紫のチューリップ
有ちゃんは『 い しょ 』と題した4枚綴りの手紙の入った封筒を、学校の机の上に置いて逝きました。
その他にも他校の親友2名に、少し内容の違う手紙を郵送していたことも後にわかりました。
遺書が存在していたケースです。
救急搬送先の待合室に整列して待っていてくださった中学校職員等の皆様。
記憶が朧気なのですが、その時、当時の校長先生に手渡された“本物のコピー(モノクロ)”を読んだのが最初だったと思います。
(筆跡鑑定や調査のために、遺書は暫く警察の方で預かっていたのだと思いますが)
手元に帰って来た本物の遺書を見ると、4枚目に『家族へ』と大きい文字が題されており、文字通り家族へ宛てたメッセージが書き綴られていて、その一番ラストには手書きのイラスト挿絵まで描かれていました。
大好きな(当時流行っていた)モノクロブーというキャラクターで、自分のペットであると公言していた白と黒のぬいぐるみのイラストと、その周囲に描かれていた紫のチューリップ。
画像では少し赤みがかって見えますが、自筆で「むらさきのチューリップ」と強調してあります。
でも、このとき私は、なぜ自ら死なねばならなかったのだろうと、ショックと疑問符だらけで、紫のチューリップについてはなんとなく、「自分の弔いのために用意して欲しい花なのだろうか」と、ぼんやり思い込んでいました。
そのことを葬儀会社の担当者にも話していたのでしょう。
葬儀会場入口フロアのモニター掲示板も、その当日は故人となった有ちゃんの名前の背景が、紫のチューリップの画像になっていましたし、あの真冬に全国から集められるだけ集めてくださった紫のチューリップが檀上に飾られてありました。
告別式では親族一人一人が、それを有ちゃんの棺に入れて見送りました。
ささやかなりに、我々家族が叶えてあげられる、有ちゃんの最後の要望に従った花道を作ったつもりだったのですね。
ところが、その後弔問に来続けていた親友さんたちが、「お母さん、紫のチューリップの花言葉をご存じですか。検索したのですけど、めっちゃ泣けてきました」と言うので、私も調べてみると………
――永遠の愛、不滅の愛、気高さ等
そうか、家族に対する想いを花に託していたのだな。
気づかなくてごめんなさいと、申し訳なく悲しい気持ちにもなりました。
ところが、ところがです。
もう一つ、ちゃんとした意味が含まれていたことが、つい先日わかったのです。
我が子が還って逝った季節の草花なんて、まるで記憶にないよねぇ…なんて会話を、族ママさんと話していたときでした。
そういや、うちの子の遺書には紫のチューリップが描かれていてね、と、話すついでに何気なく検索していると出てきたのが、
――3月20日誕生花
スイートピーやミツマタ、黄色のチューリップに並んで、紫のチューリップが明記されていたのです。
――え
………私の誕生花?………。
まる8年経ち、9年めの3月に気づいたというこの体たらく。
こんなマミーを彼の世から覗き込み、「この人は永遠に気づかないのだろうか」と、ガッカリしていたのではないのか。
遺書の中には、「もう私からしてあげられることはありません」という、悲しい悲しい一文もありました。
苦渋の決断に追い込まれていた胸中で、手紙の最後の最後に、懸命に思いを込めて描いた『此の世で出来る最後のこと』
永遠の愛。不滅の愛。
紫のチューリップ。
(お誕生日おめでとう?)
久しぶりに仏壇の引き出しから『 い しょ 』を出して読み、大泣きしてこころが浄化された3月になりました。
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