事委任状,外国領事認可状,認証官の官記・同免官の辞令,四位以上の位記等に押印され、『天皇御璽』と刻されています。

国璽」 勲記に押印され、『大日本国璽』と刻されています。

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御名御璽は電子化対象外=政府の文書管理、閣議書も

政府が進める公文書の電子管理について、天皇陛下の署名・押印に当たる「御名御璽(ぎょめいぎょじ)」や閣議書は対象外となる見通しだ。紙媒体として保存することが資料・記録としての価値を維持する上で不可欠と判断した。天皇、首相、閣僚の直筆の署名が記された公文書は、引き続き紙で保存されることになる。

御名御璽は法令や条約などを公布する際に必要。4月1日に発表される新元号に関する政令も当日、天皇陛下が直接、署名と押印を行う。その前提となる閣議書には閣僚らが花押と呼ばれる独特のサインを行うことが慣例となっている。

政府は25日に「行政文書の電子的管理についての基本的な方針」を決定した。今後作成する行政文書は「電子媒体を正本・原本として体系的に管理する」と規定。森友学園をめぐる決裁文書改ざんなど一連の不祥事の再発防止、文書管理の効率化を進める狙いがあり、政府は業務を見直して電子保存の対象を広げる方針だ。

ただ、価値を維持するために紙媒体を正本・原本とすることが不可欠な場合は例外として扱う。内閣府の担当者は「御名御璽や花押のあるものは、そのまま原本とすべきだ」との認識を示した。政府が新元号発表の際に使う「墨書」も紙のまま公文書として保存される見込みだ。

このほか、「法令で紙媒体での文書作成が義務付けられている場合もある」(内閣府幹部)とされ、電子管理の対象外となる。保存のためだけに電子化すれば、かえって手間がかかる場合も、当面は紙での管理を継続する。

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元産経新聞社宮内記者であった山本雅人著「天皇陛下の全仕事」から、長文ですが、重要と思われますので74~97頁を原文のままスキャンしてアップします。

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  内閣法第四条により、内閣の意思決定は閣議によるとされているので、天皇の国事行為は閣議の決定(閣議決定)により行われる。さまざまな閣議での決定は書類により行われることが多いため、天皇の国事行為も閣議決定の書類の決裁が中心になるのである。
  また、書類で行われるがゆえに、たとえば法律などの公布では、公布文に天皇が署名するだけでなく、首相も副署(添えて署名)することで、内閣の助言と承認、つまり天皇ではなく内閣の意思(決定)により公布されたことを示すのである。
  毎週、火曜日と金曜日の午前10時から、首相官邸(国会開会中は9時から国会内の閣議室)で首相や各大臣らが出席して「閣議」が行われる。閣議ではさまざまな案件の文書(閣議決定)が処理されるが、そのうち、先ほど列挙した天皇の国事行為13項目に該当するものが「上奏書類」(上奏とは「天皇に申し上げる」こと)として、内閣官房の職員によってただちに皇居に運ばれ、天皇が決裁する。こいう流れで行われる。そのため、閣議が終わった後、つまり火曜と金曜「午後」に、天皇は必ず執務を行うである。

 決裁の四つのパターン
  書類決裁方法には、大きく分けて以下四つのパターンがある。
  ①天皇が目を通した後、天皇自ら署名(御名)したうえ、天皇印である「御璽」という大きな印(後述)が、宮内庁職員によって押される「御名御璽」
  ② 天皇が「可」印を押す「裁可」
  ③ 天皇が「認」の印を押す「認証」
  ④ 天皇が「覧」の印を押すもの
  先の13項目の国事行為を、この?で分けてみよう。
  の「御名御璽」は、他の三つにない「天皇の署名」があり、執務(国事行為)の中でも、重要度がやや高いといえるのかもしれない。この決裁の方法がとられるものに、前記の13項目の国事行為の中では、3(憲法改正、法律、政令および条約の公布)、4(国会の召集)、5(衆議院の解散)、6(国会議員の総選挙の施行の公示)があてはまる。
  ②の「裁可」は、1(首相の任命)、2(最高裁長官の任命)、9(栄典の授与)、11(駐日外国大使・公使の接受)、12(儀式の挙行)の5項目。
  ③ の「認証」は、7(大臣および法律の定める官吏の任免、全権委任状および大使・公使の信任状の認証)、8(大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除および復権の認証)、10批准書および法律の定めるその他の外交文書の認証)の3項目。
  ④ の「覧」の印、つまり、天皇に回覧され確かに見たという意味の印が押されるものは、13(国事行為の委任)の一項目である。

