真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「パラレル・セックス 痴女が潜む街」(2020/制作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:筆鬼一/撮影監督:創優和/録音:小林徹哉/編集:有馬潜/音楽:友愛学園音楽部/助監督:小関裕次郎/スチール:本田あきら/整音:Bias Technologist/仕上げ:東映ラボ・テック/監督助手:可児正光/撮影助手:赤羽一真・酒村多緒/応援:高木翔/お手伝ひ:鎌田一利/出演:二宮ひかり・並木塔子・長谷川千紗・安藤ヒロキオ・可児正光・赤羽一真《声》・小滝正大/ナレーション:竹本泰志)。出演者中、声のみの赤羽一真は本篇クレジットのみ。竹本泰志の正確な位置は赤羽一真と小滝正大の間に入るのと、脚本の筆鬼一は、鎌田一利の筆名。
 イラストの夕景に、最終的には意義はおろか意味から不明確―後述する―な、竹本泰志のナレーションが起動する。「これから御覧頂くのは、私が勤めるドラッグストアの店長の身に起きた、不思議な出来事です」。暗転して、何故かせゝこましく右隅に入れるタイトル・イン。結論を先走ると、全篇隈なく貫く不完全無欠の火蓋をある意味順調に、アバンで既に切つてゐた次第。
 作りものぽい笑顔で、康子(並木)がカレーの支度。居間では康子の夫で「ヤッホードラッグ」水木店?の店長・中岡雅夫(小滝)が、動画サイトで人気のロンリーイザキ行方不明事件を伝へる―声が赤羽一真―テレビ番組を見る。康子は元気に「いつたらつきまーす」、ところが中岡はといふとこの男何がそんなに不満なのか、のつけから1mmたりとて外堀が埋まらないまゝ、チョチョッと突いただけで御馳走様とスプーンを置く。こつちも、早々に匙を投げさうなんだけど。挙句、「もし突然僕がゐなくなつたらどうする?」だなどと途轍もない面倒臭さを拗らせる夫を、康子が一笑に付すカットを中途半端に切つた上で雪崩れ込む中岡家夫婦生活。初戦にして、映画が逆の意味で見事に詰む。全体小滝正大は、何時の間にそんな肥えたのか。強ひていへば童顔の範疇に納まりさうなルックスと元来の短躯とは親和性の比較的低い、だぶだぶに弛んだ醜悪極まりない腹周りに加へ、あるいは艶技指導の画期的敗北なのか、改めて見るに小滝正大が絡みすら下手糞すぎて、もうそもそも画としてもシークエンス的にも、おちおち女の裸も大人しく楽しんでゐられない。
 昼休みの往来にて、中岡が初恋相手のキリエ(二宮ひかりのゼロ役目)と交錯する、こゝは僅かに、後々夢幻が普通に回収される一幕を経て、康子は同窓会で帰省した週末。豪快にか臆面もなく夢でオトす―のが流石ではある―キリエとの騎乗位がてら、表(おんも)に出た中岡は再びキリエと邂逅。光の中に歩き去るキリエに誘ひ込まれた、ガード下で中岡も消失する。畳の上で意識を取り戻した中岡に、いきなり下着姿で迫つて来たキリエならぬキリコ(二宮)は、「貴方は私の処女を捧げる初夜権を与へられてゐるの」とか、抜いた話の底でジオセントリズムの天空を飾る史上空前の膳を据ゑる。
 配役残り、可児正光はキリコの下を逃げだした中岡が道を訊かうとする、エグゼイドな色合のニットキャップに、奇行に突入した挙動の著しく不自然な男。最終盤明かされるその正体が、蒸発したロンリーイザキ。長谷川千紗は、ロンリーイザキと中岡を争ふ、当初アグレッシブな痴女以外の何者にも見えない女。自室に連れ込んだ中岡を長谷川千紗が捕食しようとしたところ、「コラー!俺の女に何をするー」とクローゼットからの大登場を果たす、やぶれかぶれな勢ひと絶妙な間は確かに可笑しい安藤ヒロキオは、大阪万博の年に初夜権行使者に選ばれ、そのまゝ自らの意思で黄色い水を飲んだ男。