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細菌戦の系譜!!

2020-11-19 06:17:59 | Weblog

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 

 

三月四日

あたりの支那は死のように動いていれど、此町 日本の心力のみは大きく活動しているではないか。国民性がここにもはっきり見えるような気がする。

夕方から休止する支那の支那人と、夜となく昼となく不断の努力を払う日本人の差を見よ。

然しいずれが是?いずれが非?それはしらない個人としての問題ならば

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 


 
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

1  広島への最初の旅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広島で過ごす最後の夜、僕は核戦争についてのヒステリックなほどの恐怖感と共に生き、その挙句パリで自殺した友人の為に施餓鬼流燈供養(せがきりゅうとうくよう)、即ち燈籠流しに出かける。平和大橋のすぐ川下で流された赤、白、そしてたまに青の燈籠の群れが満潮の水に乗って逆流する。この原爆以後の行事は、今広島で、数百年来の民間伝承のように市民たちの心の中に根を張っている。燈籠の数知れない群がりが広島の川を静かに明るみながら流れる。これらの川ほど数知れぬ死者を浮かべた川は他にないだろう、その川。広島を出発する時、飛行機の窓から僕は朝の光に輝く7つの川を見る。

 

 

 

 

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

生体解剖をやらされた

意識がはっきりとしている“マルタ”の手足を解剖台に縛り付け・・・

 

鎌田信雄(かまたのぶお)

731部隊・少年隊

(経歴)

1923年生まれ

1938年 731部隊入隊

1940年 新京の防疫でペスト感染

1943年 病気療養の為帰国

■この証言は1994年6月、1995年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。

毒ガス実験

 また、新京の防疫に行ったときにオヤジの代理人として、部隊長旗をつけた運転手付きの車に乗ってカバンを届けたこともありました。衛兵が、少年の私に最敬礼をしたことを覚えています。新京の国立衛生技術廠の浅野先生にお世話になっていた時のことです。カバンの中身は、多分実験の記録が書かれたものであったと思います。また、16ミリフィルムが入った缶を、新京の宮内府に送ったこともありました。内地の御前会議に送るということでしたが、そのフィルムがどうなったのかはわかりません。

 

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 


 細菌兵器製造の為の大がかりな鼠類収集

 

軍用畑栗鼠買付に関する協定書(1945年4月1日)

(甲)満洲第659部隊長石井四郎

(乙)興農合作社中央会理事長松島鑑

昭和20年2月24日、関東軍司令部にて協議した軍用畑栗鼠収集に関する各種事項にもとづき、ここに軍用畑栗鼠買付協定を以下の通り締結する。

第2条 各省に割り当てる畑栗鼠買付量及びこれを具体的に執行する県・旗については、本協定に付する計画〔計画は省略〕を基準とし、各省が具体的に責任を持って定め、甲の同意を受けた後これを決定する。

第3条 乙は生きたままの畑栗鼠を買い付ける為、現地の鉄道駅最寄りの合作社交易場あるいは国民学校(現地にて決定)において甲に引き渡す。

第4条 甲の検収は生きた畑栗鼠に限るものとする。

第5条 甲は現地駅にて検収後に必要な容器、輸送用品及び輸送中に必要な飼料を準備しておくものとする。乙は駅と検収場間の輸送(車への積込みを含む)について責任を持つと共に、甲の積込み作業に協力する。

 

 

 

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第1章毒ガス兵器の製造と教育

4 毒ガス戦の訓練や教育はどのように行われたか

陸軍習志野学校の役割

教育は、高級司令部のガス将校(瓦斯掛将)や、野戦瓦斯隊・迫撃大隊などのガス兵(化兵)を養成する課程教育と、各部隊から派遣された要員に対して行う集合教育、そして、習志野学校の教官が各部隊に赴いて行う巡回教育があった。学習の大部分は、実際に毒ガスを用いるという「実毒体験主義」で行われ、「瓦斯は怖れず侮らず」をスローガンに、ガス室内での訓練、ガス弾やガス筒の使用訓練、完全防護装備でイペリットの撒毒や消毒を行う訓練などが実施された。撒毒とはイペリットを土地に撒くことで、イペリットの消毒には晒粉を用いた。


 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


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