のんびり歩こうよ 亀さんみたい

70歳も半ば近くになって、後は神仏の御心のままに。
ゴールはきまっているのだから、のんびりゆったり 日々を大切に。

信じられない思考回路

2023-11-23 19:28:32 | 社 会

今、住む里山は穏やかで心身の静養に最適だと自負していたのに・・・

信じられない出来事に、取り乱してしまったのです。

70年以上も生きて居れば

半世紀近くもシングルで生きて居れば世間の風にも吹かれ

身を守る術も分かっているつもりだったけど・・・

今回は、許容できないのです。

 

自治会主催で高齢者を対象に「貯筋体操」を始めるからと

団地の上階の方から再三誘われたので 初日に顔出しをしたのです。

男性は二人位で女性が10人位 自治会館に集まりました。

何故か?まとめ役は民生委員の方。

この民生委員の方の思考に振り回され続ける羽目になったのです。

 

私がこの公営住宅に入居して間もなく、この民生委員が訪ねて来て

名刺を出したものの、すかさず「どこの病院に行ってるの?」と言う。

取り合えず大学病院名を告げたが、私は7診療科を受診しているので

国立病院にも、クリニックにも行っているが、話す気持ちは失せていた。

そして電話番号を聞いて帰ったきり8年間、見守りなど来たことは無い。

 

私の住まいの上階の方とは親しく、隣町のスーパーに行く時は

誘って一緒に行ったり、

自家菜園の野菜や果物なども持って飲食していると

上階の人は得意気に話しているので、嫌でも知る事になるが

我関せずを通していたのです。

 

コロナが始まってマスクの需要が高まり手に入れられなくなった時

上階の人を通して、私にマスクを作って欲しいと言って来た。

其の頃、私はディサービスに行っていたので、

一人住まいの高齢の方が 

遠くのドラックストアーに列に並んで買うのは辛いとの声があったので

母の残してくれたミシンで、着物や洋服の生地を利用して

使って頂いていた事を耳にしたのでしょう~。

民生委員が足ふきかと思う位使い古したバスタオルを持って来たのです。

断りづらかったので 一応作ったが、ゴムも糸も私持ちで無料奉仕

地区の高齢の方の分かと思えば家族の物だと言う。

其の頃から、出来るだけ関わりたくないと思って居たが

 

上階の人が「貯筋体操」に私が顔を出したことで喜んでいたと言う。

「何故?」と聞くと 

機会(パソコンやスマホの事)に強い人が入って・・・と言う。

何ていう思考回路の人!!とむかついた。

その翌週、国立病院に通院して午後帰宅すると

待っていたかのように上階の人から電話が入った。

「民生委員が・・・自治会長が大きな箱を持って来たから」と

私に来いというのだ。

上階の人は私が朝早くに病院に出かけた事を知っているのに!!

疲れているので少し寝たいので・・・と私は行かなかった。

次の週に、

上階の人と民生委員が体操の後趣味の手作業をしたいらしく

上階の友人のスマホに作品の写真が入って居るのでとコピーの依頼が来た。

社会福祉協議会のバックアップでの自治会事業であるが

手順も踏まず 二人は暴走し始めている。

民生委員が上階の友人を迎えに行き、スマホを持って我が家に来た。

最初から2~3時間掛かると言ってあったが、まだか!まだか!と急かす。

これを最後に、私は体操にも出ないと決め宣言したが

上階から度々電話が入る。

可成りのストレスで 疲労感がぬぐえない。

ケアマネに話して、私が要介護者であることを

市役所の担当部署に伝えてもらったが何の変化も無い。

私自身で市役所に出向いた。

それでも変化は無い。

社会福祉協議会の担当者に電話をして実態を話した。

 

やっと民生委員に話が届き 我が家に来た。

言い訳とも、説明ともつかぬ事を話し始めた。

私は 体よく使われるのは無理だから体操は辞めますと言った。

その時 彼女のスマホに着信が入って彼女は話し始めた。

聞かれたく無い話なら、玄関の外に出れば済む事なのに

何を思ったか、我が家の隣室に入って行った。

電話の話は筒抜けなのに?長い事話している間、

初めて玄関を上がった民生委員は部屋中を物色するかのように

うろうろし始める。

やっと電話を切って、私に電話番号を聞いて来た。

以前教えたのに?と思いつつも メモ紙に書いて渡すと

彼女は自分のスマホに入力・・・あ~はいっている!!であった。

そして最後が恐ろしい。

自分のスマホを私に差し出し、ラインにしてくれない?と言うのだ。

なんで 彼女と私がラインで繋がる必要があるのか??

