NHKの「不確かな」字幕問題で問われているのは最初から「決め打ちの捏造」だったのかだ それでもバカとは戦え
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2022/01/15 日刊ゲンダイ


欧州で評価の高い映画監督の河瀬直美氏は、バッハIOC会長とも親密といわれる(C)日刊ゲンダイ

 NHKは昨年12月26日に放送、30日に再放送されたBS1スペシャル「河瀬直美が見つめた東京五輪」後編の字幕に、不確かな内容があったとし、謝罪した。これは今年6月に公開予定の東京五輪の公式記録映画の製作を進める映画監督の河瀬直美らに密着したドキュメンタリー番組で、NHK大阪拠点放送局が制作した。NHKは番組に登場した男性について「五輪反対デモに参加しているという男性」「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」とテロップで紹介。

 これは河瀬の依頼で五輪反対を訴える市民らを取材していた別の映画監督島田角栄に密着したシーンだったが、実際には、男性が五輪反対デモに参加した事実は確認できていなかった。

 NHKは「制作担当者の思い違いや取材不足が原因」と説明したが、もちろんそういう問題ではない。問われているのは、取材の甘さではなく、最初から「決め打ちの捏造」であったかどうかである。そしてそれを指示したのは誰かだ。

 当たり前の話だが、メディアは事実関係について完全に裏を取る。特に大きな影響力を持つNHKは何重にも厳しいチェックを行う。実際NHKは「放送前に関係者間で複数回の試写が行われた」と説明している。つまり、担当ディレクター一人が暴走したのではなく、組織的、かつ意図的に行われた可能性が高い。河瀬が莫大な利権を手に入れた国際オリンピック委員会会長のトーマス・バッハと親密であり、安倍昭恵とも近いという話を聞くと、いかがわしさも増してくる。

「日本に国際社会からオリンピックを7年前に招致したのは私たち」「それを喜んだし、ここ数年の状況をみんなは喜んだはずだ」という河瀬の発言も反発を買った。

 五輪を招致したのはごく一部の連中であり、「ここ数年」の状況下においては国民の7~8割が開催に反対していたのである。現実を無視する人間が創作(河瀬自身の言葉)する記録映画とはどのようなものになるのか?

 嘘とデマによる招致、会場設計のトラブル、開催費用の拡大、エンブレムの盗作騒動、女性を「豚」として扱う演出案まで、東京五輪はわが国の精神的腐敗と凋落の象徴そのものだった。河瀬の記録映画がこうした現実をまともに描くとは到底思えない。

今回も前回にひきつづき「しょぼいオッサン」シリーズでお送りします。

 

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↑↑しょぼいオッサンと、関係者が持ってるものは”キリン一番搾り新おいしい”でした↑↑

 

↑↑よく見るとしょぼいオッサンが持つビールは、プルタブは開いてない↑↑

 

そもそも「昨日の記事」において「しょぼいオッサンがしょぼい公園で真っ昼間から”飲む”」のは「お高いビールじゃなくて、クソ安い第3のビールか酎ハイかハイボール」だろ!!って思ったわけで、そして「監督とかNHK関係者なる”上級国民”の薄ペラな”駄目なオッサン演出”は真っ昼間から何処でも”お酒を飲む姿”の材料を求める」が故の「演出」なのではないか?って思うし、こんな人達が「何の主義主張もなく、単に金目だけで五輪反対デモに参加」しているだけの「レッテルを貼る」演出だと思い記載したわけですよ。

 

そして「お酒の代名詞と言えば庶民的感覚では”ビール”が最も印象に残る」と考えた「上級国民」たる「監督やNHKの面々」は、現状把握が出来ておらず「正に昭和の意識」の中で「しょぼいオッサンが似合うのは”現在はクソ安い第3のビールか酎ハイかハイボール”」であるのに「上級であり昭和脳」であるから「ビール」が「演出の道具」として「適用された」ものであるから、だからこんな「構図」となったわけだと思いました。

 

で、昨日は気づかなかったのですが、よーく画像をみてみると「しょぼいオッサンがしょぼい公園でビール片手にくっちゃべってる」シーンにおいて、何故か「ビールの”プルタブが開いてない”状態」つまり「ビール片手に良い気分」で喋ってるかの如くの「構図」なのですが、その実「実際にビールは飲んでいない(改めてこのしょぼいオッサンが出演してる動画を見てみましたが終始プルタブ開かず笑笑)」と、結局「ビールを飲んでる気配無い」わけなんですよ。

