あれから30年 阪神淡路大震災
1995年1月17日午前5時46分、
死者 6,434名、負傷者 43,792名。
避難人数(ピーク時) 31万6,678人。
【阪神淡路大震災から21年】 1995年1月17日午前5時46分発生 死者6,434人 行方不明者3人 負傷者43,792人 哀悼の意を表すると共に、災害の備えを常に怠る事なく、震災の教訓を全世代へ伝えていきたいと思う次第です。 pic.twitter.com/1YVJM1DoMU
— ボランティア団体Team-K (@vteamk) 2016, 1月 16
あの後、現地を訪れたましが、3カ月たっても小学校のブロック塀や崩れた住宅から乗用車のテールランプが見えていました。生々しい風景で、唖然としました。
暗いニュースにしたくないので、あの年の関西は、どう動いたか?
スポーツ界とエンタメ界の動きを紹介します。
がんばろう神戸
プロ野球・オリックスブルーウェーブは『がんばろうKOBE』をスローガンに1995年(平成7年)、1996年(平成8年)とパ・リーグ連覇。1996年(平成8年)は日本一を成し遂げ、被災者を勇気づけました。
サッカーのJFLヴィッセル神戸は1995年(平成7年)1月1日に正式にヴィッセル神戸として始動。日本プロサッカーリーグ昇格を目指し、1月17日に初練習をする予定でした。
だが、震災により岡山県倉敷市での練習開始を余儀なくされ、神戸では練習場の確保が困難であるため、練習場を転々とせざるを得ませんでした。
このように震災の日にチームが生まれたことを祈念するため、ホームスタジアムでの試合ではサポーター達により、試合前に「神戸讃歌」(「愛の讃歌」の替え歌)が歌われ続けています。
サントリーはこの年のプロゴルフトーナメント「サントリーレディースオープン」を中止。
その開催費用を原資として神戸市消防団に対して手引き消防ポンプ・可搬動力ポンプ積載車を全分団に配置可能な数量を寄贈し、その後も毎年数台を寄贈しています。
映画界でも
正月映画・男はつらいよシリーズの第48作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』では、神戸市側から松竹へのロケの要請や山田洋次監督の元に復興に努めていた夫妻からファンレターが届いたことがきっかけで、もっとも被害が大きかった神戸市長田区が舞台となり、神戸の「復興とボランティア」がテーマとなりました。
以上は、ごく一部を紹介したに過ぎませんが、私も大阪であの揺れを経験しました。
もし、あと2時間あとに地震が来ていたら、阪神高速の上で被災していました。毎日、渋滞する高速道路の上で大惨事になったと思います。
東京に来て今度は、東日本大震災に遭いました。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
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