  もっとも重要な「御名御璽」
  さて、天皇が決裁する書類とはどのような形式のものなのだろうか。
  「御名御璽」の四項目=3(憲法改正、法律、政令および条約の公)、4(国会の召集)、5(衆議院の解散)、6(国会議員の総選挙の施行の公示)から順にみていこう。
  まず3(憲法改正、法律、政令および条約の公布)だが、国会での成立後、直近の閣議を経た後、書類が天皇のもとに届けられ、天皇の署名(御名)、御璽(後述)の押印が行われる。その後、『官報』に、天皇の署名入った「公布文」とともに、その法律などの条文が掲載されることで国民への周知が図られ、法として効力が発生するーーという手続ききがとられている。
「条約」は、調印された後、国会で承認を受け、元首らが内内容に同意を与える「批准」(後述の国事行為の10=および法律の定めるその他の外交文書の認証=の項参照。一部、批准の手続きの必要ない条約もある)の手続きが行われたうえで、天皇が条約の公布文に署名し、御璽が押される。
  なお、法律や政令などに開しては、条文の一部だけを改正したような場合でも、「〇〇法(令)を一部改正する法律(政令)」といつた具合に、新たな法律・政令と同じように公布の手続きがとられる。平成16年(2004)を例にとると、一年間に500を超える法律・政令(一部改正を含む)が公布されたが、その数だけ、天皇自ら、交付文に署名をしているのである。執務の際には、法律や政令それぞれの内容を説明した「説明書」も忝付され、天皇はそれらにも目を通すことになる。
  4(国会の召集)、5(衆議院の解敗)6(国会議員の総選挙の施行の公示)の3項の書類は特に「詔書」(たとえば「解散の詔書」など)と呼ばれている。
「詔書」とは、明治憲法下では、法律や予算の公布などについての天皇の文書の様式を定めた「公式令」に基づき、(公式令)に基づき、皇室や国事に関する重要な事柄について天皇が発する公文書のことをいつた。昭和22(1947)年に公式令が廃止になり、「詔書」の法的根拠は失わたが、慣習的に、国事行為の一つとして残つている。

天皇の承認「裁可」
  次に、「裁可」の5項目=1(内閣総理大臣の任命)、2(最高裁長官の任命)9(栄転の授与)、11(外国大使らの接受)、12(儀式の挙行)についてみてみる。
  「裁可」とは「天皇の許可・承認」のことをいう。明治憲法では帝国議会が法律案や予算を可決しても天皇の裁可がなければ効力を待たなかったが、現在の憲法では、天皇は国政にに関与することができず、実質的な裁可権はない。他に適当な言い換えの用語がないから現在も使われているのだろうが、あくまで形式的なものである。
 まず、1の(内閣総理大臣の任命命)をみてみよう。国会で内閣総理大臣の任命)の指名選挙が行われ、首相が衍名されると、それを受け、衆院議長から内閣経由で、次のような文面の書類が、天皇のもとに屈けられる。

