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パソコン相撲 入門

今度は伊勢崎から、本庄、上里、高崎、藤岡、神川の旅

2023-06-04 17:06:12 | パソコン相撲
また、伊勢崎発のバイク旅行をやって来ました。
私は現地でバイクを借りての、東西南北方面へと少なくても4方向へ向かいます。
東方向、南方向と旅したので、今回は西方向をまわって来ました。
年内には残る一つの北方向の桐生、足尾方面に行く予定です。

坂東太郎は、昔から暴れ川と言われて来ました。今もそうです。
江戸時代になって一大工事で流れを変えることで、江戸の水害を減らすことに。
太田道灌の頃までは、濁流となって武蔵野の原野を流れゆくまま。
もともとの江戸湾は、漁村が点々としたアシの生い茂る寒村でした。
明治以降も決壊、中洲の移動などで町の堺まで変えて来ました。
ここ伊勢崎でも、境島村地区は利根川を挟んで南側の埼玉側にも跨っている。
群馬、埼玉の県境は、川を越えての飛び地が多く見られます。

上野、武蔵の国境の神流川古戦場跡へ行って来ました。
ここは戦国時代最大の関東での戦場です。織田信長討たれるの2週間後のこと。
関東管領を任されていた滝川一益は急報を受け、すわ一大事と。
急ぎ上方へと戻らればならぬ、この隙を突くは北条氏直、数万の兵を進める。
迎え撃つ滝川勢は、上州軍を合わせても半分強で対峙することに。
時は天正10年6月下旬、神流川の河原で、義の滝川と野望の北条とが激戦となる。
「炎熱石を焦がし、流水煮える中に阿鼻叫喚の死闘であった」と伝わる。
数には勝てずなり、滝川勢3760余、北条勢300弱を屍とす。
両軍合わせての首塚、胴塚を見るにあたり寂寥の感に打たれる。
時代が動くとき、関東ではこの戦である。本能寺の変がなければ、違っていた。
後、北条家は滅ぼされ、織田家は秀吉に飼い犬のようにあしらわれた。
三日天下光秀、にわか天下秀吉、それでやっと天下泰平の江戸時代を向かえる。

天然記念物の中には、当時の風を知っているのもあります。
歴史の生き証人でもあるのです。私は畏敬の念が湧いて来ます。

城山稲荷神社   埼玉県本庄市本庄      県天  ケヤキ
 、、                    市天  ヤブツバキ
愛宕神社           中央      市天  ケヤキ
金鑚神社          千代田      県天  クスノキ  
 、、                    市天  カヤ
宝輪寺            沼和田     市天  カヤ
飯玉神社           沼和田     市天  サカイチ
日枝神社           沼和田     市天  ケヤキ
石神社         上里町神保原町    市天  柿
浄泉寺      群馬県高崎市新町      市天  イチョウ
水宮神社        藤岡市岡之郷     県天  ケヤキ
御巡部神社          矢場      市天  サカキ
石神神社     埼玉県本庄市児玉町小平   市天  スギ・ケヤキ
八幡神社              児玉   市天  ツバキ・林


歴史好きなので、すべりが出ました。
旅をすると、その時代、また違う時代と、時を越えた楽しみが出来ます。
関東とは、まさに関の東である。京からすれば、関の先、昔は東えびすの国である。

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