蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

野生の思考LaPenseeSauvageを読む 4

2020年06月25日 | 小説
前回の投稿で同じく抽象語の「哀れさ」と「植物」の含意の広さ狭さを比較するのは意味がないとしたが「樹木」と「杉」の比較はあり得る。杉は樹木の一含意なので樹木がより広い意味をもつ。20世紀前半の人類学では「より広い範囲の抽象語を持つ言語はそれを持たない言語(未開人言語など)に比べ抽象性(思考力)が勝る」との論が風靡していた(小筆は人類学専攻ではない、本書「野生の思考」の記述内容から書き起こしている)。本書13頁に;
>les mots chene, hetre, bouleau , etc., ne sont pas moins « des mots abstraits que le mot arbre, et, de deux langues dont l’une possederait seulement ce dernier terme, et dont l’autre l’ignorerait tandis que’elle en aurait plusieurs dizaines ou certaines affectes aux especes , c’est la seconde , non la premiere, qui serait , de ce point de vue , la plus riche en concepts<
訳;柏、ブナ、柳、その他...これらが樹木なる抽象語よりも小さいとは言えない。2 の言語で一方は後者(樹木)のみを持ち、他方はその語を持たないがいくつ(幾ダース、幾百)もの種の名を有するとしたら、後者が言葉の概念として豊かである。

写真は自然をタグにしてネットから拾った。

最も豊かな言語は種を統合する概念を頂点として持ち、配下にいくつもの(幾百もの)種別の語を有する言語である。しかしそれは「学」としての分類、整理の範疇であり、族民らは(文明人も同様に)関心を寄せない範疇には「鳥」「雑草」など大まかな概念語しか与えない、前回投稿のTkingit族は好例。こうした例、decoupageの有様は民族誌に多く記載されている。
>Dans les deux cas , l’univers est objet de pensee, au moins autant que moyen de satisfaire des besoins.(13頁)。訳;これら2の場合(具体科学と近代科学)ともに宇宙(森羅万象)は思考の対象であり、少なくとも同様に必要とするところを満たすモノだった。
ここでは具体科学も近代科学も概念の展開とでは同じ土俵に立っているとしている。これを受けて;
>Chaque civilisation a tendance a surestimer l’orientation objective de sa pensee, c’est donc qu’elle n’est jamais absente. Qunad nous commettons l’erreur de croire le sauvage exclusivement gouverne par ses besoins organique ou economiques, nous ne prenons pas garde qu’il nous adresse le meme reproche, et qu’a lui son propre desir de savoir parait mieux equilibre que le notre ;(同)
訳;あらゆる文明は己の思考がその対象に向かう状況を過大評価する傾向を持つ。我々が「未開人」は食物を獲得の要あるいは経済事情にのみ執り仕切られているとの誤解をおおっぴらにするなら、彼(未開人)が我々に同じ非難を向けてきても、反論できない。彼にとり、自然を知る欲望は我々が持つそれよりより良く均衡が取れていると感じているのだから。

滝、滝口、がけ、草、木々が見える。小筆の自然裁断はこの程度、木々、草に立ち入っても種など判別できない。


続いてHandy等のハワイ先住民の民族誌(ポリネシア社会)を引用して、現代社会の農業形体を>exploite sens merci les produit qui pour le moment procurent un avantage financier detruisant souvent tout le reste<自然への感謝も見せず、一時のちょっとした経済利益を得るために、他の全てを破壊して幾ばくかの作物を追求しているだけだ。続いて;>L’uitlisation des ressources naturelles dont disposaient les indigenes hawaiiens etait completes<ハワイ先住民の自然資源の利用は完璧であった。とHandyは結んでいる。19世紀後半からハワイには白人(米国人)が進出し、パイナップルなどのプランテーションを活発に展開した。経済利益を生む単作物栽培と土着の土壌利用を比較し、文明批判した一文と思う。 続く

追:昭和期、人々に膾炙された挿話。侍従長「お上、雑草が繁茂しております、そろそろ刈り払うつもりであります」昭和天皇「汝、雑草なる草はおらぬ。カタビラ、アレチノギク、カヤツリグサなどと全ては名を持つのだ」侍従長「はっはぁ~畏れいりまして」
(天皇は臣下を汝とは言わない(らしい)、名前を呼ぶのだが入江氏であったかに確信は無いし、この挿話自体が創作かも知れないので汝とした。学の人、昭和天皇ならばあり得るとして人々が語り合った。自然の裁断の仕方(decoupage conceptuel)は臣下、庶民とは比べるべくもなく緻密であったであろう)

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