 日本国憲法第六条第一項に依り〇〇を内閣総理大臣に任命するについて、右謹んで裁可を仰ぎます。
      〇〇年〇月〇日
内閣総理大臣〇〇〇〇
  末尾の方の内閣総理大臣の署名は、前任者の首相の名前が入っている。この上奏書類に目を通した天皇は、書類上のーヵ所に、約ニセンチ四方ぐらいの大きさの「可」という小印に朱肉をつけて押す。また、書類に印を押すほかに、宮殿で、任命書という辞令の紙を本人に渡す(この儀式を「親任式」という)。このため天皇は、(押印だけでなく)任命書への署名も行う。つまり「書類」に『可』の印を押す)決裁+辞令書への署名」がセットになって、「任命」という国事行為は完結する。
  2の(最高裁長官の任命)についても、首相の任命の手続きとほぼ同じだ。上奏書類の文面もほぼ同じである。首相と同様、任命書も発行され、親任式も行われる。
9の(栄典授与)とは、「勲章」「褒章」「位階」などを与えることを指している。
現在、叙勲の制度は、大綬章、重光章、中綬章、小綬章、双光章、単光章のそれぞれに、「旭日章」と「湍宝章」があり(たとえば旭日大綬章、瑞宝大綬章、旭日重光章、瑞宝重光章・・・と六段階に区分=ただし大勲位などの特別な上位三等級を除く)、そして文化勲章、さらに警察官や自衛官らが対象の「危険業務従事者叙勲」、がある。褒章は、黄綬褒章(業務精励)紫綬褒章(学術、芸術などに業績)、藍綬褒章(公共の利益などに尽力)など計六区分がある。
叙勲は春?秋に約6000人ずつが受けている。このほかにも、国や公共的な分野などで功績のあったとされる人が死亡した際、授与される「死亡叙勲」、88歳以上の人に贈られる「高齢者叙勲」などがあり、先ほどの春・秋計約1万2000人以外に、年間を通じ、約1万人が受けている。また、褒章も毎年春・秋の計1700人のほかに、公益団体に一定額以を寄付した個人・団体にも贈られており、それらが年問約500件あるという。
  「叙位」(位階)は、元公務員や国家功労者に対し、正一位、従一位、正二位、従二位の計16区分が、死亡時に贈られるもので、年問約1万2000人以上が授与されている。
  憲法の条文に「栄典を授与すること」とあるように、大授章や文化勲章ななど、「上」の方のクラスについては、天皇が直接、勲章を授与する(「親授式」という)。
  後ほど紹介する「恩赦」などは「認証」にとどまるのに、この「栄典」では「授与までが天皇の国事行為とされているのは、政治性がないからだといわれている。
  授与の際、勲章と一緒に勲記(賞状のようなもの)が渡されるが、大授章と文化勲章の勲記には天皇の署名と国事(国の公印で、「大日本国事」と刻まれた大型の印、後述)が押されており、天皇は執務の際、これらへの署名を行う仕事も入ってくる。よって栄典授与も、「(可の印を押す)書類決裁+(勲章を授与する)儀式」という天皇の行為の「三点セット」で国事行為が成するといえる。
  11の(外国大使らの接受)については1章で説明した。「接受」とはわかりやすくいえば「外国から派遣されてきた外交使節を公式に受け人れること」を指し、信任状捧呈式が 国事行為の「接受」に該当することはすでに述べた。だが、捧呈式だけが接受というわけではなく、その前段として、天皇による決裁が行われる。日本に派遣されている各国大使が交代する際、その内容(名簿)を記した書類が閣議を経て天皇の手許に届く。この書類への了承の押印とともに、後日、信任状を天皇に手渡すという儀式とを合わせ、「接受」が行われたことになり、(「可の印を押す)書類決裁十儀式(信任状捧呈式)というセットで国事行が成立する。
  12の儀式の(儀式の挙行)だが、ここにいう「(国事行為にあたる)儀式」とはどのようなものが該当するのだろうか。
    昭和27年(1952)の閣議決定では、「日本国憲法第7条により、天皇は、毎年の元日、宮中において、新年祝賀の儀を行うものとする」とされており(第7条は国事行為をさす)、この文面により、定例のものとしては、天皇が首相や各国大使らと宮殿で会い祝賀を受ける「新年祝賀の儀」だけがこの条文の「儀式」に該することになる。
    
「認」という印
  続いて「認証」の三項目=7(大臣および法律の定める官史の任免、全権委任状および大使・公使の信任状の認証)、8(大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除および復権の認証)、10(批准および法律の定めるその他の外交文書の認証)について説明叩する。
  「認証」とは、法的なものや国政上の重要な行為・文書が、正当な手続きで行われたことを証明することで、権威や荘厳さを加えるための形式・儀礼的なものである。
  まず、7のうち、「大臣および法律の定める官吏とはどのような国家公務員だろうか。これらの官吏はは「認証官」と呼ばれ、大臣、官房副長官、副大臣、人事院人事官、公正取引委員会委委員長、宮内庁長官、宮内庁侍從、検事総長、次長検事、検事長、会計検査院検査官、最高裁判事、高裁判事、高裁長官、大使、公使の15種である。「次長検事」とは、検事総長に次ぐ検察のナンバー2、「検事長」は各高検のトップ、「公使」とは正式には特命全権公使といい、外交使節のうち、大使に次ぐナンバー2の地位にあたる。
  これらの「認証官」について、人事異動や前任者の辞任で新たな人が決まると、首相の任命の際と同じような書類が、開議を経たうえで天皇にのもとに届けられる。ただ、首相の場合の文面は異なり、たとえば「〇〇を副大臣に住命するについて認証を仰ぎます」(副大臣の場合)と「裁可」の部分が「認証」になっている。その上奏書類に目を通した天皇は、認証の意を表す「認」という印をその書類に押すのである。この印は「可」の印と同じサイズの小さいものだ。また、前任者についても、罷免(辞めさせること)の「認証を仰ぎます」という上奏書類に天皇が「認」の印を押すことにより、任免の「免」の認証が成立する。
    認証官については、本人に渡される、天皇の署名と、天皇の公印である御爾が押されている。(御名御爾の)辞令書(「官記」という)も、作成される。
    次に「全権委任状」は、他国と条約を結ぶための交渉権限を特定の者に与えるといった、大使などに比べると限定的な目的の外交使節に発行される文書をいうが、これは現在、発行されることはほとんどないという。
  「大使・公使の信任状の認証」についてだが、太使や公使を海外に派遣する場合、相手国の元首へ持参する信任状が必要になるが、それを交付する際、内閣から書面で、信任状を交付することについて天皇の認証を求め、天皇は認証の意の「認」の印をその上奏書類に押す。また大使らが待参する「信任状」そのものにも自ら署名し(御名御爾)、「(認)の印を押す)書類決裁+信任状への署名」というセットで国事行為が成する。

