2019年6月7日金曜日

高校生時代

高校生になって通学に電車を使うようになりました。田舎の電車ですから都内のようにいつでも駅に行けば乗れる訳ではありません。毎朝○時○分の電車に乗る。次になったら×分の遅刻。などという環境です。


しかも通勤時間でもありますから田舎と言えどもほぼ満員になることが多いのです。いわゆるパーソナルスペースが侵害される空間です。調子が悪い時はとてもじゃありませんが乗っていられません。1時間目を欠席することはしばしばあったと思います。

高校でも入学前に病気の事は学校側へ説明していましたが、覚えている限りでは、プール以外は特別な配慮は無かったと思います。

体育は引き続き苦手でしたが校風として体育はリクリエーション的な扱いだったので大体は参加していたと思います。(それまで5段階評価で2でしたから3でもとても嬉しかったのを覚えています。)

この頃になると便が出てしまったというのはほぼ分かるようになっていたと思います。ですから学校で排泄後の処理(ナプキンを交換する)をしたりもできるようになりました。またこの頃から下着を1セット緊急用に持参するということもしていました。荷物が多くて大変ですが。

高校生にもなると部活動(文科系)にも参加してそれまでより活動的になったと思います。
が、入学当初は慣れない電車通学でとても疲れてしまったことを覚えています。授業中に居眠りする なんてそれまで信じられなかったのですが実際に自分が寝てしまいそれ程体力が無かったのだなぁと実感したのでした。

共学だったのですが高校生にもなるとやはり異性のことがとても気になります。周りも彼女がどうとかオープンに話す友人もいました。が、自分は興味があっても彼女を作りたいとかモテたいというのはありませんでした。
正確には無いと言えば嘘になりますが、じゃあ積極的に話すとか自分からアタックするというのはありませんでした。やはり体のことを考えるとこんな自分では迷惑だろうなと感じていたからです。

体調が良く排泄のコントロールができている時は全くと言ってよい程問題ない訳ですが、毎日がそうではありません。一人でささっと帰りたい時もあるわけです。そういった事を考えると彼女が欲しいというのは正直あっても相手に迷惑をかけて余計に嫌われるだろうと思うようになっていたのです。

この体の障害についてはほぼ家族以外には誰にも話せませんし恥かしすぎて知られたくないというのが本音です。当時は自意識過剰気味の高校生ですからそのような事を他人に話すくらいならこの世から消えて居なくなりたいとさえ思う位です。

ただ今思うと、これは自分が病気のことを正しく受け止められていなかったのかも知れません。小さいころからこれが当たり前で他の人には隠しておかないといけない。しかし実はどのような状態なのか理解できる正確な説明を受けたことも無い。

まぁ考えてもどうにかなるものではないのですが、考えたうえである程度納得しているのと初めから考えないで我慢するというのは天と地ほどの差があると思います。

どうせ自分なんか...と自分に自信が持てず、自尊心が低く、自己肯定感に乏しい。まさに私はそのような人間でした。


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浪人時代 中学・高校と洋楽が大好きで当時流行でもありましたがハードロック/へヴィメタルをよく聴いていました。 当時はレコードが中心の時代です。少ないお小遣いで色々聴きたいのでレンタルしたり中古レコード屋さんめぐりをしたり... そんな生活ですから進路を考えた時に音響...