この数か月、プーチンによるウクライナ侵攻のニュースが大きく取り上げられている。
先日、プーチンがイースタ―礼拝に出席した様子がテレビで流され、ロシア正教との強い関連性が指摘されていた。


確かに、ロシア正教会のキリル総主教はプーチン支持だが、だからといってロシア正教全体がプーチンと同じ考えだというのはあまりにも短絡的すぎる。

日本でも、日本のロシア正教会のある司祭が「ウクライナ侵攻反対」を表明していたというニュースが流れていたが、その根底には〝日本のロシア正教徒もキリル総主教やプーチンを支持しているのではないか〟という予断があるように感じられた。

 

日本人のロシア正教徒がこの戦争を支持するはずはないと考えるほうが普通だと思うが、そうではないようで、〝信仰者は(金太郎飴のように)すべからく教団のトップと同じ考えになるはずだ〟という見方は、なかなか無くならない。そんな馬鹿なはずはないとは思ってもらえない。

モスクワの大聖堂でクリスマスのミサを行うロシア正教会のキリル総主教

/Kirill Kudryavtsey/AFP/Getty Images


ある新聞社系列の雑誌に、「ウクライナ侵攻は『宗教戦争』」だという記事が出た。
それによると、ロシアのウクライナ侵攻は「西欧のキリスト教とロシア正教との戦争」なのだという(以下、雑誌の引用部分は赤字)。

その記事では「NATOを構成する大多数の西欧諸国は、かつてのローマからカトリックを受け入れた国々を母体として」いるというが、アメリカ、イギリス、ドイツ、オランダ、カナダ、ギリシャなどはカトリック国ではないし、1000年以上前のヨーロッパの宗教事情を持ち出して、かつてカトリックだった「西欧のキリスト教とロシア正教との戦争」と言われても、まったくリアリティがない。無理やりのこじつけ感は否めない。

さらに、この記事は続ける。

「カトリックとロシア正教は同じキリスト教ですが、似て非なるもの。その違いは、イエス・キリストをいかに考えるかの違いです。カトリックではキリストは神であると同時に人間であるのに対し、ロシア正教は思考の上では同じように理解しながら、感性の上ではキリストが人間であることが迫ってきます。つまり、ロシア正教は神と化した人間を求めるのです」。

とあるが、どうにも納得がいかない。

東方正教会(ギリシャ、ロシア)には「テオーシス」(神化)という思想があり、霊性上の大きな特徴とされている。この神学的傾向は、新約聖書の「神の本性にあずからせていただくようになる」(2ペトロ1:4)が根拠とされ、エイレナイオス、アタナシオスらの古代の東方系の神学者たちによって主張されていた(当時、東西は分裂しておらず、「テオーシス」が西方教会側に否定されたわけではない)。


 アタナシオスの「神が人となったのは、人が神になるためであった」という言葉はよく引用されるが、これは、創世記の「神のようになる」(3:5)という誘惑の言葉とは違い、人間の救済願望を土台とした言葉である。

「人間は神の似姿を成就するために創造され、存在しているが、この似姿成就のためには、神の本性にあずかって神化しなければならない。人間は神化してはじめて神を見ることができるのである。神を見ること(見神)とは神の永遠のいのちにあずかることをいうのである」(『テオーシス』総序、11頁、教文館)

つまり、

「「神化」(テオーシス)と「神を見ること」(見神)、それに「神のいのちにあずかること」(永遠のいのちへの参入)とが同一視されている」(『テオーシス』同上)

ので、信仰者にとってこの「神化」は自分自身の救いの最終的な到達点であった。

したがって、ロシア正教に「神化」の思想があるからといって、「ロシア正教は神と化した人間を求め……ロシア人特有の宗教感覚は国の頂点に立つ者を「神の代理人」とする統治者観を生むことになりました」という展開になるとはとうてい思えない。

繰り返しだが、「神化」とは、終末において人間が完成するときの状態を意味し、多くの信仰者が自分の霊性の導きとしてその思想を拠り所とすることはあっても、誰か第三者を「神化」の具現者として崇め奉る、ということに結びつかないからである。

したがって「神の代理人であるプーチン氏がウクライナに侵攻すると言えば、ほとんどのロシア人は神に命令されるのと同じ感覚で最終的には受け入れている」などということは、神学の理論から見ても、ありえないことになる。ロシア正教徒に対して、失礼極まりない言説ではないだろうか。

ロシア人がプーチンに盲従してしまうのだとしたら、その原因は誤った民族意識や情報統制が行われていることにこそある。もちろん、キリル総主教の誤導の影響も少なくないと思うが、それはロシア正教の本質的な問題ではなく、彼自身が司牧者として、指導者として、不適格であるということにほかならない。

為政者が国民をまとめるために宗教を利用することは珍しいことではない。
「2000年に大統領に就任したプーチン氏は、共産党の代わりに人心を掌握するために宗教は有効であると考え、ロシア正教をバックアップした」(【報道1930】TBS NEWS DIG 2022/04/24)という理解が妥当なところだろう。

また、キリル総主教に関しては「2009年に、ミハイロフというコードネームを持つKGBのエージェントであったと指摘されている」という情報もあり、さらに「推定純資産が40〜80億ドル」で、「豪奢な生活ぶりが問題視されたこともある」と批判されており(Wikipedia)、とても宗教指導者とは言えない人物像が明らかになっていることを見ても、単純にロシアのウクライナ侵攻が「宗教戦争」だという主張に同意することはできない。

またこの記事は、何をもって「宗教戦争」と定義づけるのかについては触れてなく、ロシア正教に対する誤解を広めるものでしかなかったと言えるだろう。

 

社会的な責任のある出版社であれば、未知なものに対して偏見を助長させるような記事は掲載しないように十分な配慮をするべきではないだろうか。

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※ 復活祭に出席したプーチンの様子がひどくぎこちなかったことが印象的だった。ふだん、礼拝になど出ていないのだろう。

 

※ また、この記事中、「ロシア正教は神と化した人間を求めるのです。この違いが1千年にわたる宗教対立となり…と書かれていたが、東西のキリスト教の対立の原因は、主に、使用言語の相違による対話の困難さ、復活祭の日付の違い、聖画像に関する理解の相違、聖霊の発出の問題、教皇の位置づけの問題等であって、「神化」の問題で東西教会が対立したことはないのではないだろうか。

 

※ さらに、この「ロシア正教は神と化した人間を求める」という主張が「神化」(テオーシス)以外の根拠によるのなら、1千年にわたる宗教対立」となったその根拠がこの記事ではふれられていないことになるので、それが明らかにされる必要があると思われる。

 

※ 正教会に対する誤解があったら訂正しますのでご教示ください。