祈願祭の勧め!人生を再確認するための儀式

祈願祭の勧め!人生を再確認するための儀式

日頃神社に参っていない人でも、正月には初詣でに出かけていると思います。そして有名な神社にはたくさんの人達が押し寄せて、今年こそはと願いを込めて縁起ものを求めたりしております。一年の始まりの節目である元旦には、今から始まる新しい年の始まりを迎えて、心新たにお参りするのが習慣になっているようです。

私の場合はマイ神社を二つ持っています。地元の神社と商売繁盛の神社で、毎年正月の初詣でにはこの二か所にお参りしております。まずは地元の神社にお参りして、それから車で片道二時間半かけて島根県の津和野にあります、商売繁盛の神様・太鼓谷稲成神社にお参りしております。稲成神社のですが、ではなくと書くそうです。願いごとか叶が必ず叶うという縁起の良い名前なのです。

私も以前は自営でリフォーム業をしておりましたので、毎月初めにもお参りしていたのですが、今では一年に2~3回ほどお参りしております。正月は祈願祭もお願いしておりまして、毎年の恒例参拝となっているのです。正月の祈願祭には全国からたくさんの人達が来ておりますので大変混雑しており、津和野に到着してから神殿まで一時間以上はかかります。

祈願祭の意味

初めて祈願祭を申し込んだとき、受付を済ましてから少し待ち時間があるので、周りをぶらぶらしていたら、巫女さんが待合室に案内してくれました。さすが場所がらかソファーにすわっていると、ゆったりと落ち着いた気分になってきました。そして良いタイミングで巫女さんが、お茶とお菓子を持ってきてくれました。思わぬ待遇に感謝しつつ祈願祭が始まるまで、ゆっくりした時を過ごすことができました。

その間に今までの歩んできた道・これから進むべき道・そのための年の目標をイメージしながら、ゆっくりと時間が過ぎていきます。毎年新年には心新たにするけじめと共に、このひと時を過ごすこともひとつの楽しみでもあるのです。何年か過ぎて慣れっこになってきたある年のことです、ふっと見渡すと本棚に簡単な書籍が並べてあるのに気がつきました。何となく手にとり読んで待機しておりますが、没頭するこしもしばしばあり、気に入った本はメモして購入することもあります。

祈願祭の勧め!人生を再確認するための儀式

ありがとうの軌跡

今まででとくに気にいった、一番印象に残っている本がありますので紹介します。「ありがとうの軌跡」(小林正観)です。ありがとうを繰り返していると、良いことばかり起こるという、失敗しても苦にならなくて、自然と幸運が近づいてくる感じがしてくるという素晴らしい本です。

その他ゆっくりしているので、考えがまとまったり悟ることなどがたくさんあります。いつも不満に感じていたことでも、なぜか自然と対処していけるようなことがひらめいたりするのです。祈願祭を含めて一時間ぐらいありますので、今から始まる一年にやらなければいけないこと・やるべきことの再確認するには一番良い瞬間です。

初詣でに参ったら
祈願祭に参加すること
をお勧めします

神様もお願いしてくる

毎年繰り返していると、だんだんと分かってくることがあります。私は神社にお参りするのは、感謝なのかな?お願いなのかな?っと考えた時期がありました。やはり神社には願掛けに行くと言いますように、お願いをしに行くところだと思うのです。しかし神様だって大勢の人達の願いを、すべて叶えようとするのは大変だと思います。

だから神様も人間に対して
お願いをしてくるのです

今年も健康で災いがありませんように
今年も商売繁盛が続きますように

っとお願いした、その後から
神様も私達に
お願いしてくるのです

少し間食は控えてね
好きなものばかり食べないように
運動を意識して
怒らないように

いつも笑顔でありがとう
っという

感謝の気持ちをもって

やらせていただきます
っという

謙虚な気持ちで

など悪い習慣になっていることへの指摘です。だから神社に行ってお願いするという行為は「自分のうまくいかない欠点はどこにあるのでしょうか」「指摘して下さい」とお願いする場所だと思うのです。

