森の空想ブログ

ねむの木谷の一日[九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<117〉]

 一気に真夏が来たような暑い一日。仲間たちが主催している小さなオーガニックマーケットを訪ねた後、「ねむの木谷」へ行ってみた。合歓の花は可憐に溪谷を彩っていたが、猛烈な雷雨に見舞われたので、竿を出すことなく撤退。一年前の記事を再掲しておこう。

 

[2021年6月6日の記事]

 椎葉の山脈を源流とし、日向灘・太平洋へと注ぐ耳川は、梅雨期の雨を集めて増水し、滔々と流れていた。こんな日は、本流の釣りは諦めて、支流のまた先の枝川へと入り込む。

 ねむの木が蕾を開き始めている。雨の溪谷によく似合う花だ。谷の入り口に当たる地点に、一本の大きなねむの木がある。樹高30メートルにも及ぶだろう。ねむの木は、成長するにしたがって枝を横に広げるので、渓流に差し掛かって花を咲かせていることが多いが、この木は崖に沿って立っていることから、ひたすら上を目指して成長を続けたものと思われる。

 この谷を「ねむの木谷」と呼ぼう。花を付けたねむの木の枝に糸をひっかけてほどいたり、流れて来るその淡い花影に沿って鉤を流したりする風情は、深山の釣りの楽しみのひとつだ。

 入渓後、最初の流しで、良い型のヤツがかかったが、バラした。浅い流れの瀬尻にいて、流れ落ちる寸前のブドウ虫を追ってきたのだ。ギラリと光った体側と、その手ごたえは、私を興奮させるに十分だった。すぐにミミズを付けて振り込んでみると、あっという間に取られた。山道を長時間、車を走らせて来たため、私の眼は焦点がまだ合わず、足元はふらつき、小岩に乗って転がり、尻もちを突く慌てぶりである。

 落ち着け、落ち着けと呟きながら、早めの昼飯とする。途中の道の駅で買ってきたおにぎり弁当が旨い。

 一息ついたところで、瀬に立ちこみ、川虫を採る。クロカワムシが復活している。そのクロカワムシで、続けて二匹、釣れた。この時期、この餌に勝るものはない。「夏ヤマメ」と呼ばれるこの季節のヤマメは、餌を咥えて下流へと下るヤツ、瀬を縦横に走り回るヤツなど、元気者揃いだ。渓谷の勇者に会い、私も俄然、元気を回復している。

 釣り進むと、谷は次第に険しくなってきた。巨石が累々と重なり、飛沫が岩を洗う。渓流釣りというより、沢登りの様相だ。激流を渉り、岩を登り、瀬をこいで遡る。去年の5月に傷めた左足アキレス腱の痛みが出ないよう、用心しながら一歩を踏み出す。滑らないように。落ちないように。落下や転倒などによる不意の着地に耐えられるかどうかはまだわからない状態だ。

 この谷に初めて出会ったのは、15年ほども前のことになる。その時は、深い木立と藪に覆われた薄暗い谷であった。トゴンどごんと不気味な音がとどろく大淵があった。それゆえ、釣り師の踏み込まない未踏の地に等しく、20匹以上の良型が次々に上がった。いずれも七寸もの(20センチ前後)の天然物であった。それで、私は一年に一度ないしは二年に一度ぐらいの割合でしかこの谷には入らず、自分だけの秘密の谷にしておいたのだ。だが、そのような釣り人は他にもいて、いつの間にか秘溪こそ良溪という認識が釣り師仲間に共有され、今では、岸に釣り人の付ける足跡が、獣道のような小径を作っている。数年前に釣友の渓声君を案内した時は、名手の竿に一匹も獲物がなかった。

「“釣り師道”が出来ていましたよ」

 と、彼は嘆いたのである。

 そんな谷も、大きな出水があり、大規模な土砂や巨岩の流出があると、次の年から再生への道のりが始まる。今、この谷は、岩を覆う苔が生え、水苔も発生し、微生物や水棲昆虫が回復してきて、復元作用の途上なのだ。膨大な釣果を望むことはできないが、瀬を走り、餌を追ってくる魚影は確認され、ぽつりぽつりと釣果がある。この谷に昔からいたと思われる天然物が混じっていることもある。

 「夏ヤマメは一里一匹」という釣り師がいるほど、この時期のヤマメは釣れにくい。この日は、この谷で6匹、谷を替えて1匹、上々の戦果である。帰りは、藪と藪の間を縫う「鹿道」を辿った。その急斜面を登る時、さすがに息が上がったが、左足の痛みは心配したほどではなかった。私の身体の回復も、周りのものたちが

――仙人の秘法を会得しているに違いない・・・

 と、驚くほど進んでいるのである。


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