【セルタ】「カトイラの山猫」セルヒオ・アルバレス、現役引退を発表。

La Liga情報

プロのスポーツ選手にはいつか必ず訪れる「その日」があります。

「現役引退」を発表する「その日」です。

どんなに優秀で体格に恵まれた選手でも、いつかは必ずプロとしての第一線、現役選手としてのキャリアを終わらせる決断をする時がやってきます。

21世紀で2度目の降格をしたセルタ・デ・ビーゴでプロ選手としてのキャリアをスタートし、その後10年に渡るラ・リーガ・プリメーラ・ディビシオン残留の礎を築いたGKセルヒオ・アルバレスが、2021年5月20日、現役引退を発表しました。

セルヒオ・アルバレスという選手について

セルヒオ・アルバレス・コンデは1986年8月3日にガリシア州ポンテベドラ県カトイラ群で生まれました。

現在34歳のセルヒオがセルタに入団したのは13歳だった1999年。ちょうど僕が初めてスペインに渡った年でした。

カンテラのインファンティルB(13歳のカテゴリー)からセルタでのキャリアをスタートしたセルヒオはその後もインファンティルB(14歳)、カデーテB(15歳)、カデーテA(16歳)、フベニールC〜A(17〜19歳)まで全てのカテゴリーを経験した後セルタBに昇格。

167試合に出場し、その間2008−2009年は同じガリシア州内のラシン・デ・フェロールへのレンタル移籍も経験しています。

キャリアのハイライトとしては2016−2017シーズンのヨーロッパリーグでの奮闘が挙げられます。クラブ史上初めて欧州カップ戦の準決勝に進んだチームで正GKとしてゴールを守り続けた姿は、これから先も多くのファンに記憶される姿であることは間違いありません。

生え抜きGKとして

1年間のレンタル期間を除けばセルヒオのキャリアはセルタ一筋のものでした。

ガリシア人であることと、ポンテベドラ県内出身であることを考えればセルヒオのキャリアは理想的なものだと言っていいでしょう。

地元ビーゴのセルタファンがセルヒオをこれだけ愛する理由は、彼が地元出身者だからというだけではありません。

入団が1999年という、セルタにとって「輝ける時代」だったものの、その後セルヒオがプロとして選手生活を始めるまさにその瞬間にセルタはセグンダに降格しています。その苦しい時代にセルヒオがずっとセルタにいたという事実があり、しかも2011−2012シーズンの昇格にも少なくない貢献をしています。

5年間のセグンダ生活で、1度はセグンダBにまで降格しそうになったチームから逃げずに戦ってきたセルヒオは生え抜き選手としてファンからの信頼と愛情も厚く、ビーゴのファンからすれば息子や弟のような存在なのです。

 

引退に際してセルヒオ本人のコメント

セルヒオ本人のコメントを紹介します。

子供の頃、サッカーを始めたばかりの頃はこんなに長い間セルタでトップレベルのプロとして選手生活を送ることになるとは想像もしていませんでした。つまり「夢がこんな形で叶うことになるとは」想像していなかった、という意味です。

プリメーラ・ディビシオンでプレーし、セルタを欧州カップ戦に復帰させ、初めて準決勝でもプレーした。本当に素晴らしい経験です。

僕は34歳を迎えましたが、人生の半分をこのクラブで過ごしてきました。サッカーは僕にとってただのスポーツではありません。少なくとも僕にとってはスポーツ以上のものです。サッカーが僕に人生を与えてくれました。サッカーは僕が今手にしているもの全てを運んできてくれたんです。フベニールの契約書にサインする時、母から「辿り着いた場所を手放さないためには、そのための努力が最も大切だ」と言われました。だから僕はサッカー選手としてここまで辿り着けたことを誇りに思います。

本来なら選手としてピッチに立った状態で引退を決め、ピッチの上で選手として最後の瞬間を迎えたかったというのが本音です。

しかし、コタ先生が説明してくれたように僕の膝は残念ながらその時まで耐えることができないとわかりました。筋力トレーニングで負傷箇所周辺に筋肉を付け、負傷箇所の補完をするというのが当初の計画でしたが結果的に目的の箇所に意図したように筋力をつけることが難しいことが判明したんです。

その場合、依然のようなプレーに戻るのは不可能だということがはっきりしました。普段の生活には困らないレベルの歩行は可能になりましたが、ダッシュは不可能だと。僕の膝は、つまりもうこれ以上は無理だと言っていたんです。

普通の生活に戻るためには今決断することが必要でした。もちろん家族も含め、チームの医療スタッフとも何度も話し合いと相談を重ねた結果の決断です。

正直言って、これは最良の決断ではありません。

言うなれば、唯一僕が自分で下せる決断でした。

後ろを振り返らないためには、今の時点で僕が自分で決めなければいけないことでした。

今後のことはクラブとの話し合いで決めることになります。以前から僕は引退してもセルタで仕事をしたいと思っていましたし、その意思はずっとクラブにも伝えて共有してきたつもりです。