祈願祭の勧め!人生を再確認するための儀式

神様だと素直に聞ける

自分のことは自分が一番よく知っているはずですが、欠点となると気がつかないものです。神様が指摘してくると素直に聞けるのですが、まったく同じような指摘を家族・同僚とか身近な人達に指摘されると、認めたくないという気持ちが無意識に働いてくるのでしょう、なぜか今やろうとしていてもやりたくなくなるものです。しかし神聖な場所で神様の前では、素直に取り入れることができるので、そのために指摘されるために神社に行って参拝するのです。

嫌なことを寄りつけないオーラ

素直に聞ける環境で過ごして、素直に取り入れて実行すればうまくいくことができるし、自分のものになってくるのです。繰り返して一旦自分の器に入ってみるとオーラが取り巻いてくるようになるのです。オーラが取り巻いてくると、周りから見ても自分にふさわしくないことは、オーラにはじかれてしまうのです。

私ですが嫌なことは起こらないようです。嫌なことなどは無視して「自分のペースで過ごしているなあ」っと、感じている今日このごろです。嫌なことが起こるのは当たり前なので、嫌なことが起こることを前提に過ごしているからです。

「この人グチってるけど」
「大丈夫かな」

嫌だと思うよりも
「早く気がついてね」

っと、逆に
その人が
可哀そうになってくる
のです

「どーもうまくいかないな」と常に不満を持っているならば、自分の欠点を受け入れないで「まあまあ」とか言いながら繰り返している間に、欠点が正しいという思い込みに変わっているのです。そして欠点行動・欠点考え方が習慣になってくるのです。

習慣になってしまうと、自分の中に正しいという思い込みが強固になって刻まれてくるのです。欠点行動や欠点考え方などを長々としているという習慣病なのです。だから祈願祭で神様にアドバイスをお願いしたあとに、神様からの自分に適した声が聞こえてくるので、耳を傾けてみるべきなのです。そして素直に感じたことに対しては、今度は見守って下さいというお願いをするのです。

祈願祭をしている間は
神様との会話のときです

祈願祭の途中でクライマックスなのでしょうか、太鼓がひときわ大きく鳴り響くときがあります。そのときが最高潮なのでしょう身震いがしてしまうのです。せっかく初詣でに参って、ただ単にお願いしてパンパンで終わりではもったいないような気がするのです。

祈願祭の勧め!人生を再確認するための儀式

初詣での意味

正月の初詣は祈願祭までにすることがあります。昨年のお札・お守り・縁起物などの返納と、本神殿にお賽銭を入れて「昨年はありがとうございました」とお参りします。「おかげ様で」という感謝の気持ちですが「今年もよろしく」と思ったことをお願いします。神様が「分かったので私の願いも聞いてね」と語りかけてきます。・・・そして祈願祭です。

この会話を楽しみに
祈願祭に参加しております

余談ですが私はよくお金を拾います。若いころは千円札とか一万円札などがありましたが最近は小銭ばかりです。拾ったお金は使わずに初詣でのときにお賽銭として入れております。それは「世間から忘れられるところでした」「さあ大海に出てくださいね」っという思いからです。

たった一人の祈願祭

そして令和4年の元旦のことです。去年の秋に我が家に不幸がありまして、一月初旬まで神封じをしていた関係で、津和野稲成神社の初詣では二月初旬に参ってきました。いつもと同じように祈願祭をしたわけですが、なんと私一人でした。いつもたくさんの人達と一緒にしていたのですが、あの津和野太鼓谷稲成神社の祈願祭を私一人の為に祈願をしていただいたことに、なんだか特別の意味を感じました。いつもとは違った強烈なインパクトを感じる初詣でではありました。

ありがとうの感謝です

さあ、今年も心新たにありがとうございますの感謝の気持ちと、させて頂いていることへの謙虚な気持ちで歩んで参ります。当たり前にしていれば神様は幸せを与えてくれるものだからです。

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