大赦、特赦など
  8の(大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除および復権の認証)だが、これらは「恩赦」と呼ばれ、憲法にも規定(第73条)された内閣の業務の一つである。恩赦とは、裁判所以外の国の機関(行政機関)が、裁判所が言い渡した刑罰を変更することなどを指し、国家的慶事などの際に行われる。
「大赦」は現在の天皇陛下が皇太子時代に結婚された際(昭和34(1959)年や天皇に即位された際(平成元(1989)年)、沖縄の本土復帰(昭和47(1972)年)などの際に行われている。「特赦」は同じようなものだが、有罪の言い渡しを受けた人のうち特定の人に対するものである。これらも認証を求める書類が天皇のもとに届き天皇が「認」の印を押すことになる。
  10の(批准および法律の定めるその他の外交文書の認証)だが、批准の認証は、内閣から天皇に届いた「〇〇条約(右謹んで)認証を仰ぎます」という書面に天皇が「認」の印を押す。さらに、「〇〇条約を閲覧点検し、これを批准する」といった文面の「批准書」そのものに署名、御爾が押されることで認証行為が成立する。また、条約も法律などと同様に公布の手続きが必要なことはすでに述べたが、条約の発効には、「批准の認証を求める上奏書類への押印」「批准書への署名」「その条約の公布文への署名」と、天皇は三つの行為をすることになる。
「法律の定めるその他の外交文書」とは、「大使公使の解任状」「領事官の委任状」「外国の領事官に交付する交付する認可状」の三つをさす。
「解任状」については、1章で、新しく着任した大使が、前任者の解任状も持参することになっていると説明した。この場合の解任状は外国の大使のケースだったが、諸外国に派遣されている日本の大使が交代するときも、新たな赴任大使の信任状のほかに、前任者の解任状を相手国元首に手渡している。その解任状の交付を求める内開からの上奏書類に天皇は「認」の印を押し、解任状自体へも署名する(御名御爾)ことによって認証が行われたことになる。
「領事官の委任状」は、日本から各国に派遣される「領事」に関するもの、「外国の領事官に交付する認可状」とは、諸外国が日本国内に領事を派造する際、相手国の元首名で来た委任状に対し、日本の元首の名で承認を出すものである。

  「覧」という印
  最後に、「覧」の印(「覧」とは「目を通した」という意味)を天皇が上奏書類に押すもの=13(国事行為を委任すること)についてふれる。
  天皇の海外訪問や、一時的な病気(による人院)などで職務が困難となったとき、「国事行為の臨時代行に関する法律」に基づいて、国事行為の一部や全部を皇太子などに臨時に代行させる(委任する)ことがある。この「国事行為を委任すること」自体も、国事行為とされている。
 委任にあたっては、内閣から「天皇陛下はこのたびの外国旅行の問、(中略)国事に関する行為を皇太子殿下に委任して臨時に代行させることとされた」(外国旅行の場合)との文面の、首相の名による書類が天皇のもとへ届き、天皇は「覧」の印を押す。「可」(裁可)や「認」(認証)ではなく、この行為のみ「覧」という印を使うのは、国事行為の委任という行為が天皇自身そのものに関することで、しかも形式上は、天皇自身が委任したかたちをとるため、自らの行為に対して〝認める〟という意味の「可」や「認」の印を使うのはふさわしくないためだと思われる。

