BAR ツバメ

今宵も、ビールとウィスキーと東京ヤクルトスワローズ

2022年夏、コロナ禍と村上宗隆

(希望的観測も含めだけど、)プロ野球が感染症の影響をかくも受けてしまうのは、これが最後だと思うので、今の気持ちをスナップショット的に保存しようと思う。

スワローズ大量離脱

7月上旬に、髙津監督、山田哲人選手、清水昇選手など20名近くの選手が新型コロナウイルス陽性判定を受け、自主隔離することになった。

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この危機的な状況下で「チームの中心」として奮闘していたのが、村上宗隆選手だ。

主力の大量離脱の中ペナントレースが再開される直前、22歳の村上選手は次のようにインタビューに答えていた。

「こういう時だからこそ一層団結してやる。その中でも中心は必要で、そこに僕がいることは自覚している。何とかチームを勝たせる打撃をしたい」

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あまりに頼もしいメッセージに、泣いた。

中心に自分がいるという自覚を持つだけでも十分素晴らしいことだと思うし、実際に敵味方やファンも含めそういった見方をしていると思うが、それを自分で言葉にすることで周囲に安心感を与えるし、また自身で責任を背負う覚悟の表れでもある。

4番打者としてチームの中心に君臨し続けるだけでなく、精神面でもチームの中心に立った瞬間がこの時だったんじゃないかと思う。

 

そして有言実行なのが、村上宗隆という選手の強さだ。

主力の大量離脱後の初戦7月13日ドラゴンズ戦、初回、第一打席。バンデリンドームで小笠原投手から先制の30号2ランホームランを叩き込んだ。試合には敗れたものの、村上選手がチームの中心として勇気を与える一打だった。間違いなく警戒されている中で放った先制ホームランは、とても価値の高いものだと思う。

 

その後チームは6連敗したが、7/19, 20と巨人に連勝。村上選手も19日は2安打、20日はホームランを含む2安打4打点と大活躍。何より胸を打ったのが20日のヒーローインタビューだ。

隔離期間も明けじきに主力達も揃うことが予想される中にあって、今日戦ったチームメイトに最大限のリスペクトを示す姿は間違いなくチームの中心だった。本当に感動した。

主力が離脱から復帰

1週間程度の隔離期間と調整期間を経て、長岡選手と内山選手という若い選手らを先頭に中村選手、塩見選手、山田選手、青木選手ら一人また一人と復帰したものの、やはり休み明けの選手は本調子ではなくチームは低迷していた。7/13から7/30までの戦績は3勝9敗(勝率.250)。歴史的な96敗を記録した2017年の勝率.319をも下回る。

幾度となくチームに、そしてファンに言葉を通して力を与えてくれていた髙津監督でさえ「個人の力、チームの力は間違いなく落ちている」と苦しさを露わにしていた。

(ただ、誰しもが辛いと分かっていてどうしようもない事に対して、監督自らがあえてそれを認める発言をすることで、周りが多少なりとも気が楽になる一面もあると思う。それを見通しての髙津マジックなのかもしれないが。)hochi.news

伝説となる7.31

7/30時点では2位に9ゲーム差をつけ首位に立つスワローズだったが、前述のように「個人の力、チームの力は間違いなく落ちている」チーム状況に加えて、勢いに乗る2位タイガースに甲子園で連敗していることも含め、なかなかの危機下にあったと思う。

 

そんな状況で始まった7月31日、タイガースとの3連戦3ゲーム目。なかなか得点が奪えない中で4回に2失点してしまう。ただその後は、久保投手をはじめリリーフが無失点で抑えてゲームを作った。

そして7回表に伝説の第一章の幕が開ける。

先発のガンケル投手か交代し、まさに村上キラーとして送り込まれら渡邉投手から、村上選手が反撃の狼煙となるソロホームランを放った。この対戦まで4打席3三振という対戦成績だったというが、見事に過去の知見も生かして結果を残してくれた。

第二章は9回表に。

今季レギュラーシーズンでは被本塁打0だったクローザー岩崎投手から、起死回生の同点アーチ。まさかの連発に鳥肌がたった。打席に入る前に(村上選手の1発しかないよ〜)と祈るような気持ちで応援していたファンも少なくないと思うが、まさにその祈りが現実となった。

そして最終章は11回表に。

チームを勝利に導く勝ち越し2ラン。

あまりの有言実行ぶりに、感動で言葉も出ない。

4番が試合を決め「それぐらいの責任を背負ってますし、そういう打順というのは自覚しているので」と語った。

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2022 コロナ禍と村上宗隆

思えば連敗中にこんなエピソードがあった。

メディアを通して力強いコメントを発し、打席でも結果を残し続ける村上選手も、勝てないチーム状況に対して髙津監督に弱音をこぼしていたという。

村上選手でさえ、時にこういった弱音をこぼせる髙津監督という監督の偉大さを改めて思い知ったエピソードだが、チームの勝敗への責任を一身に背負う村上選手の辛さを思うとこちらも胸が痛くなるような記事だった。

指揮官不在となったチームは13日から5連敗。監督はこの間2度、村上に連絡した。普段は弱音を吐かない若武者が電話越しに本音をこぼした。「僕は打てなくてもいい。ただチームが勝てないのがしんどいです」。

 

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チームも、監督も、村上選手自身も苦しくてしょうがない半月だったと思う。

正直、離脱していた選手達はまだ本調子ではなく、しばらく苦しさは続くと思う。

ただそんな逆境を乗り越える、大きな大きな転機となる7月31日の逆転勝利だった。

その中心には、村上宗隆選手がいた。これからもいると思う。