そし、て。意表を突いて飛び込んで来る、枝葉の限りではあれ、見所は見所を担ふ飛び道具がかつてヒップホップ・シーンを人知れず駆け抜けた、孤高のラッパーその名もEJD。E J D、あのつべ探せばまだあんのかな。閑話休題、此彼の別に関しても後述する、彼岸では精々二三日の間、此岸では一ヶ月近く経過。“この人を探してゐます”と中岡雅夫を捜索する尋ね人の隣に貼られた、連続女性殺人犯―殺害犯でなく殺人犯と、赤羽一真は臨時ニュースを読む―手配写真が井尻鯛(a.k.a.江尻大)。如何なる瞬間に撮影されたスチールなのか、適度に憔悴した面相が何気に超絶。
 越した新居もとい珍居に通信回線が固定電話分さへ繋がらず、穏やかといへば穏やかな生活に暫し微睡む中、遠征に出張る気力も一時凍結し、外王でDVDを借りて来て済ませた加藤義一2020年第一作。上野では三月末に一旦封切つたものの、コロニャン禍の直撃を受け六月初頭に仕切り直しの再公開してゐる。先に触れた火の玉ストレートかノーガード戦法の夢オチを窺ふに、加藤義一の師匠筋は関根和美に求めるのが最適解であるやうな思ひも、この期に及んで過らなくもない。
 キリエとはあくまで別人のキリコが暮らす、中岡視点だと跨いだ先の彼岸が、二十一までに処女を喪失しない女は泡になつて消滅―昭和の特撮か―させられる、個々人のセクシャリティなり自己決定は結構ガン無視した、パラダイスなのかブルータルなのかよく判らない異世界。中岡―やロンリーイザキ―が元ゐた此岸を一方的にパラレルな認識で捉へ、劇中唯一開陳される基本法則的な説明原理が、誰でも手翳しで感知可能な類の“波動”とやら。長谷川千紗の素性も、社会的ないし強制的に水揚げさせられる女子をケアする、ヴァージン管理局職員。と、いふか。さういふ有無をいはさないシステムを採用してゐる以上、そこそこで納まらない一定数ヒトのメスが相当な若さで要は死ぬ、大概物騒な世界観に思へて仕方ないのは気の所為かしら。
 草臥れた中年男の前に、不意に現れた初恋の人―と同じ姿形の若い娘―が是が非でもバージンを貰つて呉れるやう乞ふ、空前絶後の麗しきファンタジー。の、筈なのに。説明無用、その道の絶対永年最強大家たるナベならば安普請にも映画初出演にして初主演、口を開くと正直覚束ないビリング頭のエクセスライクにも屈せず、精一杯ドリーミンなエモーションを撃ち抜いてみせたにさうゐない。新田栄でも、怠惰にせよ通俗にせよ主要客層の琴線を緩やかに撫でる、適度な湯加減の量産型裸映画に仕上げてのけた、かも知れない。尤も、今作の加藤義一はといふと、彼岸のキリコがのつけからグイッグイ半裸の無造作―初体験だろ、そこは恥らへよ―以前に、初期設定で中岡が抱へる寂寞の具体的な内実を一切描かない、一滴も血肉を通はせない箆棒な無頓着。そのため中岡が黄昏ミドルといふよりも、小滝正大の魅力に乏しいメソッドにも火に油を注がれ単なる自堕落な駄々オジ程度にしか見えず、越境といふ大飛翔に挑むどころか、日常描写の端から始終の首は一向据わらない。小滝正大の惰弱さ―と二宮ひかりの心許なさ―が右往左往ぶりを加速する、相当な尺を並行世界のエクスキューズに費やす割に、中岡が此岸から連れて来られた一種の選別が、純然たる波動マターなのか、それとも幾許かはキリコの任意も介在してゐるのか。話が進むにつれ、基本的な肝要に関し動揺を来す脇の甘さも看過し難い。長谷川千紗が遮る、中岡を見たロンリーイザキが呟きかけた「あんたもしかしてシン・・・・」と、安藤ヒロキオとの事後、キリコと中岡のファイルに目を通す長谷川千紗が洩らす「矢張り」。聞くから思はせぶりな台詞を投げるだけ投げておいて、その後全く顧みない豪放磊落な作劇には、この映画凄えな!