 

悶々としていた今日、テレビで官庁関係者がラインで

個人情報を他者に誤送信したというニュースが流れた。

 

この里山の景色も水も空気も素晴らしい。

しかし、そこを統括する行政や民生委員(特別公務員)の

思考回路は 熊や猪よりも無謀で恐ろしい。

 

私は自分の心身を平常心で保つのがやっとだと今、気付いたのです。

 


墓じまい事情

2023-11-11 07:50:30 | 社 会

今朝 パソコンを開けると

「墓じまい」の文字が目にはいった。

 

私は墓じまいどころか、

自分の骨を子供達の負担にならないように・・・と考えている最中。

 

そういえば従妹が去年言っていたわ~。

私のルーツである〇〇家の先祖代々の墓があるお寺の檀家として

毎年 それなりのお金を収め、寺の改装などには結構なお金を

寄付して、門扉の脇の所に大きな文字で我が祖先の名が掘られている。

 

母は跡取り娘として○○家を継いだが

末娘の叔母が病弱で・・・私と同じ膠原病と後にわかって

祖母は、末娘を嫁に出すことが心配で 手元に置き婿さんに来てもらった。

・・・とは言え  

実家の姓を名乗ったが婿さんと養子縁組をしたわけでは無い。

幾つかの飛び地を持ち、祖母は煙草や練炭 小間物の商いをし

川淵の家には父と結婚した母が家業の一つ船宿や干し海苔を作って

暮らしていた。

 

無知とは怖い!!!

父も叔母の婿さんも祖父母とは養子縁組していないが、

争いごとが始まった。

祖父母は、末娘と暮らしているので、この家だけは末娘に、

後は母に相続すると言ったらしいが、

一度不穏になった関係の修復は難しく

勝気な母は、父が亡くなった後、兄を施主にして新たに墓を建て

先祖代々の墓を放棄してしまった。

 

従妹とは その叔母夫婦の子です。

いろいろとあったようだが、今60歳近くなって長男も長女も

独身を貫いている。 住まいも同じ敷地ながら別々。

 

私は長女である従妹とは折々に話をする関係を保っている。

その従妹が、「そろそろ墓仕舞いをかんがえなくちゃ」と言い出した。

 

今日のネットの記事には、

核家族化した現代、地方の墓参りが困難になり、

都市部に永代供養の霊園を求め先祖代々の墓じまいをしたが

霊園が倒産や、7回忌以降合葬にする規約があったと…の事で

兄弟の関係が悪化したというような事が書いてあった。

 

確かに都市部で仕事ををして家庭を築いている子らにとって

家族揃って遠方の墓参りや法事に行くのは

時間もお金も掛かる事であり、実家を継いでいる子がいても

度々親族の接待には疲れる事と思う。

 

私は兄・姉と火花こそ散らさないが、心を許せる関係ではないので

今の地に埋葬すべく計画している。

子供達は忙しく家庭をるのが精いっぱいの現状だから

プラスもマイナスも 遺産は無くして逝きたい。

20年以上 病院通いで預金などないが、

山河を望む丘に樹木葬の墓地があるので 

そして 努力すれば買える金額なので

ひとり ひっそりと眠るのが 私の希望だ。

樹木葬の骨入れの底にはコンクリートが無いので

時と共に、骨は土に返るようだ。

手許金が出来たら 見学に行ってみようと思う。

生きているからこそ 家族・親族である。

義理、義務で 遠方から旅費等をかけて

集まらなければならない時代ではないと思う。

血縁だからとて 理解し合い 仲睦まじい訳では無い。

 

他国では どのような考え方をしているのか?

今迄 考えた事も無いが、 

折があったら それらの事を知るのも良いかもしれない。

 

 

 

 

 


兄弟姉妹は他人の始まり

2023-11-09 19:39:11 | 人間関係

兄弟姉妹は他人のはじまりとは耳にしていたが

我が身の事になるとは・・・・。

姉夫婦は今年80歳

兄夫婦は77歳・・・とお陰様で元気ですが

私は60歳の時に故郷から飛び出し

この里山に住んでいる。

 

跡取り娘の母は64歳で逝った父亡き後

まだ33歳の兄に頼りきって

事実上の家主扱いだった。

父40歳半ばで軽い脳梗塞になり

労働が難しくなったとき

母が親から受け継いだ土地に借家を建て

家賃収入で生計を維持していたが

その借家も劣化し、設備もそぐわなくなったので

母は建て替えを提案したが

銀行マンだった兄は反対していた。

姉も私も苦しいながらも子育て中なので詳細に口出しはしない。

やがて兄が60歳の頃 支店長までは昇進したが

団塊世代でそれ以上の昇進は頭打ちとなり

給料を下げて、銀行に留まるか?

