世界各国で調査した平均寿命の最長国は、我が日本で 84.2 才でした。
男女別でも、日本は女性が1位で 87.1 才、男性は 81.1 才で、スイスに次いで2位でした。
■2016年の世界保健機構(WHO)の調査
2020年に於いて、世界最高齢も日本人の 田中力子 (かね) さんで、現在 117才 と260日を超えたそうです。
1903年の明治36年生まれなので、明治、大正、昭和、平成、令和と、5つの年号を生きてこられたわけですね。
このように、世界一の長寿国である日本ですが、お年寄りの中には愛すべきキャラクターの持ち主がたくさんいました。
本日は、そんな中から男女お一人ずつの生き方をお勉強させていただき、僕らの寿命を少しでも伸ばしましょう。
まあ、テレビ番組で紹介されるほど、個性的かつ魅力的なおふたりなので、真似はできないでしょうけど。
要は、ありのままの自分で生きていればストレスもなく、長生きできるということかもしれませんね。
■尚、ご紹介するお二人とも、かなり前に亡くなっておられます。ご冥福をお祈りいたします。
■Japanese male
さて、そんな長寿のお年寄りの中で、その晩年が日本中で話題になった方をご紹介いたします。
鹿児島県徳之島伊仙町出身の男性で、1995年までギネスブック公認の人類の世界最長寿、
2012年まで男性の世界最長寿とされていた 泉 重千代 (1865―1986)さんです。
テレビでよくお見かけしたという記憶があるんですが、亡くなられてもう34年も経つんですね。
で、重千代さんを調べていて驚いたのは、60代までアルコールを口にしていなかったことです。
70才になってから地元名産の『黒糖焼酎』を、お湯割りでその後50年間愛飲していました。
しかし、70才になってから、晩酌を始めようというその意欲は、どこから出てくるのでしょう?
■『何かを始めるのに、遅すぎるということはない』
という格言を何かの本で読みましたが、あらためて心に刻み込んでおきます
けっこう年令を重ねると、「あと、何年生きられるか分からないし、明日死ぬかもしれないし」と思い、
新しいことへの挑戦には躊躇しがちですよね。70才からって・・・・・・・僕も思い込みを打破しなくては!!
では、ギネス・ブックの長寿世界一に認定されたときのお話です
当時の伊仙町長に、118才の世界最長寿お祝いの席で 「お好きな女性のタイプは?」 と 聞かれ、
重千代さんは 「わしゃ年上の女性が好みじゃ」 と応えたそうです。(笑!!)
あたりは大爆笑ったそうですが、とうの本人は真面目なお顔だったようで、冗談なのかわからなかったそうです。
しかしこれは、話として出来すぎているために本当に泉さんが発した言葉なのか、その信憑性を疑う声もあります。
■尚、2012年、出生日が曖昧であるということから ギネスの記録は取り消されました。
■Japanese female
そして女性では、同じく鹿児島の 本郷かまと さんを、よくテレビでお見掛けしました。
このおばあちゃんを有名にしたのは、眠っているときに娘さんがかっまとさんの口元に食べ物を持っていくと、大きく口を開けて、
もぐもぐと食べる姿が 『座ザ!世界仰天ニュース』(日テレ系)で流れて反響を呼んだことでした。
100才を過ぎたからの転倒で、腰椎を骨折し寝たきりになってから2日眠って2日起きているという生活を始めます。
それで眠っている2日の間に食事をせざるをえなかったわけです。
まあ、眠ったまま食べたりしたら、胃にもたれてしょうがないんじゃないかと思うんですが、
かまとバアは内臓が丈夫で、睡眠中でも食事を摂ることが出来るほど嚥下力があったということです。
晩年はその長寿ぶりや愛らしいキャラクターからニュースやテレビ番組にしばしば取り上げられ、
長寿にあやかろうと全国各地から大勢の人が鹿児島市内の彼女の元に訪れていました。
気がつけば、彼女も泉 重千代さんも同じ徳之島の 伊仙町 出身ですね。
もしかしたら伊仙町に、長寿に関わる “何か” があるのかもね?
■尚、2012年、出生日が曖昧であるということから ギネスの記録は取り消されました。
最後に、ザ・ヤング・ラスカルズ の1967年のヒット曲、「グルーヴィン」 で締めます。
こんなに穏やかで、ゆったりとした曲があるでしょうか?今でも、多くの人たちがカバーする癒し系の名曲です。
1回聴けば1年ぐらい寿命がのびそうです。 ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
■『Groovin‘/THE YOUNG RASCALS」(1967年)
■邦画スピリット http://blog.livedoor.jp.sosegon226-houga