新令和日本史編纂所

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

『大本営参謀の情報戦記・情報なき国家の悲劇』 第一部 山下奉文の金塊

2020-11-26 11:40:40 | 新日本意外史 古代から現代まで

   『大本営参謀の情報戦記・情報なき国家の悲劇』 第一部
   山下奉文の金塊


 『大本営参謀の情報戦記』・・・・この本は1996年から2019年まで27版も重版された、大変貴重な本である。
筆者は、元帝国陸軍情報参謀の 堀 栄三氏である。
戦後、陸海軍軍人たちの残した著作の中で、現代にも幅広く読まれる書として、含蓄深い書である。
というのは、現在にも通じる「情報」を駆使した問題解決のヒント満載だからである。
今や、個人、企業、国家でも問題解決のプロセスが求められている。
本質的問題を発見して、情報を収集して分析する。そして、解決策の立案をし、整理統合して纏め上げ、実行に移す。
しかし、日本では、情報の世界では常識の、こうした方法が確立されているとはとても思えない。
日本は国家として、大切な情報を無視した結果、戦略を間違い、多くの軍人、軍属、民間人を殺してしまった。この責任は重大である。
戦後アメリカの宣伝で「悪いのは軍部だ」と刷り込まれている日本人が多いが、この本では、軍部という味噌もくそも一緒の括りは間違いだと指摘されている。
陸軍では「大本営作戦課」の参謀たち。海軍は「軍令部参謀」を名指ししている。
これらの者たちは、実戦場も知らず、遥か後方で、誤った机上作戦により多くの兵を死なしている。
一方、大将から兵卒に至る、実戦に投入された者たちは、この間違った作戦命令により、無言の死を遂げていて、彼らに罪はないと指摘している。
さらに、原爆情報も手に入れることができた。アメリカ本土にあった日本スパイの壊滅。大本営作戦課参謀の大罪。戦後自衛隊の問題点等々・・・・・・
こうした、本書はあまりにも深い内容なので、何回かに分けて、紹介するつもりですが、最初に私の興味を引いた「山下奉文の金塊」について紹介しましょう。

ウイキペディアに書かれている山下伝説は以下のようになっている。
フィリピンで一般的に語り継がれている伝説では、「東南アジア(主にビルマ)の欧米諸国の植民地政府が貯蔵したまま放置した金塊を、これらの地を占領した日本軍が徴発、
シンガポールからフィリピンで中継し日本本土に海上輸送しようとしたが、連合国軍の潜水艦や航空機による日本と東南アジア間の海上輸送路への攻撃が激しくなったために、
フィリピン内に隠しておいて日本の敗戦の直後に引き上げようとしたところ、関係者が戦犯として連合国軍により処刑されたため在処の情報が失われた」とされている。
また、「山下財宝は、日本が19世紀から1945年までかけて世界各地から略奪した『財宝』の一部である」と主張する人々もいるが、この話はアジアの近・現代史を背景にしたフィクション作品で著名な作家の、
スターリング・シーグレーヴが著した、
「The Yamato Dynasty」や「Gold Warriors」によって広く知られるようになったフィクションを、そのまま「真実」として読み違えたものである。
「金の百合(ユリ)」 ("Golden Lily") と呼ばれる架空の財宝を巡るストーリーで、「第二次世界大戦の終戦までに、財宝の一部が秩父宮雍仁親王の監督下でフィリピンに分散して隠されたため、
一部が今なおフィリピンに取り残されたままになっている」といった内容であるが、虚実入り混ぜたシーグレーヴのストーリー展開の巧みさから、本当の話だと信じる人々が続出した。
実際に、1942年にアメリカ領フィリピンでアメリカ軍が日本軍に降伏した時、アメリカ植民地政府やアメリカ軍によりジャングルに大量に隠匿されたニッケル・インゴットや、日本軍による占領後にフィリピンに入植した日本人が、
大戦後の引揚げ時に現地に埋めた財産等が実際に見つかることもあって、こうした伝説が真実味を持ったという説もある。 
しかしこれらは全く「都市伝説」なのである。
堀栄三氏は、戦時中実際に、南方総軍、第十四方面軍司令官、山下奉文大将の下で、情報参謀として務めた経験をこの著書に著わしている。
以下にその『大本営参謀の情報戦記・情報なき国家の悲劇』から引用。
フイリピンの治安状況は松延少佐が実に詳しかった。謀略班や特務機関、憲兵隊から寄せられる情報をミックスして、抗日グループやスパイの活動している地域とその行動、金銭的物質的支援組織とそれらとの関係、
華僑の動向、これらを一目でわかるような図表を作った。先般アキノ政権誕生で倒れたマルコス元大統領は北部ルソンで、やはり戦後大統領になるマグサイサイは、南部ルソンの抗日ゲリラの頭目として、
それぞれ米軍の指令を受けて活動していた。
 またこれらの大小グループと米軍との関係を調査していくうちに、前述の飛行機の飛行経路と、これらのグループとの関係(ときにはパラシュートで武器弾薬を投下する)のほか、夜間米軍の潜水艦が海岸に接近浮上して、
物資を揚げたり、金銭を渡したり、情報の交換をしたり、ときには付近の集落の比島人たちとパーティーをしていることなどが発見されだした。
あちらこちらで米軍がばら撒く紙幣は、単なるゲリラの軍資金ではなく、かなりの偽札が故意に混入されているらしく、ルソンは急速に極端なインフレになっていった。
そのために、日本守備隊の物資の現地調達が、朝二ドルといったものが昼には四ドルに、次の日は五ドルと跳ね上る始末で、明らかな米軍の市場攪乱を狙う計画的謀略であった。
日本軍は銃火のみを敵と考えていたが、日本軍の背後には経済と民心という強力な敵が包囲しつつあった。米軍は実に一筋縄でない狡猾な戦法も実施してきた。
比島は調査すればするほど、四面楚歌の恐しさを呈していた。この経済攪乱はすでに十八年中頃から現われだしていた。戦後山下財宝として賑やかに雑誌に書かれた例の金貨は、
黒田軍司令官時代にインフレに対処して準備されたものである。

