★スティーヴィー・ワンダー
★マーヴィン・ゲイ
★ダニー・ハサウェイ
★菅家さん
中学時代に仲が良かった同級生とは、その後もときどき遊びに出かけました。
いっしょに映画を見たり、喫茶店でお茶を飲んだり、ちょこっとパチンコを打ったり、
ふたりでのど自慢大会に参加したこともありました。
夏のビヤガーデンにも連れていかれましたが、自分はちょこっと飲むだけですぐ酔っ払ってしまい、
以来、ほとんど飲まなくなりました。
中学時代から橋幸夫のデビュー曲「潮来笠(いたこがさ)」がすっかり気に入ってしまい、
口ずさむうちに歌謡曲を歌うこと自体が好きになっていました。
三田明が十六歳でデビューするきっかけとなった歌のオーディション番組「ホイホイ・ミュージックスクール」
の予選会に自分もまた十六歳で応募したのを皮切りに、
NHKのど自慢の予選会、鑁阿寺や織姫山でののど自慢大会にも自分で応募して、
いつも三田明の「美しい十代」を熱唱しました。
緊張するのは歌い始めだけで、歌ううちに人前でも平気で歌えるようになりました。
話すのが苦手なのに、ちょっと不思議です。
(菅家利和『冤罪 - ある日、私は犯人にされた -』〈朝日新聞出版〉p108)
平日の作業の合間には、一日三十分の運動があります。
晴れていれば外へ出て、足腰が弱くならないように、
一周四〇〇メートルの運動場を歩いたり走ったり、
仲間とソフトボールをしたりすることもありました。
雨の日には講堂で卓球をしたり、カラオケの道具を出して歌を歌ったりもしました。
年に一度ののど自慢大会では、何度か工場の代表として「潮来笠」を歌い、
一度だけ刑務所全体で二位に入賞したこともあります。
(菅家利和『冤罪 - ある日、私は犯人にされた -』〈朝日新聞出版〉p165)
二日前、東京拘置所に面会に行ったときだ。
菅家被告は喜色満面といった表情で、接見室に現れた。
「こないだ、弁護士さんたちがきて、『ここを出たら何したい?』って聞くから、
自分は寿司が食べたいって言ったんですよ」
彼が逮捕されてから、四年半の月日がたっていた。
逮捕当時は頬がやせこけて体重も四五キロしかなかったが、
いまは一〇キロ以上も増えたそうだ。
身長一五五センチの小柄な男は短髪に白髪が目立つようになり、
福々しくていかにも人の好さそうな人相になった。
彼はほかにも、ステーキ、天ぷら……といくつも食べ物の名を挙げてから
「でも、本当は……」と、言葉を区切った。
「カラオケ、思いきり歌いたいです」
町内のお寺で年中行事となっていたカラオケ大会では、
準優勝したことがあるそうで、NHKの『のど自慢』の予選にも出場したという。
鐘の連打はのがしたが、歌は橋幸夫の『潮来笠』だったと楽しそうに思い出す。
彼から自慢めいた話を聞くのは初めてだった。
それならカラオケのある寿司屋で歌いまくるのはどうかと言うと、
やや間があいて彼は右手をあげ、掌を頭の上でパッと広げた。
「あの、ス、スポットライトも欲しいです」
照れたのだろう。顔を真っ赤にして、つっかえながらそう言った。
(小林篤『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか』〈草思社〉p7~8)
個人的にはカラオケが大好きで、刑務所の中でのど自慢大会に出たこともあります。
いつか地元ののど自慢大会に出られたらいいな、という望みも持っています。
橋幸夫が大好きで、橋幸夫の歌はほとんど全部歌えます。
(菅家利和・佐藤博史『尋問の罠 - 足利事件の真実』〈角川oneテーマ21〉p175)
菅家さんのたっての希望でカラオケにも行くことになった。
菅家さんはマイクを握ると一気に二〇曲も歌い続けた。
橋幸夫や石原裕次郎、三田明といった懐かしの歌手のナンバーを歌いながら、
抑圧から解き放たれた喜びからか、その顔は笑顔でくしゃくしゃになっている。
時に両手を大きく広げ、時に床を蹴って飛び上がる。
何もかもが一七年半ぶりなのだ。
(清水潔『殺人犯はそこにいる - 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件 -』〈新潮社〉p187)
※日本テレビ系列『真相報道 バンキシャ!』で放送された、
上記赤字部分の映像(コミカルに踊りながら歌いまくる菅家さんw)が
youtubeにUPされていたのだが、いつの間にか削除されたようだ。
この映像をお持ちの方がいたら、筆者にご一報いただけると幸いです。