 宮内庁関係書類の決裁
  ここまで、国事行為に関する書類(「内閣上秦もの」と呼ばれる)の決裁について説明してきたが、「執務」では他の書類の決裁も行われている。それは「宮内庁関係書類」と呼ばれるものである。これは、「皇室関係書類」と言い(つまり閣議決定など)とは直接関係のない、皇室内部や宮内庁に関する書類で、侍従らが天皇に見せ、一部はおうかがいを立てる(了承をもらう)のである。年問約1000だという。
  この宮内庁関係書類は、「お伺い」と「ご覧もの」とに分かれる。
  「お伺もの」には天皇から外国の元首あてに送信する電報(親電という)や手紙(「親書」という)、国や社会に功績のあった人が死去した際に供物(お供えもの)料として出される「祭粢料」(一般の香典のようなもの)について了承を求めるもの、国体開会式などへの出席のため、泊まりがけで地方訪問する際のスケジュールの確認などさまざまなものがある。
  「親電・親書」については、外国元首とさまざまな機会にやりとりをしている。文面は宮内庁などが基本的なものを作成し、侍従が天皇に見せる。天皇の了承を得ると、侍従が「お伺済」の印をその裏に押していくのである。
 国体開会式や植樹祭の式典出席のための地方訪問のスヶジユールは、訪問先の都道府県(庁)が訪問していただきたい施設なども含め作成し、宮内庁に示す。そして両者で調整が行われた後、それが書類として天皇のもとへ届けられる。天皇が了承すれば、侍従によって「御伺済」の印が押され、そこから訪問先の都道府県や、警察による警備が公式にスタートするのである。
  このほか、宮内庁職員の人事異動なども、宮内庁関係書類として天皇のもとに届けられている。元宮内庁式部式部職員の武田龍夫氏の、「昭和天皇の時代 元式部官の私記」(勉誠出版)には、外務省から宮内庁にに出向する際、その人事発令の書類を見た昭和天皇が「この新式部官の名には記憶がある」と声を上げられ、非常に珍しいことなので、周囲にいた職員が驚いたというエピソードが紹介されている。
  変わったものでは、平成16(2004)年12月30日の執務で天皇陛下が決裁された書類に、長女の紀宮さま(現・黒田清子さん)と黒田慶樹さんの「ご結婚の件」というものがあった。陛下がそこで許しを出され、それを受けて同日、宮内庁長官がご婚約内定発表の記者会見を行った。これなどはまさに皇室(天皇家)内部の事項であり、内閣からの上奏書類とは性格の異なる典型的なものである。
「ご覧もの」の宮内庁関係書類とは、「お伺もの」で紹介した電報などのうち、諸外国の元首から夭皇に送られてきたものがあたる。平成16年の例でいうと、新潟県中越地震に際し多くの元首から見舞いの親電が送られた。また、天皇誕生日(12月23日)には各国元首からお況いの電報が届いた。このような電報は天皇のもとに届けられ、天皇皇陛下が目を通されたものについて、侍従が「御覧済」の印を押す。
  そのほかでは、たとえば、皇太子の誕生日の前には、住まいである東宮御所で予定されている誕生日祝賀行事の内容を報告するものや、海外に留学中の〇〇宮家の(子の)〇〇殿下が〇日~〇日まで一時帰国することになった、といった、天皇にに報告すべきと判断されたものが書類として届けられ、目を通すと侍従が「御覧済」の印を押していくのである。
  なお、宮内庁関係書類の決裁については、火曜・金曜午後の「執務」の時間だけでなく、天皇が住まいの御所にいるときにも行うことがたびたびあるという。

