こんにちは、なむら(@michipokomichi)です。
私は父の誕生日を知らない。
母の誕生日も知らない。
長女の誕生日も知らない。
次女の誕生日も知らない。
理由は分からない。
子どもの頃から家族の誕生日会をしたことがない。ハッピーバースデーの歌を家族で歌ったことはないし、家族に見守られてケーキのろうそくの火をフーッと息を吹いて消したこともない。
それに気が付いたのは何歳の時だっただろうか。
その時に聞けばよかったのだろうが、聞かなかった。聞けなかったのか分からない。
小学生の頃、家で友だちを呼んで誕生日会をしてもらった記憶がある。一度だけ。それ以外はない。
大人になると姉妹の誕生月がいつだろうくらいとは分かるようになった。しかし本当は何歳離れているのか、知らない。
もちろん、父と母が何年生まれなのか知らない。
それくらい家族での交流はなかった。
それが普通だったので、特に疑問はなかった。
高校生になると「姉妹で洋服を交換して着ている」なんて同級生に出会ってそれはもうたまげたものだ。姉のものに手をつけるなんて絶対にしてはいけないことだった。ちょっと遠い高校を選んだのだが、これは私にはいい選択だったなと思う。悔しい思いも沢山したが、結果的には良かったと思う。
まぁ、私が高校生になる頃には姉達は2人暮らしをし始めていたのでいなかったけれど。姉2人は仲が良かったので2人で行動することが多かった。私は末っ子だが末っ子気質のようなものはないのはそれが影響している気がする。家ではいつも1人だった。いつも1人で本を読むか、ゲームをしていた気がする。
今年の誕生日も身内の誰からもメッセージはなかった。(私もしてないが)
でもミチが「お誕生日おめでとう」と言ってくれるだけで、それだけで十分だ。欲しいものは沢山ある。そりゃもう山ほどある。
でも言葉より嬉しいものはない、そう今は思う。
1週間ぶりに会うと「久しぶり」の気持ちはもう薄れた。「嬉しい」の気持ちもあまりない。正直、子どもへの愛情が薄れたのだと思っていた。接する時間が減れば愛情も減る、自然なことなのかもしれないと諦めていた。
でもある日、これは日常になりつつあるからだろうかと思ったのだ。
なんとか1年10ヶ月かけて今の状態を「日常」にすることができたのではないだろうか。それに気がつけたとき凄く嬉しかった。
平日は毎日毎日なんとかやり過ごして、土日を迎える。その繰り返しでやっとここまできた。それは無駄ではなかった。他の人は育児や家事で忙しい時間に1人で部屋でぼんやりしている。それに凄く情けなさと悔しさと申し訳なさがあった。
でも、それも無駄ではなかったのかもしれない。
これからまた、新しい「日常」を手に入れたい。
まだまだ、
まだまだこれから、
私は今、更地から土台を作っているところ。
これから先が待っている。
そう思いたい。