森の空想ブログ

「考古学の鬼」が見たものは 「森本六爾伝―弥生文化の発見史―」藤森栄一著 (河出書房新社・1973)[本に会う旅<70>]

この書物を開くと、すぐに涙が滲んできて、先に進めなくなる。せめて、あと一年、この人には生きていてほしかったと痛切に思うのである。

いまでは、弥生式土器の使用とともに日本に原始農業が開始されたということは、小学生でも知っている。日本考古学の常識のひとつである。1935年に始まった奈良県唐子池遺跡の発掘がそれを証明したのである。森本六爾という人は、この唐子池のほとりに住み、少年期から考古学に興味を持ち、育った。そしてその鋭敏な直感は、唐子池にはなにかが埋まっていると予見したのである。森本は独学で考古学を学び、在野の研究団体として考古学研究会を創設するなど活躍。研究を進め、弥生式土器の底に付着した米の籾を追って日本農耕文化の起源を提唱したが、日本のアカデミズムからは無視された。夫婦ともに、考古学と格闘し、貧窮のうちに32歳の生涯を閉じたその死去の一年を待たずに唐子池の大発掘がはじまる・・・

     

森本六爾の生涯は松元清張が小説「断碑」にモデルとして断片的に描き、伝説的人物となっていたが、愛弟子としてそのもとで学んだ藤森氏の筆が、実像に迫る名著を生んだ。以下は本書の「帯」と巻末に掲載されている「書評」。

「日本考古学史に輝かしい一ページを開いた奈良県唐子遺跡。その発見の陰で、学歴と貧困との凄絶な戦いの果てに、夫人ともども窮死していった考古学の鬼・森本六爾の生涯。名著『二粒の籾』を改題して再刊。」(「帯」の紹介文)

「貧窮のうちに無残な死をとげる、数奇な運命をたどった悲劇の人として、なかば伝説化しつつある森本六爾の生涯を、著者は師匠譲りというべき執念を持って描き出してゆく。考古学という地味な専門領域の話題を、これほど楽に読ませる著者の文才は相当のものだと言ってよい」(朝日新聞)

「波乱に満ちたその生涯を、声涙ともに下るといった愛弟子の筆が迫力ある文章で述べられ、感動させられる場面がいたるところにみられるとともに、大正から昭和の初めにかけての在野考古学者の苦闘が胸をうってくる」(毎日新聞)

「本書によって、日本の弥生式文化の研究史が、森本氏の生涯と織りまぜて理解でき、森本氏の学問に対するすさまじい気迫がひしひしと迫ってくる。昭和九年夏、病む森本氏が藤森さんに付き添われながら、上高井の神田五六さんをたずねるあたり、一編の小説であり、誌である。夫人は病床にあり、自らも病み一子を他家に預けながら、弥生文化を極めようとする森本氏こそ考古学の鬼であろう」

「―人間森本六爾に迫る―森本六爾は在野の考古学者としてアカデミズムに虐げられ、挑戦し、若くして死んだ。夫婦で考古学と“討死”したようなものである。しかも、森本の直感は生きていた。彼の天才的な直感が日本の考古学の進歩をどれほどはやめたか分らない。藤森さんは森本の少ない弟子の一人だ。このひとほど人間森本六爾を語る資格のものはない。そのうつくしい文章は森本の怒り、喜びをそのまま読者の胸に伝えている」(松本清張)


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