FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

投資におけるロジカルとエビデンス

このところ投資手法についても「ロジカル」とか「エビデンス」とか、そういう言葉を聞くことが増えました。一昔前までは、投資は「大人のギャンブル」という感じで、出てくる言葉は相場師の格言的なものがほとんどだったのですが、だいぶ雰囲気が変わってきたものです。

 

では、投資における「ロジカル」とか「エビデンス」というのは何を意味するのでしょうか。考えてみます。

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語義的に見ると

語義的にみると、「ロジカル」は論理的、「エビデンス」は証拠を指します。

 

論理的というのは、「『Aが真であるならば not A は偽である』『AとBが共に真であるならば,A and B は真である』というように、いくつかの前提をもとにして記号を操作していくと、何かしら結論が出るという思考の流れを指します。

 

証拠=エビデンス、というのは過去の実例において、起こった出来事を指します。「以前試したところ、このようになりました」。ひらたく言えば、これがエビデンスでしょう。

科学におけるロジカルとエビデンス

科学においては、理論を組み立てて出来事の振る舞いを予想するのが理論でありロジカルであるといえそうです。一方で、実際に試してどうだったかを確認するのが実験でありエビデンスだといえるでしょう。

 

医学においても、薬が効く理由を分析して、だからこの薬はきっと効くはずだというロジックを組み立てます。一方で、実際に薬を投与して、本当に効果があったのかを確認した結果がエビデンスです。

 

ロジックは論理を組み立てて、記号を操作して、結論を導き出します。この流れをみる限り、そこには誤謬の余地がなく、あたかも間違いがないように感じてしまいます。ただし、注意しなければいけないのはそこには必ず前提条件があり、仮定があることです。

 

例えばニュートン物理学についてWikipediaにはこう書かれています。

現代の物理学の視点では、ニュートン力学は、「巨視的なスケールで、かつ光速よりも十分遅い速さの運動を扱う際の、無矛盾・完結的な近似理論」と理解される。

ニュートン力学 - Wikipedia

つまり量子レベルまで小さくなったり、光速に近い速さになったりすると破綻します。ものすごいマクロの物事については相対性理論が必要ですし、ものすごいミクロのものについては量子力学が必要です。論理的で記号操作が正しくても、それが成り立つためには何らかの前提や仮定があり、それが崩れると成り立たないわけです。

 

エビデンスは、ロジックとは異なり、なぜそうなるのかを追求しません。「この薬を与えるとこの病気が治った。理由は不明」であっても、そこに副作用がなければ有用な薬ということになります。非常に実用的(プラクティカル)な考え方ですね。

 

例えば手術で一般的に使われる吸入の全身麻酔は、未だになぜ効くのか分かっていないそうです。どういう仕組みでそうなるのか分からない、ただ必要な効果だし、過去の実例による蓄積で副作用や事故があったときの対応もわかっている。なら使おう、というのがエビデンス的な発想といえそうです。

投資におけるロジカル

では投資におけるロジカルとはどのようなことを指すのでしょうか。例えば下記などはロジカルな話なのではないでしょうか。

ここには、いくつかの暗黙の仮定が含まれていて、その前提で組み立てられた論理であることは注意が必要です。例えば、金融理論のほとんどでは株価はランダムウォークすると「仮定」されており、結果分布は「正規分布」となる「前提」で組み立てられています。

 

また計算式に入れ込む数値に、過去のデータから得られたものや、将来の数値を予測したものが入っている場合も多々あります。最適なポートフォリオを組み立てる式自体はロジカルですが、そのために必要なリスク(分散、ボラティリティ)は過去の実績を当てはめますし、推定リターンは過去の実績を元にいろいろいじって決めるわけです。

 

DCFにしても、適切な資本コストをロジカルに導くことはできませんし、企業の将来キャッシュフローを適切に推定することは不可能といってもいいでしょう。そもそも、なぜ過去の金利水準が5%前後だったのかも、ロジカルには説明できないのです。

