歴史とドラマをめぐる冒険

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「鎌倉殿の13人」・第33回「修善寺」・感想と考察

2022-08-28 | 鎌倉殿の13人
義時が真に冷酷な悪人になったのは、実は先週と先々週だけで、それまでは「迷い」がありました。迷いなく殺したのは、比企一族と一幡だけで、それも史実から言えば時政がやったことです。(義時は江間家の当主で、北条時政の共犯、主犯ではないということ)。私はやや義時びいきですので、今回、また義時が多少の「迷い」を持ってくれたことは嬉しい限りです。悪漢ヒーローも良いけれど、この時代、あまりに残酷なのは「ただ嫌われるだけ」ですから「歴史的存在としての義時」にかわいそうです。史実を考えるなら、ほとんど時政がやったことで、義時自身が主体的に企画した悪事は限られています。

今回の頼家の死については「幕府のみんなで決めたこと」なのに、結局義時ひとりで刺客を放った感じになっていて、そこはまた悪人を引き受けることになって、かわいそうでした。しかし泰時を「頼家救出に向かわせ、頼家に最後の機会を与え、かつそれが無理なら泰時に冷酷な政治の力学を体験させる」ためには、必要な「設定」だったのでしょう。泰時はどこまでも善を引き受けるようです。

頼家に関しては善児にあっけなく殺されるのではなく、武士の棟梁として「見事に戦って散る」設定にしてくれて、良かったと思います。また頼家も最期まで北条討伐を考えていたという設定ですから、今回の死は「一方的なものではなく」、勝負の結果ということになっており、それも良かったと思います。頼家への何よりの「供養」でありましょう。主人を討つから不忠という考えを、鎌倉時代に当てはめる気が、私にはありません。そもそも「鎌倉を火の海にする」と三浦義村に伝えた時点で、頼家は「戦って死ぬ」ことを自ら選択した、そういう設定だと思います。

トウが善児を殺したのは、親の仇というより「介錯をした。苦しみを早く終わらせた」感じがしました。善児も「これでいい」とうなづいていました。トウは、泣いているように(雨ですが)も見えました。

泰時が「昔の義時であり、最後の希望」であることは、視聴者には分かっていましたが、設定としてもちゃんと言ってくれて明確になりました。同時に時房が「汚れ仕事をする」理由も説明されていました。この時房、歴史的にみればなかなかの「くせ者」で魅力的な人物です。

源仲章がこれからの最重要人物になることは、キャスティングから言って明らかでしたが、さらに明確になりました。それにしても実衣さんは「自分の子供を討った男」に意外なほど寛容です。源仲章に注目したことは一切なかったので、少し勉強しようと思いました。ありがたい契機を与えてくれたと思います。

「時政とりく」がこのまま「調子に乗って」くれると、悪は彼らが引き受けることになります。義時びいきの私としては、時政が悪を引き受けてくれないと困る(史実もそう。史実は物語と基本関係ないけど)ので、どんどん調子に乗ればいいと考えました。〇〇ファンの方にとっては、たまったものではありませんが。

あと思いつくまま

・源仲章が和歌について色々言っていましたが、要するに「文章経国思想」の変形なんだろうと思いました。「漢詩文や和歌を詠んでいれば、それが政治なんだ」という儒教系の「変な思想」は、日本史においては「漢詩を莫大な費用がかかる会を開いて作ってさえいれば、現実がどうあろうと、それが良い政治なのだ」という形で、弊害を多くもたらした気がします。人々が飢えて死んでいく中で、歌を詠んだり、漢詩を作ることに何の意味があるのか。「文章経国思想」が「歴史に及ぼした影響」について私は最近、多少の興味を持っています。

・頼家が後鳥羽院と通じていたという話は聞いたことがありませんし、史実ではないでしょうが、ここから後鳥羽院との戦いにもなっていくので、都の影響というか、陰謀は、ちょくちょく登場するのでしょう。

・物語としては「公武対立」の方が面白いですから、この物語も「やや公武対立的」にはなっています。しかし公武協調史観も巧みに取り入れていて、公武対立派にも公武協調派にもそれなりの納得を得られる作品になっていると思いました。私自身は、公武対立も公武協調も「どちらも合っているし、どちらも間違っている。原理主義的思考に陥ってはならない」と考えています。ある程度「テキトー」で柔軟な方が、原理主義よりは良いと思います。


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