 

で、こんな「昼間っから堂々としょぼい公園でお酒飲むしょぼいオッサン」の日常スタイルってのは、なによりも「楽しみ・生きがいがお酒」であり、3食お酒な生活スタイルなわけだから、しょぼい公園のベンチに座ってまずやることと言えば「片手にもったビールのプルタブをおもむろにペコッって開けて、初めの一杯を”ップファ~”って感じで美味しそうに飲む」と言う「見事なまでの屑シーケンスっぷり」が想像できるわけですよ。

 

だけど今回のしょぼいオッサンの流れは「まるでお酒を飲んで”正直に五輪反対デモの裏話を話してる”」ような「構図」である一方、実際の「ビールは、プルタブは一向に開かず」で、結局「ビールは飲んでいないが”飲んで喋ってる的演出”の一環」であり、そして「視聴者に伝えたい事」として明確なのは「こんな駄目なしょぼいオッサン達が”金貰って五輪反対デモに参加している”だけ」と言った「演出」をさせたいから、だから「臨場感がどことなく欠ける」し「違和感」その「中心」が「実はビール飲んでなかった」事こそ「演出」だったと言えるわけです。

 

↓↓しょぼいおっさんと「ゴトビール」笑笑↓↓

正に河瀨直美先生の演出は「カイジ沼編」の「ゴトビール」の如し!!

 

だけど「このしょぼいオッサンは具体的には”どの五輪反対デモ”とも”五輪反対デモ参加して金を貰った”具体内容」も言ってない事が編集時点で発覚したので、場当たり的に辻褄合わせのために「後で”字幕”」入れた事によって「今回の問題が浮き彫りになった」のかと思いました。

 

 

そういえば「NHK」と言えば、過去に今回のような「演出」を「ドキュメンタリー番組」で「行って」るわけで、今回の「五輪反対デモの”デマ”ヤラセ」問題も、結局「クロ現」の「やらせ」と全く同じ「架空の演出・演技」だったのでは?と、この「ビールのプルタブが開いてない事実」から言えるではないかと思います。

 

あと、今回改めて動画を見てみたのですが、ここで「このしょぼいオッサンのしょぼい公園ビール五輪反対デモ金目シーン」の前に、あえて上記画像の「ちょっと一般の人と乖離してる”モヒカン鼻ピおやじ”」を「出演」させて正にこの中で「こんな人でも”五輪に対して正論言ってる”」的な「悪いのは”五輪”じゃなくて”コロナ”」だと「印象付けるための”演出”作り」が半端ないなあ!!って思いました。

 

そもそも「何故五輪反対論」が五輪直前になって「高まった」のか?って言えば、思い起こせば「2021年は菅政権になって益々”コロナ対応が後手後手”」で「その年のオリンピック期間まで”緊急事態が解除されたのは東京はたったの21日”」しかなく、そして「その21日を含めて全て飲食店の時短やお酒提供の自粛」が続いてたわけですよ。

 

そして「お酒の提供や時短営業を守らない店舗」が増えてる最中に「自民印の西村コロナ担当(当時)」が「お酒の提供元の卸売に圧力」をかけて「お酒を提供しないように」としたり、あげくの果てに「金融機関に、融資先の飲食店に圧力をかけさせよう」としたり、国民には「多大な負担」や「自助・共助・絆の精神」を「押し付ける」一方、東京五輪は「有観客ありき」で、スキあらば「フル開催」を画策して、そして実際に「五輪関係者達は”実質コロナ検疫フリー”」の「隔離0日化」対応や「実質五輪関係者が東京の街に繰り出す事を容認」するかの如くの対応など「ザルすぎるバブル方式」などの対応が行われたわけです。

 

 

さらに「五輪開催時期では”病院が逼迫”」して「医療崩壊」状態になったら、真っ先に「菅政権」の「自己責任論」を中心とした政策を国民に強いたわけで、それは「重症リスクの高い人以外は自宅療養」としたものであり、その一方「五輪選手向けには”十全なる病床確保”(どれだけ確保していたか非公表)」と、結果的に「国民にはコロナは自己責任」となったわけですが、これが五輪開催前から、そうなるのでは?と「元々予想された事」であり、それらを持ってして「こんなコロナ禍に東京五輪をすることに反対」と、医療資源が足らなくなるのに、五輪をすれば「五輪に医療資源を取られる」として「五輪反対論」となったわけですよ。

 