投資におけるエビデンス

一方で投資におけるエビデンスとはどのようなものでしょう。過去の株価推移、過去の金利水準、過去のGDPの伸び、こういった過去のデータから、将来を見通そうというのがエビデンスの基本的な方法論です。

 

医学における薬の効能がそうであるように、ここには絶対確実な真実というのはなく、「多くの場合こうだった」「こうなる確率がこのくらい」という、確率分布的な考え方が必要になります。

 

自然科学系の実験では、統計的に誤りである確率が5%以下ならば、正しいとみなすことが多いのですが、社会科学である投資系の場合、再現実験が不可能でもあるので、エビデンスという意味でも、自然科学や医学のような意味でのしっかりとしたエビデンスは出せないともいえます。

 

さらに、投資においては各試行が独立しておらず、結果自体が次の試行に影響を与えることも大問題です。ある投資法が過去のエビデンスからうまくいくとみなされたとしても、それを実行した途端、実行したことで各所に影響が波及し、回り回って投資成績自体に影響を与えたりします。その投資法が広く知られでもしてしまったら、みんながそれを実行することで、優位性はすぐに失われてしまったりするわけです。

演繹と帰納

こうしたロジカルとエビデンスの関係は、演繹と帰納の関係にも似ていると思います。演繹とは、一定の法則から将来の出来事を予測すること。これはロジカルな考え方に似ていますね。帰納とは具体的な出来事から一般的な法則を導き出すこと。これはエビデンス的な考え方です。

 

もちろんこの2つは相互に連携して精度を高めていく関係にあって、演繹で出来事を予想し、実際に起きた出来事から帰納で法則をアップデートしていく。そういうループを構成します。ビジネスではこれをPDCAとも言ったりします。

 

演繹と帰納には、それぞれ手法に内在する限界があります。演繹は「前提を仮に認めるとすれば、必然的に結論が導かれる」という特徴があって、これはロジカルな考え方と同じで前提によってすべてがひっくり返ることになります。帰納は「あくまでも確率・確度といった蓋然性の導出に留まる」という課題があります。「いままで1000匹の白鳥を見たがすべて白かった。だから帰納的にすべての白鳥は白い」と言いたくなりますが、これはただ1匹の黒い白鳥が見つかっただけでひっくり返るわけです。いわゆる「ブラックスワン」です。

投資におけるロジカルとエビデンス

こうした特徴から、投資においてもロジカルとエビデンスの注意点が見えてきます。

 

まずロジカルな投資手法は、そこにどんなに高度そうに見える数式が出てきても、何を前提としたロジックなのかに注意しなくてはなりません。自然科学の比でないほど、社会科学のモデルは単純化、仮定、特殊な前提をおいた上で作られており、この前提に誤りがあれば、その後の論理展開もすべてひっくり返ります。

 

そしてロジックの前提となる数字の多くは、過去の実績というエビデンスに基づいて作られていることが多々あります。ところがエビデンスはあくまで過去の実績であり、たった一つのブラックスワンでひっくり返る運命にあります。そうでなくとも投資に関するエビデンスは十分に長い期間蓄積されたとは言い難いですね。

 

もちろん、占いや雰囲気、偉い人やすごい人が言っていたというような、ロジックもエビデンスもないようなものを根拠に投資するよりは、ロジックやエビデンスのほうが確実でしょう。それでも、それを頭から信じないように注意が必要です。

 

例えば、ロジカルな話であっても暗黙の仮定となっているのは何か。エビデンスについては、都合のよい期間のデータだけを使っていないか。これらを真摯に受け止めている人ならば、導かれる結論について「絶対」とか「ほかは間違っている」というような断言は決してしないはずです。もし断言している人がいたら、それは能力不足か知的に不誠実なのかのどちらかです。そういう人に限って、難解な数式や専門用語で煙に巻こうとしたり、データの出典を明かしていなかったりします。

 

当然深い深い世界なので、全てを自分で完全に理解するのは難しいと思います。それでも、鵜呑みにしない姿勢は持ち続けたいと思っています。

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