他社に出向して高給を得るかの選択を迫られた。

兄は後者を選んだが、仕事は人事部のリストラ係だったようで

流石に耐えられず早期退職をせざる得なかった。

 

そして、あれだけ母の提案に反対していた兄が

古くなった借家を壊しマンションを建てると言い出したのだ。

母も80歳を過ぎ、兄は相続税対策も有って

母の名義で4億の借り入れをしマンションを建てる計画を始めた。

当初、姉と私にマンションの1室を与えるから

好きなコーディネートをするようにと言っていた。

しかし、地鎮祭が終わった後、姉と私は別々に兄に呼ばれ

賃貸マンションの一部だけ相続は出来ないと

会計士が言っているので、家賃を取ると言い始めた。

又、母名義での借り入れには高齢の為相続人が連帯保証人になると言う。

 

パソコン打ちの相続試算表には会計士の氏名も印も無い

兄の手作り相続分割試算に過ぎない。

姉と私を同時に呼ばない事にも疑問を感じていた。

 

私は体調を壊し始めていたので退職も時間の問題。

マンション入居はしないと宣言し、故郷から離れた。

 

実に醜い人間の本性を視る羽目になった。

マンションが出来た時は最新の設備で直ぐに満室となったが

姉の住まい以外 全部西むきの部屋であり

近隣にもっと安価なマンションが立ち並び始めた。

多分25年か30年返済のローンであると思う。

もう築21年になり修繕等の出費も嵩んでいるだろが

兄は健康ではあっても間もなく80歳を迎える。

息子は40歳半ばで独身、結婚する意志は全くないらしい。

IT企業の派遣社員で出向先が変わったり

在宅ワークになったりしているようだが親の脛で食べている。

身内ながらけして兄亡き後を告げる器ではない。

娘は離婚し男の子を一人設け これまた親元で食べている。

孫はやっと中学生だ。

 

最近私がそろそろ・・・と写真等の整理をして気付いたが

母が祝い事に来ていた着物やワンピース、宝飾品が

形見分けの時に全く見かけていない。

今更 どうでもいいが、兄嫁(非相続人)か姉が保有しているのだろう。

 

こういう場面に遭遇する前に私はこの世から去りたいと思った。

ゴルフ場の会員権

茨城の別荘

優良企業の株 等 兄名義になって居たが

母が出資したものだと知っているから

兄も 泣き言を言えない立場にある。

兄夫婦、独身の長男、子連れの長女の洗濯・食事を

兄嫁がまだ世話して 実家は道具で溢れているから

たま~に私が行っても仏壇に手を合わせるだけで

従妹のところか?ビジネスホテルに泊まっている。

 

最近知ったのだが、

母は私が帰って来ても良いように

マンションの4階を姉と同じ3LDKで残してあった。

何と 貸出家賃が19万~21万円にはびっくり。

築21年の旧式となった設備の部屋をこの価格で借り手は居ないだろう。

それでも、一度たりとも、姉も兄も私に帰って来いとは言わなかった。

 

私も尽く恩着せがましく頭を押さえる姉・兄の近くに住もうとは思は無い。

今の住居は畜40年だが 南東向きで

鉄筋の県営住宅で障害者割引適応で9200円

更新なし

2dkで一人ですむには十分な所だ。

あと数年ここで 四季の山景色を堪能しながら

のんびり 年金の範囲で暮らして終わろうとおもっている。

親あっての故郷と今 感じている

姉より、兄より先に終わりたい。

見たくないものが 多すぎる世間に嫌気がさしているのです。

 

 

 

 


猿まねは所詮猿まね

2023-11-08 14:19:31 | 社 会

佳子さまが皇室としてペルーに訪問したようで、

週刊誌やネット・テレビに映りだされている。

気になったのは

姉 真子さんが訪問した時と同じ

ドレス・同じ振袖をお召しになった記事です。

 

愛子内親王は成人の儀を社会情勢を鑑みて

自分用にティアラを新調せず、

一般人に嫁いだ叔母のティアラを借り受けている。

この先皇室の一員として終生過ごすのか?

あるいは民間人となられるのかは 兎も角

祖母や母に当たる 

美智子様や雅子さまのティアラが使われなくなったとき

それらを胸張って ご利用なされる覚悟が感じられた。

 

今回 真子さんが且つて訪問したペルーに佳子さまが訪問する際

これ見よがしに ブルーのドレス・緑がかった振袖を

そのまま着ているのを見て 吹き出してしまった。

 

母、紀子妃の 浅はかな入知恵と 

想像つかぬ人は少ないだろう。

 

いずれ民間人になる立場と称して 

秋篠宮邸新築の際

大金を費やして佳子御殿を別棟につくり

顰蹙をかっている穴埋めのつもりかも知れぬが

皇室の礼装では無いひざ丈スカートのドレスと振袖も 

高くて400万円程度と察する。

ペルーには日本人の血を継ぐ多くの人々の子孫が 

困難な生活の中で 祖国日本を慕っている。

私にも かつてペルーからの出稼ぎの友人がいたので

多少なり 彼・彼女らの思いを知った事がある。

 

佳子さまが姉のお下がりを着たところで、

ペルーの人々に何が伝わるだろうか?