なので、決して「五輪は悪くない」一方で「コロナが悪い」的な「モヒカン鼻ピおやじ」の、捉え方は、この五輪反対の本質である「政治判断で国民の生命より五輪を優先とした」事を丸無視したものであり、本来の「五輪反対」ってのは、この「コロナ禍において”国民にコロナ感染は自己責任”」とした上で「医療資源も五輪中心」の「デタラメ」に対して、国民は「東京五輪は反対」であったものであるわけですよ。

 

だけどこの「NHKのドキュメンタリ」は「一般と乖離した生き方をするモヒカン鼻ピおやじの”アホ意見”」を正に「正論」のような位置づけとして「演出」してるわけで、これって「こんな”モヒカン鼻ピおやじ”」ですら、五輪に関しては真っ当な事を言ってる的な「五輪をやって本当は皆”よかった”」と言ってると「まさに”台本ありきの構成”」で「都合の良い部分を”切り取り編集”」されてるわけですよ。

 

で、結局は今回の問題は、全体を見ると「なるほど」とよく分かるわけで、この「河瀬直美が見つめた東京五輪」の「サブタイトル的な” 河瀬の苦闘の日々を追った ”」ものとして構成するにあたって、色々撮った材料に対して「苦闘の日々」を構成するにあたって「まずは濃キャラ的”モヒカン鼻ピおやじ”」を登場させたわけですよ。

 

で、このような人ですら「五輪に正しい理解を持ってる的」演出を展開し、次に「昼間っから公園でビール飲む人生の落伍者的位置づけのオッサン」は「実は本人には”東京五輪反対”と言う主義主張は全く無く、ただただ”日常の酒”のために”五輪反対デモに参加した金目目的”」だったと。

 

 

 

結局は五輪反対を唱える人の多くは実は「ごく一部の安倍反対派の存在」が引き起こしたものであり、その存在は「安倍先生が申す通り”反日”的存在」でしかないわけで、実際に国民の大多数は「本当は五輪に賛成だし、安倍先生に大変感謝していた」だったと言った「演出」を印象づけたい。

 

(Q.どういったところに光と影がありましたか?)

やはり分断です。

約8割がオリンピック開催に反対している、望まれていないものをどうしてやるんだと、デモの方たちもたくさん出ていました。

自分たちの置かれている現実、新型コロナの感染者数が増えている状況のなかで、不安が不満になる。政府への不満。それもオリンピックがとても目立っているからこそ、そっちに全部不満が来るような意味でなされるなかで、それでもやろうとする人たちがいる。

そして「苦悩=五輪を邪魔する存在」を「国民にわかりやすいものとする」いわゆる「五輪賛成=光」で「五輪反対=影」と言う感じの「わかりやすさ」で「現実としては安倍先生の英断によって、2度目の東京五輪を誘致していただいた正に”英雄的存在”」であり、そして皆「国民の大多数の人は安倍先生や自民党に大変感謝している」的な事を色濃く「演出」するために、今回ほしい材料として問題となる「不適切な字幕」で「実際には反日(影)が五輪反対デモも主催者で金をだしてる=河瀬の苦闘の日々」と見せたかったのではないかと思いますね。

 

まさに「河瀬直美が見つめた東京五輪」は「光と影」を表現するもので、そして「光と影の境界線は”分断”」結局「東京五輪」における「アスリート達=光」で「モヒカン鼻ピおやじ=実は光」で「しょぼい公園ビールオッサン=影の氷山の一角」で「安倍先生が言う”反日が五輪開催に反対してる”=影」と「表現したい”NHKドキュメンタリー番組”」だから、そのテーマに合わせた結果が、今回の「不適切字幕」と言う名の「演出・編集」で、正に「ビールのプルタブを含めて組織的やらせ」以外ありえないわけですよ。

 

まあ「ヤラセ」や「改ざん」ってのは「一度手を染めてしまう」と、麻痺してそれが「日常的」になり「私達が表現したい崇高な事に”演出”が入ったとしても、これは”世間一般としては真実になる”」的な「真実は我々が作り提供するもの」と「傲慢な脳みそ」によって、常用化されるわけであり、だから「こんなデタラメドキュメンタリー番組」を「皆様からの受信料」で「平気で作りまくる」のだろうなあ!!って思うわけで、もはや「国民はNHKを”ご卒業”」なさって「優良資源である電波」を、もっと有効活用「たとえば新たなネット回線帯」に割当てて、テレビは「アマゾンプライムかNetflixの再生機」に位置づければ良いのでは?って思う今日この頃。