執務室「菊の間」
  執務の場所には、皇居・宮殿の北西部分にある表御座所楝の「菊の間」という約10メートル四方の執務室があてられている。
  「菊の間」は、南西部分が芝生の敷きつめられた宮殿の南庭に面した明るい部屋で、書類決裁を行うための大きな机が置かれている。天皇が机に向かって執務を行い、担当の侍従が決裁の終わった書類を下げ、新たに決裁を求める書類を差し出す、という作業が繰り反される侍従は近くの控えの部屋(「侍従候所」と呼ばれる)に下がることもあり、その場合、書類の内容などで確認したいことなどがあった際には、天皇は侍従候所に直通通話やブザーなどで知らせて呼ぶことができるようになっている。
天皇陛下が平成16年に決裁された書類の件数は、内閣からの上奏書類が1091件。1100~1200件前後という数は、毎年、ほぼ変わらないという。
この1091件の内訳は、(通常国会や臨時国会などの)詔書が4件、法律などの公布が60件、叙勲などの栄典関係103件、信任状などの認証42件、恩赦関係11件、外国大使などの接受18件、認証官の任免28件、勲記・官記(辞令書)・信任状•解任状などが281件。国事行為の委任と儀式の挙行に関するものはともにゼロ件だったが、こ
れはこの年に天皇の海外ご訪門がなかったため、皇太子さまに国事行為を委任する必要がなかったのと、臨時の国事行為の儀式などが行われなかったためだ。
 年間1091といってもカウントのしかたの問題もあり、単純に、決裁した書類が1091通というわけではない。たとえば、「栄典の授与」については、週二回の天皇の執務で毎回、最低でも数百人分の叙勲の書類(叙勲の理由となる功績を記した功績調書など)が届く。先に述べたように、春・秋の叙難シーズン以外にも叙勲があるためである。平成16年でいえば死亡叙勲が8820件、高齢叙勲が1620件もあつた。
  春・秋の叙勲シーズンにはそれぞれ、数千人分もの叙勲、褒章の受賞者の名簿、功績庁舎調書が天皇の手元に届き、目を通したうえで「可」の印を押す。たとえば「瑞宝双光章」だけで各回約1,000人が受賞しているが、その約1000人が一回の執務で処理される場合、「瑞宝双光章〇〇〇〇(名前)ほか〇名、右謹んで裁可を仰ぎます」と一件の上奏書類としてカウントされることになる。
  関係者によると、天皇の執務時問は、ふだんは一時問くらいだが、春・秋の叙勲シーズンなどになると、分厚い名簿や功績調書に目を通す必要から、六時間前後かかることもあるという。
  法律の公布をはじめ、執務には国家運営上重要なものが数多く含まれているため、たとえば「風邪」などの休調を理由に休むこともできない(国事行為は「天皇」が行うと規定されている)ほか、他の行事を理由に遅らせることもできない。これは、天皇が、生存中に退位できないことや、天皇に「定年」がなく、年齢にかかわらず生涯、国事行為などの仕事をし続けなければならないことと並び、特筆すべきことである。

   地方訪問中も
  国体や植樹祭への出席などのため、天皇が泊りがけで地方訪問している場合、書類の決裁はどうなるかというと、内閣官房の職員が閣議後、すぐに公文書を現地まで運び、決裁してもらうのである。
  たとえば、平成16(2004)年1月23日(金)~26日(月)まで沖縄県を訪問された際には、23日金曜(閣議のあった日)、天皇陛下は夜、宿泊先のホテルの部屋で上奏書類を決裁されている。書類は同日午前の閣議の案件で、閣議終了後、すぐに職員が飛行機で沖縄まで待参した。また、御用邸などで静養している場合でも、閣議を経た上奏書類は御用邸まで述ばれ、現地で決裁される。
  ふだん、皇居・宮殿で行われる執務(火曜・金曜の午後)の際、内閣からどのように上奏書類が届くのかというと、午前の閣議後、内閣官房の職員が車で皇居内の宮内庁に運んでくる。書類は「上奏箱」と呼ばれる木製の箱に納められている。上奏箱は縱約40センチ、横約30センチで漆塗り、ふたの部分には菊の紋章、その左下に「内閣」という文字が金の蒔絵でほどこされている。
  書類決裁の際、天皇が押す印には、「不可」「不認」など、「ノー」の意思表示をする印はない。これはすでに述べたが、「国政に関する権能(権限)を有しない」(憲法第4条)ため、国事行為は「内閣の助言と承認(内閣の同意や意思)を必要と」(同第3条)天皇の意思による拒否権はない、ということになった。このため、天皇の国事行為は書類決裁も儀式も儀礼的形式的なものとなっており、天皇に意思決定権がない代わりに責任についても「内閣が、その責任を負ふ」(同3条)のである。
  ところで、春・秋の叙勲シーズンには、一回の執務に数千人の名簿や功績調書が内閣から届けられるというが、天皇はこれら膨大な書類すべてに目を通しているのだろうか。答えは「目を通している」ようである。
  政府関係者によると、現在の天皇陛下が以前、執務を行っていたある日、上奏書類で裁可を求められた多数の叙勲対象者について、一部の人たちの功績調書が添付されていないことに気づき、指摘されたという。これは、添付書類にも目を通されていたということでしか説明がつかないというのである。そのときは結局、内閣官房がその部分を添付し忘れていたことがわかり、すぐに宮内庁にその部分の調書を届けたという。
  
