エーリヒ・クライバー モーツァルト交響曲第36番「リンツ」 生き生きとして凜とした佇まい | クラシック音楽と読書の日記 クリスタルウインド

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このブログでも何度か取り上げさせていただいているパブリックドメイン音源サイト『クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~』に今日アップロードされていたのが、エーリヒ・クライバーの指揮したモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」でした。

 

クラシック音楽 | リスニングルーム | モーツァルト:交響曲第36番 ハ長調「リンツ」 K.425

何気なく訪問して、本当に何気なく聴き始めたこの音楽は、1954年のライヴ録音という事で決して素晴らしい音では無く、雑音も結構聞こえてくるのですが、しかし生き生きとした生命力に満ち、また同時に凜とした佇まいを感じさせる魅力に満ちたものでした。ついつい手を止め聴き入ってしまっていた自分に気付いたのは第一楽章の半ばを過ぎた頃になってからです。「リンツ」は今までシューリヒトの演奏がベストだと思っていたけど、もしかするとこのエーリヒの録音の方が好きかも知れない・・・。何だかそんな気がするくらいでした。

 

息子のカルロス・クライバーと比べ存在が忘れかけられていたところもあったエーリヒ、ですが、時折こうした録音に触れると驚かされることがよくあります。やはり今でも名前の残る巨匠指揮者たちがぞろぞろと揃っていた戦前のドイツで、30代の若さでベルリン国立歌劇場のトップまで上り詰めた実力はただ者では無いのです。戦後はキャリアに恵まれず、またこれからという時に不慮の死を迎えてしまったこともあり音質の良い録音が多くなかったことは残念ですが、天才と称されたカルロスが終生比較されることを怖れたその音楽は本気でじっくり聴いてみる価値がありそうだなと再確認しました。

 

「エーリヒ・クライバー(Erich Kleiber, 1890年8月5日 - 1956年1月27日)はオーストリアのウィーン出身の指揮者。指揮者のカルロス・クライバーは息子。
(中略)
ゲオルグ・ショルティは、14歳の時にクライバーの指揮でベートーヴェンの『交響曲第5番』を聴き、指揮者の道を志した。その後ブダペスト歌劇場にてクライバーの助手を務め、『薔薇の騎士』『後宮からの誘拐』での歌唱指導と、『薔薇の騎士』の本番におけるチェレスタ演奏を行なったが、ショルティはこの時を振り返って「オペラに夢中になっていたクライバーは、演出にまで入れ込んでいた。彼は自ら『後宮からの誘拐』を演出し、歌手を思いどおりの位置に立たせ、その演技を指導し、装置について舞台美術家に意見を言った。エーリヒ・クライバーほど徹底して劇場人になりきれる指揮者はめったにいない。私は彼のようになりたいと思った」と述べている。
指揮者のヘルベルト・ブロムシュテットは、ドイツ的な響きとは何かという問いに対し「それはひとつの集合概念です。ドイツ的な響きというのは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、アルトゥール・ニキシュ、フリッツ・ブッシュ、エーリヒ・クライバーから連想される響きです」と語っている。
(中略)
音楽評論家の門馬直美はエーリヒ・クライバーについて以下のように述べている。
『言葉のリズムとオペラの演出効果に天才的ともいえる傑出した感覚をもっていた。これによって、オペラの指揮に独特の境地を開拓したのであり、そうした様式を演奏会の方面にまでおしひろげていったのだった。クライバーの音楽は、つねに歌っていることが大きな特色で、しかも無軌道に歌わせることをしない。そのために、形式と内容との均衡が巧みに保たれているともいわれるのである。』」(Wikipedia エーリヒ・クライバー より)
 

そう言えば、「リンツ」はカルロスの演奏もいくつかの録音が聴けるようですね。

 

 

 

エーリヒ・クライバー指揮 モーツァルト:名演集

エーリヒ・クライバー指揮 モーツァルト:名演集 交響曲第33番(ケルン放送響、1953年11月23日)、交響曲第36番「リンツ」(シュターツカペレ・ベルリン、1954年11月12日)、交響曲第38番「プラハ」(ウィーンフィル、1929年2月)、交響曲第39番(ケルン放送響、1956年1月20日)、交響曲第40番(ロンドンフィル、1949年4月)、オーボエ協奏曲(ケルン放送響、ローター・ファーバー、1956年1月20日)、ドイツ舞曲より4曲(ケルン放送響、1956年1月20日)、アイネ・クライネ・ナハトムジーク(ベルリンフィル、1934年5月)(*全ライヴ録音、「アイネ・クライネ」、「プラハ」、「第40番」はスタジオ録音