うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

大村はまの本と教師

 

 

 有名な国語教師だった大村はまの本を読んだ。

 教育という仕事の厳しさ、過酷さを説く一方、もはや現代では環境や労働法の上から実践が難しいのではという提言も多々ある。

 

 

 子供を教育するというのは非常におそろしい・難しい仕事だと自分は感じる。

 わたしが教育に関わったといえば、昔、家庭教師として中学生に勉強を教えたのと、自〇隊の教育隊区隊長として新隊員を教育した(しばいた)ことくらいである。

 しかし、子供や、未成年の人格形成や脳に大きな影響を行使するというのは大変な責任を持つ仕事である。

 

 一方で、ホーフスタッターの本を読むと、教師というものは時代と地域によってはならず者に近い職業だったらしい。

 

一方、アメリカでは教師とは低賃金の代名詞だった。

 ――たとえばミシガン市は教員に、ゴミ収集員より安い年間四〇〇ドルしか払っていないという記事。

 教師は収入を補うために休暇中にバイトをやっていた。生徒は彼らに同情し、教師にはなるまいと考える。

 「教師の存在は、図らずも知的生活がまったく魅力のないものであるかのような印象をあたえる結果になっている」。

 一七七六年のベルファストとコークから来た船の広告……「学校の先生、牛肉、豚肉、じゃがいもなどの各種アイルランド製日用品」。教師がお尋ね者になり、不具者が採用された。

 「不適格者のほうがずっと目立っていたため、教職に対する悪しきイメージが定着してしまった」。

 「刑務所に入らない程度の道徳心をもった若者なら、楽々と教師の資格を得ることができる」。

 「地域社会は教育とはならず者をひきつける商売であるという結論をくだしがち」だった。

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