余談だが、この金貨は昭和十九年二月、戦闘機の護衛する重爆撃機で、東京から台北経由マニラに輸送され、方面軍のマッキンレー時代は経理部が管理していたものである。
その量は、金貨五十枚ずつの木箱入り十箱を単位に頑丈な木枠で梱包、それが五十梱包あったから、金貨の数は二万五千枚の計算になる。表面に、丸福の字が刻印されていたので関係者達は「マル福金貨」と呼んでいた。
 山下司令部がバギオに移動するとき、金貨の一部は将来の万一を慮って各拠点や守備隊に配分されたので、情報課がバギオに運んだのは残りの約三十梱包だったと聞いている。
バギオが危なくなってからは、当然さらに北方の山中に移したと推測されるが、堀は一月二十三日バギオから東京の大本営に帰ったので、最終的にどのような処置がとられたかは知らない。
この書のためにいろいろ調査してみたが、金貨の最終の輸送に携わった者が全滅しているため、皆目不明であった。
 なおこのマル福金貨一枚を昭和二十五年に東京の貴金属店で換金した者があって、当時三万円で引き取られたという。興味のある人のために現在の価格に換算する参考までに述べておこう。

蛇足だが、現在の金の値段は過去最高で、1キロのインゴットは685万円もしている。
金貨は占領地政策の為、苦しい国家財政の中無理して送ったものだろうが(護衛戦闘機付きの爆撃機でマニラまで運んだ)、現在価値に換算しても大層な金額である。
金貨一枚は31グラムで25000枚と言えば750キログラムになる。
興味のある方は計算してみるのも一興。
第2次世界大戦当時、日本の国力を結集して建造した戦艦「大和」の建造費が、当時の価格でおよそ1億4000万円、現在の価値にすると約3兆円弱になるそうです。
戦後、この金塊を巡って、故マルコス大統領が着服したという説もあった。また日本でも様々な詐欺事件も起こっている。しかし、現在もこの謎は解かれていない。
以前「徳川の埋蔵金はない」をUPしたが、あれも現実は、幕末に徳川慶喜が使って無いのである。
今も埋蔵金発掘に夢を託している人もいるらしいが、徒労に終わるだろう。



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