とグルッと一周して吃驚した。万能薬的な錠剤で事済ます彼岸の食事に厭いた中岡―つかお前は食ふな―が、此岸から持ち込んだ手荷物なのか、ロンリーイザキのバックパックに入つてゐたパック飯とレトルトのカレーに舌鼓を打つ件。最初ブツを自ら発見したにも関らず、完食後の中岡がキリコに対し、「よく手に入つたね」と感嘆するプリミティブなちぐはぐさにも引つ繰り返つた、君等の脳は全員鳥か。つい、でに。中岡に浮世離れた若さを誇るヒロキオ(仮称)が、五十年といふ此岸時間を認識出来てゐる道理も地味に不明。異界描写が何が点いては消えしてゐるのかが実は結局謎な、無駄な点滅と適宜鳴らす波動音効の、二手で一点―にも満たぬ―突破といふのは兎も角、最重要な意匠である赤と黄二色の水がそれぞれ入れられた容器が、テイクアウト感覚のペラッペラな透明プラ容器といふのはどうにかならないものか。パッと見それなりに映る硝子のコップくらゐ、セリアでも売つとるぢやろ。際限がなくなるゆゑ、この辺りで等々。とかく、もしくはとまれ。地に足の着かない物語に、地に足着けて取り組む腹積もりの全く以て怪しい、ツッコミ処ばかり姦しい木端微塵も超え、最早死屍累々に近い始末。
 二宮ひかり二連戦と、止めに並木塔子。何処からでも締めを狙へる濡れ場を三撃連ねておいて、選りにも選つて後ろ二つを、呆然通り越して愕然とさせられる中途でブッた切る壮絶な体たらく。先に挙げた電撃のEJD除けば、正方向に見てゐられるのは長谷川千紗と安藤ヒロキオが、各々キリコと中岡のメンター的に機能するなかなかの構図と、中岡が想起する、キリエから恋文を手渡された美しく切ない思ひで。「ハイ」的に微笑んだ二宮ひかりが、両手でラブレターを差し出す画に傍から―多分KSUに―シャボン玉を吹かせる、懼れを知らないポップ感が火を噴くスーパー・ミラクル・エクストリーム・ショット。かれこれしてゐるうちに、来年で監督デビュー二十年。加藤義一は未だ、瑞々しい一撃必殺の切札を失つてはゐない。と最後は南風的にまとめかけて、余計な憤懣を思ひだした。三連撃一打目、キリコが自ら服を脱がうとするのを制止した中岡は、「服を脱がすのは男の役目だよ」。犬は当然見向きもせず、蛆も湧かないアナクロなマチズモは無論論外、また中岡がキリコを裸にする小滝正大の手際がぞんざいで、本来、猛然とアガッて行かねばならない流れで導入からグッダグダに失速する。兎にも角にも、監督と脚本家を抑へ致命傷の座に座る男主役が、一言で片付けると無様の限りで凡そ満足な体を成さない一作。かういふ時、誰しもが脊髄で折り返し脳裏に浮かべよう、なかみつせいじでは齢がオーバーランとする判断なのかな。

 気がつくと開巻の辞以来すつかり御無沙汰で、完ッ全に忘れてゐたタケレーションがラストでまさかの再起動。「お話はこれで終りです」、実際終るのだから、それはまあいゝ。ところが続けて「え、何で向かうの世界のことを知つてゐるのかつて?」、「それは私も同じやうに」・・・・言葉尻は、波動音が濁す。整理すると“これから御覧頂くのは―中略―不思議な出来事です”と、“お話はこれで終りです”しか語つてゐない主体が、何を知るも知らないも、何をいつてゐるのだか当サイトにはサッパリ理解出来ないのだが。当の鎌田一利と加藤義一を始め、大蔵の担当者も撮影前にゴーを出す出さないで、当然脚本には目を通してゐる筈。大の大人が何人も加はつてゐながら、どうすると斯様な雲も掴み損ねる頓珍漢が完パケで世に出てしまふのか甚だ理解に苦しむ。それとも、それもまたひとつの、映画の持つ魔性の形とでもいふのであらうか。


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