足利事件は本当に冤罪なのか? 128 シンガーとしての菅家さん | 宇都宮義塾

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★スティーヴィー・ワンダー

 

 

 

★マーヴィン・ゲイ

 

 

 

★ダニー・ハサウェイ

 

 

 

★菅家さん

 

 

 

中学時代に仲が良かった同級生とは、その後もときどき遊びに出かけました。

いっしょに映画を見たり、喫茶店でお茶を飲んだり、ちょこっとパチンコを打ったり、

ふたりでのど自慢大会に参加したこともありました。

夏のビヤガーデンにも連れていかれましたが、自分はちょこっと飲むだけですぐ酔っ払ってしまい、

以来、ほとんど飲まなくなりました。

 

中学時代から橋幸夫のデビュー曲「潮来笠(いたこがさ)」がすっかり気に入ってしまい、

口ずさむうちに歌謡曲を歌うこと自体が好きになっていました。

三田明が十六歳でデビューするきっかけとなった歌のオーディション番組「ホイホイ・ミュージックスクール」

の予選会に自分もまた十六歳で応募したのを皮切りに、

NHKのど自慢の予選会、鑁阿寺や織姫山でののど自慢大会にも自分で応募して、

いつも三田明の「美しい十代」を熱唱しました。

緊張するのは歌い始めだけで、歌ううちに人前でも平気で歌えるようになりました。

話すのが苦手なのに、ちょっと不思議です。

(菅家利和『冤罪 - ある日、私は犯人にされた -』〈朝日新聞出版〉p108)

 

平日の作業の合間には、一日三十分の運動があります。

晴れていれば外へ出て、足腰が弱くならないように、

一周四〇〇メートルの運動場を歩いたり走ったり、

仲間とソフトボールをしたりすることもありました。

雨の日には講堂で卓球をしたり、カラオケの道具を出して歌を歌ったりもしました。

年に一度ののど自慢大会では、何度か工場の代表として「潮来笠」を歌い、

一度だけ刑務所全体で二位に入賞したこともあります。

(菅家利和『冤罪 - ある日、私は犯人にされた -』〈朝日新聞出版〉p165)

 

二日前、東京拘置所に面会に行ったときだ。

菅家被告は喜色満面といった表情で、接見室に現れた。

「こないだ、弁護士さんたちがきて、『ここを出たら何したい?』って聞くから、

自分は寿司が食べたいって言ったんですよ」

 

彼が逮捕されてから、四年半の月日がたっていた。

逮捕当時は頬がやせこけて体重も四五キロしかなかったが、

いまは一〇キロ以上も増えたそうだ。

身長一五五センチの小柄な男は短髪に白髪が目立つようになり、

福々しくていかにも人の好さそうな人相になった。

彼はほかにも、ステーキ、天ぷら……といくつも食べ物の名を挙げてから

「でも、本当は……」と、言葉を区切った。

「カラオケ、思いきり歌いたいです」

 

町内のお寺で年中行事となっていたカラオケ大会では、

準優勝したことがあるそうで、NHKの『のど自慢』の予選にも出場したという。

鐘の連打はのがしたが、歌は橋幸夫の『潮来笠』だったと楽しそうに思い出す。

彼から自慢めいた話を聞くのは初めてだった。

それならカラオケのある寿司屋で歌いまくるのはどうかと言うと、

やや間があいて彼は右手をあげ、掌を頭の上でパッと広げた。

「あの、ス、スポットライトも欲しいです」

 

照れたのだろう。顔を真っ赤にして、つっかえながらそう言った。

(小林篤『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか』〈草思社〉p7~8)

 

個人的にはカラオケが大好きで、刑務所の中でのど自慢大会に出たこともあります。

いつか地元ののど自慢大会に出られたらいいな、という望みも持っています。

橋幸夫が大好きで、橋幸夫の歌はほとんど全部歌えます。

(菅家利和・佐藤博史『尋問の罠 - 足利事件の真実』〈角川oneテーマ21〉p175)

 

菅家さんのたっての希望でカラオケにも行くことになった。

菅家さんはマイクを握ると一気に二〇曲も歌い続けた。

橋幸夫や石原裕次郎、三田明といった懐かしの歌手のナンバーを歌いながら、

抑圧から解き放たれた喜びからか、その顔は笑顔でくしゃくしゃになっている。

時に両手を大きく広げ、時に床を蹴って飛び上がる。

何もかもが一七年半ぶりなのだ。

(清水潔『殺人犯はそこにいる - 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件 -』〈新潮社〉p187)

 

 

※日本テレビ系列『真相報道 バンキシャ!』で放送された、

上記赤字部分の映像(コミカルに踊りながら歌いまくる菅家さんw)が

youtubeにUPされていたのだが、いつの間にか削除されたようだ。

この映像をお持ちの方がいたら、筆者にご一報いただけると幸いです。