歴史とドラマをめぐる冒険

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鎌倉幕府の性格・公武協調か公武対立か。

2022-08-23 | 鎌倉殿の13人
鎌倉幕府が朝廷や公家と「基本的に協調していたのか」または「基本的に対立していたのか」。今は「基本的に協調していた」が学会の「常識」となっているとされている。

というか、学者さんもつらい立場で「協調史観」か「対立史観」かの「踏み絵」を踏まされているようなのである。もちろん数は多くないが「対立か協調か自体がくだらない話だ」と言い切る学者さんもいる。

そもそも石井進さんや佐藤進一さんが「公武対立史観の立場をとった」とされ、それが教科書的歴史観になったと「された」ことから、こういう面倒な問題が始まる。教科書は「単純化」されているから、なるほど「単純な対立的把握」をしている部分も存在する。その方が「教えやすい」からでもあろう。ただ石井さんや佐藤さんの「原著」を読めば、単純に「対立構造だ」と言っていないことは明らかである。吾妻鑑を読めば、頼朝が朝廷に対して「丁重な態度」をとっていることは明らかなのだから、なんでもかんでも「対立だ」などとするわけないのである。

さらに厄介なことは、この「対立史観なるもの」が「間違ったマルクス史観の、階級闘争史観の産物」とされたことである。ソビエト崩壊後のマルクス否定の流れの中で、マルクス史観の残滓である「公武対立史観」は間違ったもの、否定されるべきもの、とされた(ようである)。

そこで60年代に既に黒田俊雄さんが唱えていた「権門体制論」が注目され、2000年代に入ると、怒涛の「公武協調史観」の「強調」が始まる。

マルクスが何を言おうと言うまいと、この社会に「対立」は存在する。同時に「協調」も存在する。対立していたのに協調したり、協調していたのに対立したりすることもある。

しかし困ったことに、人間は「生物」だから「危険か危険じゃないか。敵か味方か」を判断するようにできている。「脳の仕組み」がそうなっていて、だから「生き残る」ことができる。単純な二項対立が人間の脳とは相性がいいようである。「協調・対立しながら複雑な関係を保っていた」というのが事実だとしても、「人間の脳にとってそれがわかりにくい考え方」であることも確かである。

偉そうにこう書いている私も「単純な生物」なので、二項対立で物事を把握することに慣れている。慣れているというか「複雑な把握」が苦手である。それには苦痛が伴う。

私は育ってきた環境(東京出身)の為か、受けてきた教育の為か分からないが「対立しながらも協調していた」と考える。つまり佐藤さんや石井さんの把握の方がすんなり理解できる。ところが最近はそれが「否定」されているから、元木さんや野口さんの「協調を基本としながら、対立もする」という文章が増えている。これは私にとっては実に読みにくい。いろいろ「オカシイ部分」が目についてしまい、内容がなかなか頭に入ってこない。自然、そういう京都大学系の学者さんの文章は読まなくなる。佐藤さん系列の学者さんの本を好んで読む。「趣味だからまあいいか」と割り切ってもいる。

私にとっての救いは「公武協調史観」の元祖、教祖である「権門体制論提唱者」の黒田俊雄さんが、実は「公武協調史観のその先」を見つめていたことである。黒田氏の主眼は「国家権力とは何か」ということであった。そして当時「武士の研究ばかりしていた。そして武士を階級闘争の勝利者だとしていた」学会の気風を「異端児として批判」した。当時はまさに「異端児」だったのである。今は異端が正統とされているわけである。

「全権力を総体として把握」するためには「公家、天皇家、寺社、武家、総権力の研究が不可欠」だと唱えたわけである。そして「公武協調史観のその先」を見つめていた。単純に「公武協調史観」を唱えたわけではない。そこが救いである。だから黒田氏の文章は私にとっては実に読みやすい。「著作集」がわが「区」の図書館にはないので、そこは苦労している。「買えばいいじゃないか」と思われるだろうが、とにかく「高い」のである。1冊6000円の本を買う勇気が私にはない。そこも「趣味だから仕方ないか」と割り切っている。

「公武協調史観」の「大合唱」もそろそろ終わりかけているようである。「完全勝利」を確信したからかも知れないが、そう簡単に「勝利」は勝ち取れない。とにかく学者という存在は「ああいえばこう言う」人たちだから、すでに「ゆりかえし」が起きているように思う。昨日読んだ本では若手の学者さんが「協調の強調はそろそろ終わりにして、対立にもちゃんと目を向けるべきだ」と書いていた。

いい傾向だと思う。

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