「御璽」「国璽」の印はどのようなものか
  この章の最後に、「御爾」「国璽」についてふれておきたい。
 天皇の公印である「御爾」は、法律の公布文をはじめとする書類の公印である「国璽」は勲記などーーとそれぞれ国事行為関係の書類に押される大型の印である。その重要さは、昭和天皇の崩御により、現在の天皇陛下が即位(皇位を継承し天皇の地位につくこと)した際(昭和64(1985)年1月7日)に行われた皇位継承の儀式「剣璽等承継の儀」で、天皇のシンボルである〝三種の神器〟(このうちの「剣」の分身と「曲玉」、とともに御璽と国璽が皇居・宮殿「松の間」に運ばれ、直立される天皇陛下の前に安置され、新天皇に引き継がれたことでもわかる。
  宮内庁法の第1条には、同庁の役目として皇室に関する国家事務と「御爾国璽を保管する」が規定されているほか、刑法第164条では、御爾・国璽を偽造したり不正に使用した場合には、ふつうの公文書偽造より重い「二年以下の懲役」と定められている。
  「御璽」は天皇によって署名がなされたことを証明する印ともいえ、純金製、縱・横それぞれ909センチもある四角い枠の中に「天皇御爾」と刻まれている。現在使用されている御爾は、国璽とともに明治7(1874)年に作られたが、純金製だけあって重さは355キロもあり、両手でないと持ち上げて押印できない。それだけのものだから、押すには天皇ではなく宮内庁の職員で、朱肉もその大きさをカバーする特注のものが使われている。
   ある宮内庁幹部から聞いた話だが、御爾は天皇の署名とセットで押印されるため、その際、曲がって押してしまうといった失敗をしても、まさか「陛下、押印の方が失收してしまったので、新しい紙に署名し直していただけますか」などとはえない。だから担当の職員は前日は酒なども控え、早寝して体調を整え臨む人もいるという。
  「国爾」は国の印(国印)であり、大きさは御爾よりわずかに小さい縦横それぞれ9センチ、重さ3・5キロのやはり純金製。「大日本国璽」と刻まれており、勲記に押される。大綬章や文化勲章の勲記には天皇の署名も入るが、重光章以下は国璽のみとなる。春秋の叙勲シーズンにはそれぞれ約6000人が受賞するとすでに述べたが、それだけの数の勲記への押印も行われているわけで、「国璽を保管する」宮内庁の担当職員は、その時期、勲記に国璽を押す作業に追われると思われる。
  「日本国璽」でなく「大日本国璽」と刻まれていることについて、毎日新聞の宮内庁記者を60年以上にわたって務めた藤樫準二氏(故人)は、「(戦前は「大日本国や「大日本帝国」などの国号が用いられていたのが)戦後は「日本国となったが、(国璽)今日も従来通りの『大日本国』が用いられ、改刻の意見がまだ具体化していないようである」(「天皇とともに五十年」毎日新聞社)と説明している。

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上記の中で「宮内庁関係書類の決裁」に『変わったものでは、平成16(2004)年12月30日の執務で天皇陛下が決裁された書類に、長女の紀宮さま(現・黒田清子さん)と黒田慶樹さんの「ご結婚の件」というものがあった。陛下がそこで許しを出され、それを受けて同日、宮内庁長官がご婚約内定発表の記者会見を行った。これなどはまさに皇室(天皇家)内部の事項であり、内閣からの上奏書類とは性格の異なる典型的なものである。』との記述がありますが、娘の結婚を「裁可」するという驚くべき「家父長制」が垣間見えました。ここから見えることは、平成29年9月3日文仁親王同妃両殿下御感想『本日、天皇陛下のご裁可をいただき,私たちの長女,秋篠宮眞子と小室圭さんとの婚約が内定いたしました。』と公式に発表したので、皇室ジャーリストや女性週刊誌があれこれ論評しても二人の婚約・結婚は動かないでしょう。

(了)

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