森の空想ブログ

天文図と「星宿」と由布の星空/沖方丁:著 「天地明察」(角川書店/2009年)[本に会う旅<35>]

由布院に来ている。

寒い。

宮崎に比べると、セーター一枚分ほど気温が低い。厚い布団を重ねて寝る。

明け方、目覚めて、戸外に出てみる。寒さがきりりと身を引き締める。例年ならば、神楽を伝える村にいて、一晩中舞い継がれる神楽を見ながら、星宿のめぐりと神楽の演目の重なりを考えたりしている頃だが、今年は新型コロナウィルス蔓延の影響で、宮崎の神楽はどこも自粛を余儀なくされた。神事と「式三番」の宮神楽のみ、村人と関係者だけで行うという対応は、止むを得ない選択だろう。

由布岳の山頂の上に北斗七星がかかり、天頂に獅子座が座る。オリオンは、西の空に去り、天狼・シリウスが白銀の光を放ちながら、西山の彼方に落ちてゆくところだ。

夕刻、東の空を装飾し、深夜、神楽宿に集う神々を照らした星座は、こうして一晩のうちに天空を巡って、時を刻んでゆく。

沖方丁(うぶかたとう):著 「天地明察」は、江戸初期の天文学者・渋川春海が苦心の末、日本独自の「和暦」を創出する物語である。

渋川春海は「碁打ち」である。将軍家に指南するほどの力量を持つ。しかも「算術」の達者である。その彼が、旧知の幕臣の指令により、「改暦」という一大事業の中心人物となる。だが、その道程は厳しく、挫折と試行錯誤を繰り返し、23年の歳月を費やした後、三度目のチャレンジで改暦を実現させるのである。その基礎となったのが、日本中をくまなく歩き、天文を観測し、記録する「術」であった。

本書は、本屋大賞を受賞し、映画化もされたので、これ以上内容に踏み込む必要はないだろう。

写真は、渋川春海作・天文図。由布院空想の森美術館所蔵。常設展示の実物である。同館の現・館長、高見剛が、今からおよそ30年前に、廃家が決まった英彦山山伏の家系の家から一括して譲り受けた資料の中にあったもの。修験者・山伏とは、密教の秘法を会得した宗教者であったが、天文・薬学・医術・芸能などに通じた呪術者でもあった。それゆえ、中世から明治初期に至る一家の資料の中に、種々の秘伝書とともにこの天体図があったのである。山岳を駆け、山中に伏し、修行を続ける山伏にとって、天文の観測と知識は不可欠のものであった。

私は、神楽に通い、神楽を見続けるうちに、演目の中に東洋の「五行思想」や「星宿」の原理に基づくものがあることに気づき、調査を進めている。「星の舞」「星指」など、直接演目名となっているものもあり、唱教(唱えごと)のなかに、「宇宙星宿を凝縮したものである」「宇宙星宿を象ったものである」などという文言がある。しかしながら、どのようにそれが天文と関連しているかを示す資料にはまだ出会っていない。天文の観測のように、地道に歩みと記録を続けてゆくことしか、その謎を解く鍵を見つける方法はないだろう。そしていつか、この天文図に記された「星宿」を読み解くことが出来るようになったならば、絶妙の一致点が見つかるような気もする。この一点の天文図と「天地明察」という書物は、そのような意味において空想の森美術館にとって大事な資料であり、展示品のひとつなのだ。


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