森の空想ブログ

鎌を研ぐ、草を刈る  [森へ行く道<102>]

梅雨明けを思わせる青空が広がった。暑い、暑い。家(九州民俗仮面美術館)の周りの草を刈る。このところ、宮崎と大分・日田を往復する日々が続いているので、草は伸び放題に伸びて、このままだと家が草藪に埋もれてしまう。



前年に買った草刈機が故障。やむなく、大鎌を持ち出して、振り回してみた。すると思いがけないことに、鎌は何の無理もなく草を払い、錆だらけの刃を天空にきらめかせ、まるで腕の延長のごとく藪を刈り進むのである。数年前までは、その大きさと重さが負担となって、振り回すことも出来なかった大鎌である。柄が乾いて軽くなったことと、自分の体調がやや戻ってきたことの二つの要因が考えられる。もともと乾いた樫の枝を削って挿げた柄であるから、極端に軽くなることはあり得ない。後者を採ることにしよう。そのほうが気分がよろしいではないか。今年の夏で68才。年寄りの冷や水などとは言わせない。



今からおよそ45年前(2022年の現在から数えれば52年前)の夏。
そのころ50代だった父と、私と2歳年下の弟と、三人で、夏山の下草刈りを請け負ったことがある。植林された杉の下刈りである。ざっと見渡して20町歩(約20ヘクタール)。当該する山に隠れて他の山は見えないほどの面積であった。その一山をすべて手鎌で刈り進み、40日間かけて刈り終えたのである。まだ草刈機は発明されていなかった。採り物は夏の夜空にかかる獅子座の大鎌のような鎌一本。それを神楽の鬼神が持つ面棒のように振り回して刈り進む、人力のみの作業である。思い出しても頭がくらくらする。マムシも出るし蜂にも刺される。夕方、山から下りる頃には紺色のTシャツに汗が塩の結晶となって浮き、白くなっていた。そのまま沢に行き、塩をひと口、口に放り込んで、ざぶんと飛び込み、水をがぶがぶ飲む。この爽快感は今でも忘れない。その後、大病をして力仕事から離れたが、今また、鎌を振り回せる体力がどこからか湧いてきたのならば、それはありがたいことだ。
さて、今日も鎌を研ごう。

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