 

十代だった愛子様が決意した成人の象徴であり

身分を象徴する高価なテァラを辞退した事とは

比べる予知も無いことと思う。

 

令和の天皇は素晴らしい雅子妃をめとり

素晴らしい愛子内親王を育てられたと心から思っている。

 

秋篠宮家のすることことは 辻褄の合わぬばかり

その恥じの上塗りをするかのように

今回の 佳子さまの衣装は 所詮 猿真似にすぎない。

 

     🐒


忘れていたのに…心無い兄家族

2023-10-27 17:32:54 | 人間関係

もう15年近く前の事で忘れていたはずなのに、

急に嫌な思いが胸を締め付けてきた。

 

母が肺ガンと判り…しかしもう89歳。

ドクターの説明を聞き私達子供達で辛い検査や治療は受けず

在宅で看取ることにしたのです。

母にはガンとは言わず、

「肺炎の悪化で、お医者さんと看護師さんが往診に来てくれるよ」と

住み慣れた家で、庭木や花の見える所に介護ベッドを置き

家族と同じ物を食べる生活をしていた。

私は毎月 3~4日泊まる支度をして母のベッドの下に寝る。

私自身 幾つもの不調を抱えての事なので通院の合間をぬっての訪問です。

私が出向いた時に 兄嫁には自分の用事をして貰い、

母が食べたい物を作る為に 食材を予め買い置きして貰う。

そんな日常を過ごしていた時、

入院していた兄嫁の父親(長野県)が亡くなったとの連絡があったようだ。

兄嫁は三姉妹の長女で、シングルの妹が両親と同居していたが

事あれば、長女として仕切る。

 

兄家族は急いで身支度をして長野へ車を走らせたようだ。

兄嫁が 実家の近くに住む姉夫婦にも、二人で葬儀に来て欲しいと言ったようです。

 

独り残された母から私に電話が来たので急いで支度をして実家に向かったのです。

着替え等は宅急便で翌日着です。

独り残された母の顔は血の気を失っていたが、私の顔を見て落ち着き始めました。

 

3日程して、兄家族が戻ってきました。

30歳後半の甥は帰ってくるなり、テレビにカメラを繋ぎ葬儀の写真をワイドで見始めている。

御坊様が何人来たとか、花輪が何基だったとか・・・は話している。

そこに兄嫁が入って来た。

疲れているのは分かるが 母や私に留守をねぎらう言葉は一言も無い。

 

テレビに映る葬儀の写真・・・ご遺体が炉に入って行くところが映し出していた。

思わず私は 「やめて~」と叫んでしまった。

母は肺がんをモルヒネ服用で緩和しているだけで余命は知れている。

私は 心身共に障害の身で、完治しない事は分かって薬を飲んでいる。

過去には、生きる気力を失い自死行為を経験している。

そんな母と私の 近い将来を暗示するような 火葬での写真に胸が苦しくなった。

 

母は、甥に写真を止めるように静かに諭した。

 

兄嫁は、大事な写真なのよ!と半分怒りを含んだ言葉で遮ったのです。

ところ変われば・・・で、

長野県では火葬場の様子まで写真に残す習慣が有るのかもしれないが

私は耐えきれなかった。

末っ子で、シングルで、貧しい暮らしをしている私を葬儀の知らせは無用と思っての事か?

兄家族が帰宅して、立派な葬儀だった話に盛り上がっているが

母の電話で駆けつけて、母と二人冷蔵庫に入って居る食材で留守を守った事など

どうでも良いような空気だったので、私は荷物を纏めて宅急便に託した。

母がタクシーで帰れと握らせてくれたお金で 自宅迄約1時間の夜道を帰って来た。

悲しかった。

母も私も、皆よりずっと早く 白い棺に入り鉄の扉の炉の中で骨になる事を

労わる心が無いどころか、

家族旅行でもして来たかのように、花が・・・とか、 料理が・・・とかで

盛り上がっている兄家族の 平和さが・・・悲しかった。

 

もうとっくに忘れていたと思っていたのに

ふいに過去の出来事が フラシュバックした。

早く忘れよう。

母はその半年後の深夜安らかに旅立った。穏やかな顔だった。

私は、いつ行くのだろう。

自活できる時間には限りがあるから、

出来る事なら 母の様に 深夜眠ったまま旅立ちたい。