母の友人のTさんは、私が幼い頃から我が家によく遊びに来ていて、私もオムツを替えてもらったりしていた(ようだ)。


私が成人になり洗礼を受けた頃、Tさんが某所で壺を210万円で買ったらしいと母から聞いた。

(※120万円を修正。)

「それは統一教会だよ! 騙されている可能性があるから教えてあげたら? 今ならまだ間に合うかもしれない」

しかし、母はあまり乗り気ではなかった。「高いかもしれないけれど、本人が満足しているのだから…」みたいなことを言う。

「それにしても高すぎる。一言、言ってあげてもいいんじゃないの」

その後、Tさんに話をしてくれたらしい。

Tさんは、物腰の柔らかい優しい人で、ご主人との離婚話に悩んでいた。統一教会はその弱みにつけこんだようだ。しかし、「相手の方はとてもいい人なので、争いたくない」ということで、結局、消費者センターなどに相談することはなかった。




私は母を通じて、統一教会がいかなる団体なのか、良心の呵責もなく平気で嘘をつく人間の集まりなんだと説明したが、なかなか受け入れてもらえなかった。そもそも壺を売った人たちが統一教会なのかもはっきりしない、と。

母からも、「お前はキリスト教徒になったから性格が丸くなったかと思えば、そんなに人を嘘つき呼ばわりするなんて…」みたいなことを言われた。

これには膝から崩れ落ちた。

確かに、統一教会員ほど嘘をつく人間をこれまで見たことがなかった。だから、「〇〇のように嘘をつくんだよ」というサンプルがない。

「統一教会なんて知りません」「文鮮明? だれですか、その人は」など、正体を隠すことは当たり前で、霊能者でもないのに、マニュアル通りに「霊界で先祖が苦しんでいる」などの作り話も平気でする。偽街頭募金にもためらいはない。それは、「アブラハムは妻サライを妹と偽って金品を得たように、地上天国のためなら嘘も正しい」という教えがあるからなのだが、それを母やTさんに伝えても、〝まさかそんな理屈であんなにいい人が詐欺をするはずがない〟というブレーキが働いて、信じてもらえなかったようだ。半信半疑で保留という感じだった。

当時、カルトという言葉は使われておらず、統一教会は「キリストの異端」として認識される傾向にあった。だから、キリスト教徒として彼らに反対意見を述べることは「正統 vs 異端」、あるいは「伝統宗教 vs 新興宗教」の争いだという、冷めた見方で突き放されてしまうことも少なくなかった。

そういう声の影響を受けて、母は言った。「いいじゃない。人が何を信じようと」。


「信教の自由の問題じゃないんだよ。彼らの違法な行為と、その原因となっている教えを明らかにしようとしているだけだ」と言ったが、何もわかっていなかった。わかろうともしなかった。

その後、テレビで弁護士さんたちが霊感商法の実態を明らかにしてくれるようになると、母は若干反省したような発言をするようになったが、「無関心の人が多すぎるから、ここまで問題になったんだよ」と言わずにはいられなかった。

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統一教会に騙された一個人の問題でもこれだけやっかいなのに、今回のように、統一教会と癒着した政治家と、彼らを守ろうとする御用学者・保守論客たちを相手にしなければならないのだから、マスコミや弁護士など、この問題に正面から関わる人たちは、本当に大変だと思う。


わかりきった嘘を暴くことも面倒だろうし、擁護派がこの状況をやり過ごそうと、論点ずらしをしたり、誤情報を忍ばせてきたり、必死になって詭弁を弄してくるのだから。

正直に、統一教会と自民党の関係を正し、政治を正常化すればよいと思うのだが、それさえ拒絶する人も少なくないようだ。

 

「政治には金が要る。統一教会は小さな団体だからそんなに影響はない。いずれ手を切るはずだ。そんなことより、対中国や新しい世界秩序のために現行の路線は守らなければならない。左翼の指摘に屈するわけにはいかないんだよ」ということのようだ。ある種の「大局観」によってのことなのだろう。

しかし、カルト教団に浸食され、不誠実な人間が数多く政治の中枢にいるこの国に、このままで明るい未来がやってくるとは思えない。彼らに義は存在しない。神の義であればなおさらだ。


キリスト教徒として、「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」(マタイ4:10)というみ言葉を思えば、きらびやかな日本の未来を約束されようと、間接的ではあっても偽キリストにつながる人たちをこの国の中心に戴くわけにはいかない。

最低限、カルトとつながっていない議員たちで出直す以外、道はないのではないだろうか。

 

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