クラブも「扉は常に開いてある」と僕に言ってくれていました。僕としてはクラブのその言葉を常に信じていましたし、自分自身がクラブにどのように貢献し、どんなことで助けになれるのかをこれからよく話し合っていきたいと思っています。

僕にとってはセルタと共にあるということが最も重要なことです。そのための解決策をこれからクラブと決められたらいいなと考えています。

僕にとって、家族は何よりも大切な存在です。

プロ選手としてここまで歩んでこれたのは、何よりも家族の助けと理解があったからだと言い切れます。苦しい時、辛い時、嬉しい時も楽しい時も、全ての瞬間に家族が僕を支えてくれました。妻にもたくさん苦しく辛い思いをさせてきたと思います。今後は彼女との人生をより良い、快適なものにできるよう別の努力をしていくことになるでしょう。

娘の存在もあります。妻と娘が常に寄り添ってそばにいてくれたからこそ、僕は辛い時期も踏ん張ることができていました。愛する娘を与えてくれ、僕を支えてくれる妻が僕にはいます。引退すると決断したことを伝えた後も、今日まで彼女はずっと僕のそばにいてくれて、この数日を僕自身が消化するのを見守ってくれていました。彼女に最大限の感謝を捧げたいと思います。

本当にありがとう。

 

セルヒオの今後について

セルヒオは現役生活中からスペイン国内の指導者ライセンスレベル3までを修了しており、現時点でスペイン国内であれば既に指導者としての活動が始められる資格を得ています。

昨年5月に負った、最終的に引退の引き金となった負傷のリハビリ中にクラブとセルヒオは将来的な様々な可能性について話し合いを行っていました。

負傷からの回復が思うように進まず、十字靭帯周辺の筋肉強化を行うことで可動域を確保してトップレベルのプレーに耐えうる状態を作り出すという当初の計画が難しいとわかった段階で、セルタはセルヒオに対してGKコーチのポストを用意する可能性について検討を始めていたようです。

もちろん、トップレベルの指導者ライセンスではないので最初はアシスタントコーチクラスからのスタートにはなるはずです。

しかし元々セルヒオは引退後もサッカーと、そしてセルタで仕事をしていきたいという希望を公にしていました。

これはここまでに引退したセルタの選手達が現在どのような人生を送っているのかが影響しています。

セルヒオがセルタのトップチームに昇格した時期にチームのキャプテンとして不動の地位にいた選手が、同じカンテラ出身のMFボルハ・オウビーニャでした。

バーミンガム・シティへ移籍した後にセルヒオと同じ膝の十字靭帯断裂という大怪我を負い、最終的に契約解除となったオウビーニャは2015年にセルタで引退した後、現在はクラブのスタッフとしてカンテラ部門の関連組織で働いています。

イアゴ・アスパスの実兄であるジョナタン・アスパスもオウビーニャ同様にクラブのスタッフとして総務部門で仕事をしていて、トップチームのアシスタントコーチとして常にベンチで監督と選手達のつなぎ役をしているヴラド・グデリもセルタの90年代を支えた英雄でした。

クラブ在籍経験者や功労者、そして何より地元出身のカンテラーノをクラブスタッフとして迎え入れるようになったのはカルロス・モウリーニョが会長になって以降顕著になった動きの一つです。

モウリーニョは「セルタで育った人間が、セルタを飛躍させる」ことも将来のセルタが歩むべき道であるというポリシーを持っていて、その影響を受けてかイアゴ・アスパスもウーゴ・マージョも引退後はクラブで役職に付いて仕事をしたいと公言しています。

アスパスやマージョよりも年上のセルヒオも、彼らと同じ希望を持っているということは以前から知られていましたが、その流れを作ったのも過去のカンテラーノ達と現在の経営陣でした。

少なくとも、セルヒオは今後もサッカーや、そして何よりセルタと距離を置いて人生を過ごしていくことはなさそうです。

負傷した膝の十字靭帯は通常歩行可能なまでには回復しましたが、まだ走ることは難しいと言われています。階段の上り下りに痛みを伴うとも告白していますから、しばらくは愛娘のシャナちゃんの後ろを歩くだけになりそうです。

クラブの強力でリハビリは続けられると言われていますし、恐らくそう遠くない将来、セルヒオがシャナちゃんと走ることもできるようになるでしょう。

セルタに入団して22年。半生を過ごしたクラブでのプロ選手生活は終わりましたが、セルヒオの人生はまだまだ続きます。

そして彼が手を伸ばし続けた夢の続きを、彼に憧れ模範としてきた若いカンテラーノ達がいつか叶えていくのでしょう。

どんなに負傷しても、周りよりも身長が低くても、大きな声で指示を出し、しなやかな身のこなしでシュートを止め続けた彼の姿を僕は決して忘れません。

ありがとうセルヒオ。お疲れ様。

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