村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

鎌倉殿の13人

2022-01-10 10:51:33 | 日記
見ました。坂東武者の末裔としては驚きのスタート。
言葉が現代語、昔語ではわからない!
現代語に訳すと物語全体もこんな感じかも。
音楽が、あれ別の部屋から聞こえるような感じが、混線か?と思ったりして。
一瞬、ホームドラマの鎌倉偏か?

でも、なんか大筋は本当はこうじゃなかったか?と思う通りに物語が進行してます。
行列で武者が通るところは、この辺、武蔵の国がこんな感じであったように連想されます。
現にこの武蔵村山市が自分が子供の頃は、ススキが生い茂りこんな感じ。ほんの60年前までは同じようであった気がします。
今でもいざ鎌倉で、近くに鎌倉街道がありますし、近くに大山道もあります。
同じような光景が繰り広げられていたことと思います。
で、この辺からも源平の合戦や内紛に武士が大勢でています。
お散歩コースに曽我五郎手植えの巨大な五郎松がありました、十郎杉もあったような。

鎌倉幕府が出来て内紛がかなりありまして、誠にややこしく思っていました。
その辺が描かれるようです。
(鎌倉彫の事務所の近くに和田義盛の墓、和田塚があります。)

この辺、武蔵七党の村山党伝承地となっています。ので、この辺を歩いて館跡がないか?と以前から探していますが全くないです。 (-_-メ)
この辺は台地なので水がなく、ほとんど田んぼがない!狭山丘陵南側は田んぼが作れる土地がありません。
だから関東山地(西側の山)に武士が住んでいたのかもしれません。この台地には住めなかったのです。馬を飼っていた?とにかくこの地は鎌倉幕府の影響を受けています。

小池栄子さんスゲー良い。実際もああいう性格だったかも? (^^♪



    (^_-)-☆

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